ジェリー・ロール・ベイカーとしての活動がスタートしました。
その時点でオリジナルは2〜3曲しか無かったので、せめて1ステージ分埋まるくらいの曲数を確保するため、僕は必死で新しい曲を書きました。
それと同時に内海さんにお願いして色々なミュージシャンのライヴに足を運びました。僕には、観て・聴いて・感じて、勉強する必要があったからです。
赤目さん、ジャッキースリーさん、ハーパー・ストリート・バンドさん・・・などなど、短期間にブルース・ロック系のミュージシャンのライヴをたくさん観ました。
そしてついにJRB初ライヴの日が決まりました。
2004年5月24日(月)。場所は京都三条木屋町上るの 「Live Spot RAG」 です。
あのRAGです!
メジャーなプロ・ミュージシャンも数多く出演するあのRAGです!
そのRAGで初ライヴ!?
なんとだいそれたこと! 僕はもう10年以上もステージから遠ざかっているのです。当日が迫ってくると同時に僕の緊張は日増しに大きくなっていきました。
否応なしに月日は流れます。
あれよあれよと言う間に初ライヴ前日になりました。
僕の緊張は最高潮を迎えていました。
どこかに逃げ出したい気分でした。
前日は日曜で家族と過ごしていましたが、心ここにあらず・・・僕は夕刻になってとうとういてもたってもいられなくなり、一人自宅近くの小さな神社に向かいました。なんとかして気持ちを落ち着けるためのきっかけが欲しかったのです。
日暮れ間近の、幼い子供が母親と遊ぶ小さな神社。
本殿に手を合わせたあと、僕は境内の床机に腰をかけて日の暮れるのをただじっと見ていました。
バンドをやる! と思いたって早や3年。たくさんの人に迷惑をかけ、またたくさんの人に支えられてようやくここまでたどり着きました。 「思い」 は決してハンパなものではありません。 良くも悪くもその事に対する一つの 「答え」 が明日出るのです。
やるべき事は全てやったか?
どういう結果になっても悔いは無いか?
僕は自分にそう問うていました。
万事を尽くして天命を待つ。今さらあがいても仕方ありません。
先ほどまで遊んでいた子供と母親の姿はいつの間にかそこにはありませんでした。
僕は大きく息を吸い込んでゆっくり床机から腰を上げ、宵のとばりがせまった静かな神社の境内をあとにしました。
仕事を午前中に切り上げて、16時にRAGに入りました。
PAさんに挨拶。
対バンの皆さんに挨拶。
ドタバタとリハーサル。
この日は3対バンで他の2バンドはとてもこなれた感じでリハをこなしています。演奏もすごく上手いです。
そしてついに店の開店時間になりました。
知る顔が続々来場。なんとこの日のためにはるばる富山県から駆けつけてくれた友人もおり、感動。なんと有り難いことでしょう。
なんとなく入り口を見ていると家人の顔・・・。あれ??
当時次女が生まれて間がなかったので家人はライヴには行きたいけどやめておく・・・と言っていたのになんで???
聞くと家人の実家の義母が夕方突然来宅し、「最初のライヴくらい観ておいてあげなさい」 と子供たちと自宅で留守番をしてくれているのだと嬉しそうに言います。 ああ、なんてこと・・・。僕はホントに幸せものです。涙が出そうになりました。
ジェリー・ロール・ベイカーの記念すべき初ライヴ、そして僕の13年ぶりのステージはなんだかワケのわからんうちに終わってしまいました。緊張していたせいです。
でも僕の心は達成感で満ち溢れていました。
たくさんのお褒めの言葉と同じくらい、たくさんの課題もいただいたほろ苦い初ライヴではありましたが、音楽のみならず非常に多くの事を勉強させていただいたライヴでありました。
終演後、ブッキング・マネージャーのAさんに挨拶させていただき、次のブッキングも決めていただいたことでJRBは継続したライヴ活動をスタートさせることになりました。
JRBはこの日、確かな第一歩を踏み出しました。
〜つづく〜

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