日曜日、長男のサッカーが珍しくオフだったので、午前中だけ宿題をみてやった。
国語、、、算数、、、とこなして、あとは音楽のリコーダーの練習、と言うので取り掛かったら、定期試験を控えた長女から 「うるさい」 とクレームが寄せられたので長男と二人で暖房器具の無い自室へこもった。
あぐらをかいてひざ掛けをしながらリコーダーを吹く姿はどう見てもヘビ使いそのものだったけど(笑)、自分が小学生時代リコーダーが大好きだったこともあって、なんとなく懐かしい気分で約30分長男の笛の音を聴いてた。
で、自分の時の事を思い出した。
小学校でたて笛の授業が始まったのは、確か4年生の時。
教材として新しいたて笛を購入するように、との担任からの案内の書かれたプリントを家に持って帰り、母親に渡した。
その時母親はすごく困った顔をした。
不思議だった。
その数日後、母親から手渡されたのは茶色くてヨレヨレの薄汚い巾着袋に入ったたて笛だった。
最初の音楽の授業の時、クラスのみんなは一様に黒い色の新しいたて笛を持ってきてた。上に中学生の兄姉がいた10人くらいの子たちは白いたて笛だった。
自分一人だけが茶色いたて笛。
あとで知ったことだけど、近所にいた高校生が要らないと言ったものをウチの親がもらってきたものだった。
イヤでイヤで仕方なくて、その日家に帰ってから親に泣いてダダをこねた。
学校でも 「なんでお前のだけ茶色やねーん!」 「お前のめっちゃ汚い!」 って言うヤツもいて、みんなと同じ、黒いたて笛が欲しかった。
思い返せば1年生に入学した時からそうだった。
「算数セット」 ってのがあって、それはプラスチックのキレいな箱の中に、色とりどりの 「おはじき」 みたいなのやら細い棒みたいなのやらがいっぱい入ってて、クラスのヤツらは全員買ってもらって持ってたけど自分は持ってなかった。
「え!?なんで買ってもらってないの?」 って怪訝な顔をする先生もいた。
家庭科で使う 「裁縫セット」 もそう。
和柄の鞠がデザインされたキレいな箱の中に整然と並べられたキットをみんな持ってたけど、自分のは 「蕎麦ぼうろ」 の空き缶に、母親が大昔に使ってた裁縫道具がぐしゃぐしゃに並べられてた。
先生が教壇に立って、「じゃあ裁縫セットを開けて〜、二段になってる下の段の左端に入ってるこの道具を出してくださ〜〜い」 って言われても、自分のには下の段も上の段も無かったしそんな道具も蕎麦ぼうろの空き缶の中にはどこにも見当たらなかった。
今となっては親を責める気もないけど、あの時はホントにみじめな気分だった。
なんで自分だけこんなにみんなと違うんか、解らなかった。
みんなと中身も外見も全然違うそんな教材をクラスに持って行くのがホントにイヤでイヤで、ついには 「家に忘れてきました」 って言うのが当たり前になった。 算数と家庭科が大キラいになって、その二つの授業の時は前の席の友達の影にずっと隠れるようにして、時間が一刻も早く過ぎてくれるのを祈るような気持ちで待った。
でも音楽だけはキラいにならなかった。
たて笛を吹くのがメチャクチャに楽しかったから。
家にいても、よれよれの薄汚い巾着袋に入ったボロボロの茶色いたて笛をずっと吹いてた。
教科書に載ってる曲はもちろん、その時流行ってた歌謡曲や、父親が趣味で聴いてたグレンミラーなんかもたて笛で練習して吹けるようになった。
それだけ吹いてるワケだし、すぐにクラスのみんなより上手くなった。
「お前のだけなんか違う〜!」って言われて、悔しいというのもあった。
先生もそれを分かってか、新しい曲に取り組む際には、先ず自分が模範演奏をみんなの前でさせられた。
「竹原くんはホンマに上手いっ!」 ってみんなの前で褒めてもらえるのがスゴく嬉しかった。
昨日、長男のリコーダーはあの時の自分のと同じ 「茶色」 のリコーダーだった。
でもボロボロのたて笛なんかじゃなく、あの時自分が欲しかったキレいでピカピカのリコーダー。
袋もよれよれの巾着なんかじゃなく、しっかりした生地の、フタをボタンでとめるキレいなケース。
「クラスの友達もみんなそれか?」 って聞いたら 「みんなこれやで」 って不思議そうに答える。 分かってた返事だったけど、ちょっとホッとした。
なんだかとりとめのない話しになったけど、長男のリコーダーの練習見てて色んなこと思い出した。
今どきそんな話しを子供にしたところで、まったくピンとこないだろうけども、何ごとも精一杯、頑張ろうな!息子よ! ってハグしてやりたくなった。そんな日曜。

0