体調を崩して改めて気付いた自分の喉の弱さ。
過去にはこんなこともありました・・・。
それは2002年4月のある日。
夜中に喉の痛みで目が覚める。
僕は喉が非常に弱く、それまでも風邪をひくというと必ず喉から体調を崩していた。
ああ、また風邪ひいたか・・・。
といささかげんなりしつつ、ウトウトしながら朝をむかえた。
少し微熱っぽい。喉はイガイガ痛んでいる。そのまま仕事に行く。
夕方、熱っぽさが増してきたので仕事帰りに行きつけの内科「K医院」へ。「ああ〜また喉が真っ赤やね〜。口でも開けたまま寝てたんやろ〜」と笑われる。抗生剤と去痰剤をもらって帰宅。就寝するも喉が痛くてあまり眠れず。
朝になって喉の痛みは増していた。固形物を飲み込むのが辛い。熱も上がっているようでダルい。仕事場に連絡し、少し遅刻させてもらえるように頼んだ後、再びK医院で診察、点滴。その足で仕事場へ。
昼食喉痛くて食べられず。夕方もう一度K医院へ。点滴。熱38.0度。
翌日たまりかねて仕事休む。喉が痛くてほとんど一睡もできなかった。
朝一番にK医院へ。点滴中に先生と看護師のヒソヒソと話す声。「先生、角谷さん・・・もう限界ですか?」 どうなってしまうのだろうと不安になる。
帰宅するが眠れない。熱が高いのでノドが渇く。水分をとろうとするが喉が痛すぎて水すら飲み込めない。自然と出てくる唾でさえ飲み込む時拳を握りしめ、足を踏ん張っていっせえ〜の〜・・・で覚悟を決めて飲み込む。恐ろしい激痛と冷や汗。
なんだか息苦しくなってきたので鏡の前で口を開け、喉を見た。なな、なんと!扁桃腺が馬鹿デッカク腫れ上がり、喉の奥全体をふさいでいる!これにはびっくり!!
こういう時にやらなくてもいいことをしてしまうのが僕の悪い癖だ。この状態で水を飲むとどうなるんだろう・・・と思い立ちやってみたら、ななな、なんと!水が鼻と口からあふれ出てきた!!腫れた扁桃腺に阻まれて、それ以上奥に流れ込んでいかないのだ!!
なるほど・・・と妙に感心したあと僕はソファに倒れこみ熱を計ったら
40.3度。息ができない。即刻タクシーを呼び、這うようにして近くの耳鼻科へ。
声を出すのも痛かったので、医師とは筆談で会話した。《喉が痛くて高熱です。水分も摂れません。呼吸もしにくいです。》
「はい、わかりました。では口を大きく開いて〜・・・・・・・、うっわ〜〜これはすごいねえ〜。こんなにひどいのは初めてやわ〜。うわ〜。これは息できないでしょう。うわ〜。」
僕はその足で近くの大きな病院(第二日赤)に即入院することになった。
外来診察の終わったあとの第二日赤・耳鼻科の診察室。
診察台に座らされた僕を診ているのは医師になって4年目だというU田先生(女性)。
僕の喉を見た途端、「うわ〜、よくここまで我慢しましたねえ〜」と一言。
喉の奥を診ようにも腫れあがった扁桃腺が邪魔で診れないのでカメラを使うことになった。先っちょがライトになっててカメラが付いている細長い管のようなものを、鼻の穴からゆっくりと入れて喉の奥を裏側から見るのだ。
なめてかかったのが間違いだった。これが恐ろしく辛い。鼻の奥は異常に痛いし、えずきそうになるし、涙はボロボロ出るし、鼻水たれるし・・・。誰もいない診察室で若い女医さんの前で鼻水・涙でグショグショになった顔で何度もオエッとか言ってる光景は、今思い出しただけでも非常におぞましく笑える。
診察終了直後、高熱とカメラ挿入の苦痛とで診察イスの上でぐったりとなった僕は、電気椅子で死刑を執行された囚人そのものだった。
その後、20日間に及ぶ僕の入院初体験が始まる。
途中、「先生!もうこんなん二度と嫌やから手術してください!」と言ったら、「でもねえ〜、炎症起こしたらしばらくは切れないんですよぉ・・・。夏以降だったら手術可能ですけどねえ・・・」と言われ、その年の秋に再び入院・手術(違う病院で)に踏み切ることになったが、その時の騒動は今ここで書くと長すぎるのでまた今度・・・。
中身の無い記事でスマン・・・。
3月4日(土)は
アコースティックライヴ!
『竹の音』にお越しください!!

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