雨の日曜日。何年かぶりに阪和線に乗り、和泉府中に降り立つ。

次田先生の三回忌の集いに参加してきました。「お別れの会」から三年。「その後どうです会」……という何ともベタなネーミングといい、ゆるい進行といい、どこかこだわった中身といい、次田先生とその周りにいた人たちの体温を感じる暖かいイベントでした。誰かが言っていたけど、次田先生は、「生活実践者」。その実践の広がりと深さ、奇縁が奇縁を結ぶ妙なる「つながり」の輻輳。何とも言えない空気感そのまま楽しんできました。
いろいろな関わりを持った人たちが、それぞれの体温で、次田さんとの「つながり」を物語っていく。無数の物語たち。重なり合ったり、響き合ったりする、それぞれに個性的なリズムと文体。お別れから三年。少し時間をおくことで、「物語」は熟成される。次田さんと自分との「つながり」と向き合う三年間分の「宿題」が、それぞれに語られていく。

そうしたあまたの「物語」が一冊の本になった。立派な追悼文集になった。今回のイベントはいわば、この本の発表披露の会であり、“ライブ版”追悼文集でもある。
この文集に、私は、次田先生がまだご存命だった頃、厳しい闘病生活を送っておられた時期に見た不思議な夢の話を載せた。それは別のところに書いた日記。厳密には追悼文じゃないけど、次田さんと私のつながりを語るにおいて、「合宿」の話題は最も重要なものだし、次田さんと生前交わした最後の言葉が、「(ブラインドウォークで使う)目隠しどこにある?」というまことに情けない、情趣のないものだったこともそこにはあるのだろうかと思うが、とにかくこれが、この文集に載せるのに最もふさわしいと判断したからだ。

そこで、ここでは、最初に追悼文集に載せるつもりで書き下ろした原稿を載せることにする。この写真は、今日の会の中で、回ってきたマイクを手に、身振り手振りしながら次田さんの皿回しを引き継いで、披露宴と謝恩会でやりましたよってしゃべっているところ。つまり、私の原稿もまた、その「皿回し」を語っているのだ。
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皿回しのこと
住田 勝
しんと静まり返った披露宴会場、衆目を集めて回る白いプラスティック皿。
先日、大谷の卒業生の結婚式で来賓挨拶を頼まれた私が、生まれて初めて、「皿回し」スピーチに臨んだ瞬間だった。回っているように見えて、でもそれは「回っている」だけで、実は「回して」はいない。この「回っている」状態を、働きかけて「回す」にはどうするのか?次田先生が、飛田新地の料亭の大広間で、私たちのために語ってくれた言葉を確かめるように、私は話し続ける。
皿が回るためには、この一見した安定を、壊さなくちゃだめなんだ。逆に言うと、この安定が壊れそうになった時が、皿を回していくチャンスなんだ。皿の中心から棒を外すと、白い皿はゆらゆらと振れ始める。
安定を壊す勇気。不安定、危機を変化の時としてとらえる柔軟性。不安定になって、揺れ動く皿の動きに逆らわず、かといって追従するのではない、粘り強いコミュニケーション。そして、横ブレする皿を根っこで結わえ付ける手元の一点。つまり決してぶれることのない、すべての動きの支点となる強靭な一点。
次田先生が、ことあるごとに教えてくれた全部が、ぐらぐらと揺れながら、次第に回転をあげていく白い皿の営みに全部詰まっているような気がした。
一瞬、解き放たれたように、皿は回し棒の先端に吸い込まれるように収まる。皿と棒と私は、一点においてつながる。
このとき、どこかで見ているはずの次田先生と、私もつながる。
次田先生のぶれない手元の一点を支点にして、ぐらぐら揺れ続ける私たちは、エネルギーをもらいながら、これからも回り続けるだろう。今日も私は、次田先生が残した物語から細く分岐する、頼りない物語の上を、折れた足を引きずりながら歩いている。
ゆらゆらと揺れる皿をどこかで回しながら、だれかとつながるために……。
その日まで……多分歩いている。
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今日の目玉企画は、次田さんの「皿回しワークショップ」の模様を撮影したDVDの上映だった。ちょうど、病気がわかって入院手術の直前、大学のFD企画がたまたま当たって、授業記録のためのビデオ撮影がなされていたのだ。そのビデオを見ながら私はニヤニヤする。上記の原稿に記したのと同じようなことを次田さんが次々と学生たちに「口上」として述べていくのを聞きながら、メモまではしなかったけど、残らず頭に入れようと耳をそばだてる。お。わし結構、次田さんの「口上」=「蘊蓄」、いい線まで覚えてるやん。皿回し教育論の伝道者としての引き継ぎは一定できているぞ……。
と思ったところで、私は思わず凝然とする。
次田さんは語る。
……皿を不安定にしないといつまでたっても、皿を自分で回すことはできない。ぐらぐらになった皿は、実はチャンスなんや……。
不安定になったら皿が落ちるかも知れへん。でも、落ちた皿を拾ってくれる周りの人がおるかどうかは、皿回しには重要なことや。周りの人は手伝ってくれたり、助けてくれたり励ましてくれる。でも「自分の皿は自分でまわさんといけんのや」。誰のものでもない、自分の皿を自分で回すこと。
……こんなことを言っているぼくが、実は今人生で一番、“皿がぐらぐらしている”時期にさしかかっています。
こんなことを言うつもりはなかったんですが……と言葉を継ぎながら、彼は自分自身を語り始めた。
先日、検査を受けて、直腸に大きな癌が見つかりました。腸管の三分の二がふさがっているので、食べたものがそこに詰まって痛くて痛くて寝られんのです。明け方ようやくとろとろっと寝て、大学でてきてこうして授業して、でも電車にも乗られ変からタクシーで来て、タクシーで帰る……そんな状態です。
実はこの話自体は、私は彼から直接電話をもらって聞いていた。
でも、彼が大学の授業の中で、「皿回し」を語る中で、こんなふうに語っていたことを、初めて知った。衝撃だった。そんな話が飛び出してくるとは思っていなくて、おもしろいんだかなんだかわからん皿回しをさせられていたビデオに映った学生たちがどう反応していいかわからなくて硬直したようにうつむく姿に自分自身を重ねてみた。
それから、淡々と自分の死に至る病を語る次田さんの立ち位置に、自分を置いてみた。自分はそんなふうに語れるだろうか。教師として。子どもたちのまえに、そんなふうに立てるだろうか。そう思ったら、画面を見ながら居すくまってしまった。
……そんな生活ですから、ぼくの皿はぐらぐらどころか、何回も何回もぼろぼろ落ちてる状態なんです。
……次田さんは続ける……。
そんなとき、さっきいいましたが、これ回しや、ってその皿拾って乗せてくれる人が何人も何人もいてくれていることに改めて気づかされたんですね。そんな、人らに助けられ、支えられながら、もうちょっと、こうやって、この皿を回していこうかなって、今はそう思っています。
このビデオが記録された正確な日付を私は知らない。2007年の6月から7月の間かしら。次田さんが亡くなったのは、このときからわずか、半年ちょっと2008年1月16日のこと。
自分の皿ぐらい、自分で回せ!馬鹿者どもよ!
と表題を書いてみたものの、たぶん次田さんはこんなことは絶対に言わない。
ビデオ見て、衝撃受けて、高揚したり、なんか情けなくて腹立たしかったり……ビデオの中のおまえらや!と戸惑うばかりの学生たちをしかりつけたくなったり……でもそれは、次田さんから直接もらった電話を受けたときのわし自身の情けない姿だったり。
優しく、でもきっぱりと、「あんたの皿は、あんたが回すんやで」て。ビデオ見てたら、次田さんが言ってくれたような気がした。
てなわけで、今日も私の皿はぐらぐらしながら回っています。回せてるとは自信を持って言えない。なんの偶然か、回っています。次田さんにさんざん助けてもらった分、どこまで行けるかわからんけど、「皿回し理論」片手に、おぼくかなく回していこう。
そんな気分になった雨の日曜日でした。

三人娘とお母さん。これからもよろしく。