メロンパンにメロンが入っていないのはなぜか。
以前ある友人にこう問われて、自分は大変困った。
あんこが入っているから 「アンパン」。 カレーが入っているから 「カレーパン」。 クリームが入っているから 「クリームパン」。 “名に偽りなし” を見事に自らの身をもってして体現している。 なんと潔い。
それなのにメロンパンはおかしい。 いくら食べたところでメロンの果肉の入ったメロンパンに出会ったことがない。 偽っている。 いっそのことその名を 「網目パン」、 「グラニュー糖ふりかけパン」、 地方によっては 「半ラグビーボール白あんパン」 くらいに改めたほうがよい。
なるほどその通りだと思った。
名は体を表す、という言葉通りに考えるならこのネーミングははっきり言って間違っている。 誤っている。
そして当時から月日の経つこと数十年。
メロンパンについて彼に賢明な答えを導きだしてやることのできなかった自分ももう立派な大人となり、真剣にメロンパンと向き合うことのできる齢とようやくにしてなった。
そこで先日来、パンのネーミングについて思考をめぐらせていると意外にもそれは大変に奥の深いテーマであることが知れてきたのでそのことについて申し上げる。
さて、メロンパンについて論じる前に、今やパン全体としての代名詞的存在と言っても過言でない 「食パン」 のネーミングついて先ずは考えねばならない。
アンの入ったパン。 カレーの入ったパン。 クリームの入ったパン。 さらにはジャムの入ったパン。 これらと食パンを並べて考える場合、中身に 「食」 の入った 「パン」 というのは、読んで字のごとく食の全てがそこに凝縮されたパンということを指していると考えられるのであって、ということは例えば朝ごはん、昼ごはん、夕ごはんの全てが、もっというなら朝の食卓に並んだ納豆と味噌汁。昼に社員食堂で注文した490円のサービスランチのミンチカツやポテトサラダ。夜の接待で出されたフカひれスープや蒸しシュウマイに、帰宅してから食べた子供のおやつの食べ残しであるじゃがりこなどが混然一体となってパンの中に内包せしむるパン、ということであって、これらを先述のアンパンなどの例に当てはめるなら 「納豆味噌ミンチサラダひれ蒸しりこパン」 という大変長ったらしいネーミングになるのは必定であることから考えると、だったらそれら 「食」 全体を総括したカタチでもって消費者に分かりやすいネーミングにしてしまおう、という開発者の市場をにらんだネーミングの意図をその 「食パン」 という名前から容易に読み取ることができるのである。
そう考えると 「食パン」。 なんと大きな名前であろうか。
ところがここで問題になってくるのは先に述べたそれらの具材が、パンの中身には見当たらないということである。 納豆もミンチカツも、フカひれスープや蒸しシュウマイやじゃがりこも、ただのひとかけらですらそこに見当たらないのである。
おかしい。 何かが違う。
しかしこの問題についても意外に容易く答えが知れた。
つまり食パンが発売される当時までの日本人の主たる食事は圧倒的に和食が幅を効かせていたワケであるが、先に述べたようなポテトサラダ、シュウマイ、などの舶来の洋食・中華食などが山を越え海を越え、ワンサと食卓に並び始め、食の洋風化がすすんだ結果、人は口々に 「食は万里を越える」 と叫んだのである。 そこで機を同じくして登場したパンが 「食は万里を越えるパン」 ではなく 「食パン」 と命名されたということは頭の良い貴兄・貴女においてはすでにお察しのとおりである。
食パンが初めて店頭に並び始めた時代は、今のように滋味豊かな食材がどの家庭の食卓にもあふれている時代ではなく、そのような貧しい時代、食パンを食べて栄養を、、、という謳い文句を糧に皆こぞってパン屋に走るその光景は、涙ぐましくもわが国の礎を築いた先人たちの食パンに対する崇敬の念すらうかがい知ることができる。
ところがそのような時代、希少な食パンをめぐってある騒動が勃発した。 貧しい食生活に疲弊しきった庶民が各地で蜂起。 食パンを求めてパン屋へ殺到したのである。
店頭に食パンが無くなると民衆は土足で店内に駆け上がり、厨房からありとあらゆる食パンどころか、その材料である小麦粉までをも強奪した。
民衆のパワーに恐怖したパン屋が店を閉じると暴徒と化した民衆は穀物問屋にまで押し入った。 そして勢い余った民衆のパワーは、食は万里を越える党 「食万党」 を結党。 破竹の勢いで食パンを奪い、食いあさった。
ここに享楽斎目論(きょうらくさいめろん)という人があった。
彼は食万党の幹部で自らも群衆を率い、各地のパン屋で強奪行為に関与した。
しかし彼は他とは違い、強奪した食パンや小麦粉を貧しい家の人たちに配ってまわったのである。 単なる暴徒に終わらない彼のこうした義賊的行為はすぐに民衆の支持を得るところとなり、各地で英雄として迎えられた。
ところがこれを善く思わぬ者があった。
食万党・党首、神原柳円である。
柳円は嫉妬心からいつか目論が党首の座を狙うに違いないと考えていた。 目論の評判が上がるにつれ、それは柳円の心の中ではっきりとした恐怖に変わった。
己が心に追い詰められた柳円は一計を案じ、穀物問屋襲撃のある夜、騒乱のどさくさに紛れ目論暗殺を画策。 自らの部下に命じそれを果たした。
民衆は目論の横死に憤慨。 各地で食万党に対する反乱が巻き起こった。
さらなる暴徒と化した民衆は柳円以下幹部を捕縛、処刑するに至り、ここに食万党は解党。 目論の死を悼んだ民衆は彼が生前配布してまわった小麦粉を使って新しいパンを製作。 これをもって 「目論パン」 と名づけた。
これがメロンパンの起こりである。
以上のことからメロンパンにメロンの果肉が入っていないのは至極当然であって、自分はこの事実をなんとしてでもいち早く幼少の頃の友人に伝えたいと切望している。熱望している。
しかしここまできて、新たな問題がひとつ、、、。
「
フランスパンにフランスが入っていないのはなぜか」。
今後はこの問題究明について、自分の半生を捧げるつもりで鋭意努力していきたい。
と、上記のことを朗々と家人に熱く語ったら、一言ふんっ、と鼻で笑われ相手にされず、少しく悲しい気持ちになったら腹が減ったのでメロン風味のメロンパン食って寝た。

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