先日仕事で電車に乗りました。
一人だったので車窓から外を見たり、広告を眺めたり・・・。
そうその広告。
女性誌や男性誌の広告。
大きな見出しで、
「おしゃれな秋恋がしたい!」
「クリスマスまでにホントの恋がしたいあなたへ」
などなどの活字が躍っています。
自分はそれらを見るにつけ、つくづくうんざりしてしまいました。
喉元までゲロがこみあげてくる気分でした。
以前「愛のバトン」をやりましたが、その時は半分ふざけて記事をアップしたのですが、それからなんとなくではありますが色々考えていた矢先の事だったので今回はちょっと真面目に自分の思うところの 「恋」 について身の程知らずにも述べてみたいと思います。
そういうことが面倒くさいかたはどうぞスルーしてください。
恋は 「したくてするものではない」 です。
逆に言えばしないつもりでも落ちてしまうのが恋です。
それゆえ、恋は一種の病気であるような気がします。 治療法はありません。
そしてそれは望む・望まざるに関係なく突然やって来ます。
とても苦しくて切ない、、、。
でも、世界で一番美しい病気です。
自分はそう思います。
恋というのは絶対に一つの “点” であって、結婚だの生活の維持だののなりわいをゴールにした日々の営為のことでは決してありません。
その “点” の意味するところは至高の一瞬のことであって、その無の中に永遠をはらんだ瞬間の事だと思います。
先の女性誌や男性誌に限らず、テレビやマスコミが取り上げるネタって、くそグルメ特集以外は恋愛に関したものが大半ですよね。
「おしゃれな秋恋がしたい!」
「クリスマスまでにホントの恋がしたいあなたへ」
、、、、、、、、、、。
おしゃれな恋がしたいために付き合わされる相手というのも可哀想なもんです。
自分は普段あまりテレビは観ませんが、たまに観ると恋愛ドラマだってそうです。
その手のドラマからは恋の放つ甘い芳香がまったく感じられません。
そこにあるのは嫉妬や見栄、うらみ、つらみ等の言ってみれば 「生活の悪臭」 の集積です。 男女互いに相手を 「物」 として獲得しようとする愚劣な実用主義だけのような気がしてなりません。
自分の言っていることが正しいのかどうかはわかりません。
ただそういった雑誌やドラマを見せられて喜んでいる人はきっと男女論や恋愛論の最も不毛な部分に感化された犠牲者のように感じるのです。
自分の優柔不断さを優しさと勘違いしている人や、ハードボイルドを気取ったアホを見ているとそう思うのです。
さらにそんなアホを受け入れてくれる受け皿がしっかりとあります。
「第一条件は優しい人でぇ〜〜」
だの
「やっぱりオッパイがでかくて性格のいい人っすかねぇ〜〜」
と答えている100人中90人くらいの中のアナタです。
“わかっている女” や、今どきの “ちょいモテ男” になりたければなればよろしい。
“おしゃれな恋” がしたいのなら雑誌の 「ここ一番のいい男・いい女の演出法」 などを駆使して勝手にしてください。
それで飽きてきたら 「傷つかないためのセリフ100選」 を使えばよろしい。
10代の若者ならともかく、恋愛を “したい” という人は頭にウジでもわいてるんではないかと思います。 でなければ何か違うものと恋愛を勘違いしているような気がしてなりません。
恋は異様なまでに人を高みに押し上げます。
それはとても苦しくて切ない・・・。
でも、世界で一番美しくてステキな病気です。
恋はしたくてするものではありません。
自分のような者が大変失礼しました。
合掌。

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