はじめての
地蔵盆。
引越しをして、町会長さんのところに挨拶に行って、なんだかお家にあげてもらって、お茶などいただいて、町内会の規約やら行事やらについて説明を受ける。というのが、今月初めの出来事でありました。ずいぶん親切にしてもらって、ああよかった。ゴミ出しその他の当番が面倒だけど……と思っておりました。
さて、そんな説明のなかにあったのが、この地蔵盆の話。地蔵菩薩の縁日である8月24日に行われる地域のお祭り。私の家のある路地は、法隆寺西院大垣から入ってまっすぐ行くと(その途中に私の家があります)途中角に突き当たり、左に90度折れて短く行くとまた90度右に折れる稲妻形の路地です。その、最初の角に、この物件を見に来た当日に目についた、ぱっと見いくつかるのか数えきれない小さな小さな石仏さんの一群がおられるのです。そのときは、それがこの地域のお地蔵さんとは到底思わなかったのです。その隅のお家が代々管理をしていく地蔵守の家であり、お花代を町会費から支出しとるんや。という私の父と同い年の町会長のお話を聞きながら、半ば朽ちかけた小さな石仏さんを何かの遺跡のように思っていた思い違いに気がつきました。この路地に、この市井に「生きてはたらく」お地蔵さんだったのです。
そう思うとなんだか感慨ひとしおです。小さな細い路地に、10軒ほどのつましい家々が軒を連ねる小さな町。その風情と身の丈に合った、小さく、朽ちながらもけなげに道の隈(くま)を護る地蔵菩薩。
引っ越したばっかりの私。でもちゃんと声をかけてもらって、地蔵の前にゴザ敷いて、輪になって、子どもとおばあさんとお母さんと、地蔵盆に参加します。気がつくと、おっさんはわしだけ。始まったのが夕方5時ぐらいからのことだから、仕事を持っているおじさんたちはまだ帰宅されていないだろうけれど、さすがにこれだけ高齢化率の高い路地。くだんの町会長様を含め、今この路地に男衆がいないということはあるまい。あれ?地蔵盆って、女衆と子ども衆のお祭りだっけ?子どもが主役なのはわかるんだけどね。
今日は北大阪M市で仕事だったんだけどヒョッーッと戻ったらちょうど始まったところ。10人ぐらいで、大きな大きなお数珠を繰っておりました。輪に入れてもらって、100周、数珠くりを。足がしびれてたまらんかった。近所の小学生と一緒に数珠くり。初めて会った、見知らぬヒゲ面のおっさん。でも同じ数珠を繰り回しながら、それを、真ん中のほっそりしたおばあさんがたたく、ちょっと間の抜けた鐘のリズムに合わせて、「なんまいだ〜〜なんまいだ〜なんまいだ〜」とやっていると、身体感覚としていろんなものがシンクロしてくる。子どもの身体はそういう意味で他者に向かって柔軟に開かれているかんじがする。地蔵盆の魔法だろうか。
夕方のことで、しかしまだ強烈な残暑の西日が路地の隈に射し入って、数珠の周回を読む元締めのおばあさん二人の顔を黄色く照らす。歴史を刻んだ柔らかい顔に汗が光る。西方浄土からの輝き……とか勝手なことを妄想する。
子どもの集中力が切れかかったり、励まされながらつながったり、「あと何周?」とかさんざん聞きながらラストスパート。100周全員で見事完走。最後に、その数珠で背中と頭をたたいてもらって(これがマッサージみたいで気持ちいい)おかしもらって解散。
よい子どもを授かりますように!
おばあさんがそういいながらわしの腰を数珠でなでてくれましたとさ。
新参者をちゃんと輪に入れてくれた素朴な素朴な、そしてあたたかい地蔵盆。
この日気がついたこと。
この小さな路地に、意外と子どもがたくさんいたこと。6人から7人。その子どもたちを地域の大人が、大切に守り育てていること。つまりそういう地域的子育ての拠点として、例えばこのささやかなお地蔵さんコーナーが機能しているということ。おばあさん連中の子どもあしらいの見事なこと。集積された子育ての知恵が刻み込まれたしわとしわ。
宇治拾遺物語の地蔵と老尼の話を思い出した。
おいと病を抱えた老尼。老い先の長くないことを悟った彼女は、極楽往生を願う。中世、女性が極楽往生を願うという設定そのものが一つの説話的テーマになる時代。女性は基本的に極楽には行けません。法然が出てくるまで。さて、その尼君は、地蔵菩薩に関する噂を耳にします。地蔵が早朝の辻に現れて衆生救済活動を行っているらしい。早速老尼は町に出かけます。朝もやの辻をめぐり歩き回りながら地蔵菩薩との邂逅を願います。が、説話的展開としてはここですんなり行くのはだめです。そこに博打打ちが登場。朝方のこと、昨夜のばくちですっかりすってんてんになってさてどうしようかと思案する悪巧み。そこに現れたる老尼。事情を聞くと「地蔵」を探していると。おばあさん、俺地蔵の居場所知ってるよ。つれてってあげようか。そのかわりお礼にその着物をください。地蔵に会えるならばと喜んで己の唯一の財産である衣を差し出す老尼(喜捨)。連れて行かれたのは市井の長屋。ここに地蔵はいるよ。と言い残すと尼の衣を抱えて博打打ちがそそくさと退場。そこへその家の大人が出てきます。
老尼は「こちらに地蔵がおられるとうかがったのですが」。
「地蔵?さっきまでそこらで遊んでいたんだけど、どこかに遊びにいったんかな。そのうちかえってくるわ。」
読者は既に老尼が博打打ちにだまされていることに気がつくが、彼女は気がつかない。心の底から地蔵菩薩の顕現を信じて、待ち続ける。そこへ。ひとりの童が戻ってくる。ムチかなにかにして遊んでいたのであろう、手には細い棒を持っている。どこにでもいる男の子。その親が言う。
「ああ、この子が、地蔵という名前の子だよ」(博打打ちのだましの構図が浮かび上がる瞬間)
ところが、老尼は、その男児が地蔵と知らされるや否や、がばとその前にひれ伏し、一新に読経を始める。きょとんとした童。
と、童は何を思ったか、手にしたムチで、おのれの額をさーっと引っ掻いた。と思うと童の額がムチの軌跡にぱっくりと割れた。そこから顔を出したのは、他ならぬ、地蔵菩薩その人(人じゃないな)でありました。たちまち地蔵は、一心に祈る老尼を連れて、その願い通り、極楽往生させるのでありました。
この路地の隈に無数に据えられた石仏は、老尼の切ない願いを形に表したものである。
地蔵は至る所にいる。至る所にいてほしい。この衰え行く貧しい路地にも、必ずしも満足の行く人生ではなかった生を終えようとする傾いた三軒長屋の一つ一つの戸口にも。市井の人々の切ない願いとともにこの地蔵はあり、地蔵の手なる大きな数珠を通じて、私たちとともにある。
そう。私の横で時にむちゃくちゃに数珠を引っ張り回していた低学年の女の子の額が、いつぱっくり割れるかもしれないのだ。