
この本を読んで、ちょっとかぶれている。『木の家のすむことを勉強する本』(「木の家」プロジェクト編 2001年1月1日 農文協)。この本は、いわゆるおしゃれな、あるいはこだわりの……家造りプロモーション本ではない。もちろん、きちんとした思想に基づいた木造建築の具体例が、仕様とコストを情報開示して示してある点では、そのように、つまりプロモーションとしての役割を果たさなくもない。しかし、この本の大半は、住まいのあり方を、森の問題へ、林業の問題へ、環境の問題へと接続する、非常に今日的な提言に割かれている。ま、こんなふうに書くところから分かるように、要するに私は、この本の執筆陣が属する陣営の言説に、見事に感化されているわけで、既に批判的能力を失っているかもしれない。……うぉ〜〜!!や、山はた、大変なことになっている!!!てな具合。一番インパクトがあったのは、日本の山で、建築材の生産に関わっている、いわゆる林業従事者の置かれた現状。目を覆うばかりの惨状である。たとえば、こういうシミュレーションが示してある。施主のところで、たとえば63,888円で納品される「天竜杉」。これが流通の中でどんな経費をかけられていくかをさかのぼっていくと……。「山元立木価格」(山主の取り分)は、なんと3,600円!この木を出荷するのに50年。枝打ち、蔓伐り、間伐……とんでもない肉体労働の果てに……。完全な原価割れ。先を見なかった戦後の林業政策の矛盾が、今山を襲っているわけです。当然山は荒廃します。コストをかけても改修する見込みがないわけですから、枝打ちを怠る。間伐もしない。荒れ果てた針葉樹林は、やがて下草がなくなり、森の保水力を急速に失い、鉄砲水となって村を襲い、地下水脈を衰えさせます。川が荒れ、海が荒れ、町の環境をあらしていくのです。と……山が大変だ〜〜〜という認識は生態学的循環によって今、家造りにうつつを抜かす私のデリケートな心を打ちまくるわけです。
恐ろしいことに、外材は、これより安く入ってくるのです。恐ろしいことです。食えない山の構造不況とどう立ち向かうか……。この本はきわめてシンプルな結論を指南します。それは、国産材、ことに地元の木材を使って家を建てなさいということ。需要が生まれれば、経済が動き始める。山と里の、かつてあった循環を取り戻す運動は、シンプルに、地元の山でとれた木で家を建てなさい。ということでした。
そんな効果であることが分かっている材料を使える人は金持ちだけじゃん。それは一理あるんだけど、考え方を変えていくといくつかの解が存在する。たとえば、並材を使う。節があっても強度や調湿機能、断熱機能に変わりはない。無節の国産材なんてめっちゃたかいけど、有節の並材なら、外材に比べてまったく太刀打ちできないぐらい高価であるというわけではない。もう一つ、間伐材などを原料とした集成材の活用を積極的に考えてみる。有能な集成材の開発は進んでいると聞く。廃棄物であった間伐材を商品化する道が開けたら、何かが動き出すかも。
……私はエンドユーザーだからそうした政策決定に当事者として関わる筋合いはないけれど、施主の選択として、地元の材木をいくらかでも使う、という方針を立てることはできるのではないか。その可能性を考えていきたい。とですね。この本にかぶれている今思うわけです。
ちなみに、このあたりでいえば、吉野杉。妄想は広がる一方だ……。