学校を卒業してから京菓子のメーカーに就職しました。
営業部に配属され、京菓子を買ってもらうために東奔西走しました。
家業に戻るまでのたかだか3年間のサラリーマン生活でしたが、前半は京都府下の観光地みやげ物店担当として、後半は生協やスーパーの北陸方面(滋賀・福井・石川・富山・新潟)担当として、営業マンに必要な色々なことを会社から教わりました。
今日、店の前でトラックに荷物を積んでいたら、向こうから来る自転車のおばさんに「角ちゃ〜〜ん!」と呼び止められました。
見ると会社勤めをしていたころに同じ会社でパートをされていたYさんでした。
自分で言うのもなんですが、何故か僕は入社当初からパートのおばさん連中からほんの少しだけですがウケが良く、皆さんにはホントに良くしてもらったものでした。
会社を辞めてもう丸13年以上が経つのに、Yさんは僕の顔を覚えていてくれました。
僕はとっても嬉しくて、懐かしい気分で一杯でした。
でも僕は咄嗟にYさんの名前が思い出せず、「ああ〜〜!おひさしぶりですう〜〜!」と言うのが精一杯でした。
数年前にすでにパートを辞めていたYさんは嬉しそうに会社の話しを始めます。
先ず会社が少し前に倒産してしまったこと・・・、充実していた製造用機械も資金繰りのために売り払われつつあること・・・、現在は元専務の子息が名義上は社長。実態は管財人が運営していること・・・、100名近くいた従業員もほとんどクビを切られたこと・・・、などを矢つぎばやに僕に話しました。
なんだかショックでした。
倒産した事は知っていました。
僕の知っている人がほとんどいなくなった会社。
アルバイトとは違う、初めての社会人としての仕事を任された会社。
楽しい先輩がいて、厳しい上司がいて、かわいい後輩がいて、気の合う同期のいた会社。
イヤなことがたくさんあった会社。
嬉しいこともたくさんあった会社。
今でも商談なんかの時にはあの頃先輩から教わったセールス・トークがクセのように出てしまいます。
ホントにたかだか3年間のあいだに、僕はあの会社から仕事以外の事も含め、たくさんの事を教えてもらいました。
今現在の仕事の進め方一つとってみても、やはりあの会社で教わったことを基礎にして行う時が多々ありますし、モノの考え方にしてみても直属の先輩からの影響が今も僕の中に色濃くあります。
ゆえにスーツを着て各地を商談に飛び回るというスタイルであった会社を辞め、現在のツナギ服を着て油とホコリと汗にまみれるという仕事の家業に戻った時、いつか必ずこういう汚れ仕事をスーツ着てやれる仕事に変えてやる!と意気まいたのは、絶対に前いた会社を追い越したいという、ある意味での目標にしていたからでもありました。
その会社がもうありません。
そこに働く人たちも、社長以下もう知らない人ばかりです。
なんだか少し休憩したいな・・・。
なんて気持ちになってしまいました。
Yさんと、「じゃあまた〜」と手を振った時、彼女の名前を思い出しました。

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