去年、一昨年と、おんなじ場で、同じようなことを同じように言うてました。
H市の国語教育研究会の場です。
ごんぎつねのすてきな実践報告を受けての私の発言。
内容はまぁたいしたことがないので割愛。
物語への参入(同化)をベースに、物語の対象化(異化)へ向かい、物語の作り手との対話が課題となり、その向こう側に自分自身への振り返り、自分自身の対象化が生まれる。
なーんて、頭でっかちなことを引き合いに出しながら、その前にあったごんぎつねのプレゼンテーションを意味付ける。そういう算段で話はすすみ、それなりに話し続け、手元に走り書きしたメモ通りの話しを展開していき……。
話し終わったとき、事前に打ち合わせていた通り、五時ちょい過ぎ。……このスピーチの時間をそろえるテクニックだけはこの三年で飛躍的に獲得したかも。
しかし、本当の恐怖はそこから始まるのでした。
質疑など、時間は用意されていてもたいていは誰もなんも言わんうちに終わる。
が、すっと手が挙がる今年の会場。一人のベテランぽい男性教諭。
……『視点』ということが、先ほどのご講演ならびにその前の実践報告の一つの眼目であるということを前提といたしますと……
どんなしゃべりだしであったか、もう私は覚えていない。が、彼が話しだした瞬間、彼の後の空間が、ゆらり……陽炎のように揺らめきだしたことを私は見逃さなかった。今まで、こんなことをさんざんやってきたけれど、今まで、もしかしたら、もっと早く当然のように出会ってしまっていてよかった人物……。
……このご授業の範囲となっております『ごんぎつね』第六章の問題は、視点の変更ではなく、視点は言うまでもなく、三人称限定視点でございますから、この場合、変化したのは視点ではなく、視角とすべきであり……
そうだ。やっぱり。
私の直感は当たっていた。マイクを握りしめて話し続ける質問者を中心に空間に恐ろしいゆがみが生まれていた。そしてそのゆがみは、ある種の強烈なエネルギーを発しながら急速に巨大化し、私の視野の中に、はっきりと裂け目として顕在化しようとしている。
こ、これが……。
私は、質問者の質問事項をメモすることも忘れて、目の前に展開する変異を見つめた。
これが、魔界の入り口なのか……。
……このような第6章における視角の変更が、どのような意味と意図を持ってなされているのか、そのような学習課題の設定が、この授業においては必要だったのではないか。また、結末の3行の表現は、三人称客観視点に移行するわけですが、そのことの意味を考えることが必要であろうかと……。
しゃべり続ける男を包む陽炎はもはや、一つの明確なフォルムをなしていた。私の記憶巣に格納されたスキーマは、それをねじれた水牛の角を生やした赤銅色の『鬼』の姿として視覚化してみせる。
私はついに、魔界の住人を召喚してしまった。
アチャラの世界の住人。分析地獄の住人。視点と視角がきっちり区別できる子どもの住む世界。分析言語を日常言語として使用する世界。そこの住人、ばりばりほんちゃんのアナライザー。
ああ。なまじ、分析的読みだの仕掛け読みだの構造読みだの、彼らの世界に近接しそうなスペル(呪文)を何度も吐いていたからいけなかった。決して開いてはいけない(つき合ってはいけない)、魔界の扉がズザザザ〜〜っと開いて、サタンの弟子がメガネの奥でにやりと笑う初夏の夕暮れ体育館。
魔界の瘴気にほとんど気を失いそうになりながらも、私はスーツの内ポケットに密かに忍ばせた
『教師のための読者反応理論入門』(R.ビーチ著 山元隆春訳 溪水社刊 \3,465-)を彼の前に振りかざしながら大声で叫んでいた。
分析は……分析は……(この辺でもう意識を失いそうになる)そうすることで読者に何かを拓くためのパスなのです。分析にチャレンジする値打ちを実感する豊かな読書体験(感動体験……)の充溢感こそが……(げふ、ここで一度吐血する)分析行為をどう気づけるのです……けっして、けっして!その逆ではありません。私たちは、断固、こうした転倒と闘います!
(もちろんフィクションですからね)
薄れゆく意識のなかで、ビーチの本が強烈な白い光を発したのと、遠くで文学教育の守護聖人山元隆春が中学生と『子どものいる駅』を読んでいる風景が交錯した。……らしいな隆春さん。とつぶやいたところで私は気を失った。後のことは何も覚えていない。(というのもウソですが)
校長室で意識が戻ったとき(それは講演終了から既に30分が経過していた。ウソだけど。)、複雑な笑顔を浮かべた校長先生が、一言、ねぎらいの言葉をかけてくだすった。
激しい戦いでした。よく闘われました。あの暗黒魔力の中で、よくぞその聖なる書をお持ちでした(ほんとは持ってなかったよ)。救われたのは私たち全員です。
あいたたた。起きあがろうとした私は、腰に激痛を感じた。どうやら魔界波動をまともに腰に受けたらしい。また整骨院通いが始まる……などと思いながら、私は夜にかけて雨になるという、既に十分怪しくなった空模様の下に足を踏み出した。今年度の旅がまた始まる……そしてその戦いは、去年よりもまして厳しいものとなるだろう。分析魔界との本格的な戦いが……。
私は身に大きな傷を負いながらも、何とか地球の平和を守ることができた。
しかしこの戦いは緒に就いたばかりなのだ。分析地獄からはこれからももっともっと強力な敵が送り込まれてくるだろう。魔界の敵とどう闘っていけばよいのか……ねじれた骨盤でエスカレーターの止まった山を登りながら、私は絶望的な気持ちになる。
それでも明日はやってくる。
あなたと私と国語教室に、山元隆春のご加護を。