iPS細胞を作成した京都大学の山中伸弥教授が、ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授と共に今年のノーベル医学生理学賞を受賞することが決まった。
記事は次のとおり。
<ノーベル賞>医学生理学賞に山中伸弥氏 iPS細胞作成
毎日新聞 10月8日(月)18時39分配信
スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、12年のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)に授与すると発表した。授賞理由は「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」。山中氏は06年、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功。拒絶反応の少ない再生医療や難病の仕組みの解明などにつながる革新的な功績が評価された。最初の成果が米科学誌に掲載されてから6年余りという異例のスピード受賞だ。
山中教授はこの日、午後8時から京都市左京区の京都大で記者会見。「私たちの本当の仕事は、しっかり研究を進め、iPS細胞の医療応用を果たすこと。これからも本当の仕事を進めていかなければならないと思った。難病を持っている患者さんには、希望を捨てずにいてほしい」と決意を語った。
日本人の受賞は10年の鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授の化学賞に続く快挙で、医学生理学賞の受賞は87年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来25年ぶり2度目。今回の受賞で日本人の受賞者数は、米国籍の南部陽一郎氏=08年物理学賞=を含め19人(医学生理学賞2、物理学賞7、化学賞7、文学賞2、平和賞1)となる。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデン・クローナ(約9800万円)が両氏に半分ずつ贈られる。
【略歴】やまなか・しんや 1962年大阪市生まれ。87年神戸大医学部卒。国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)整形外科で臨床研修をした。89年大阪市立大大学院に進み基礎研究に転向。93年に米グラッドストーン研究所に留学、本格的に胚性幹細胞(ES細胞)の研究に取り組んだ。
帰国後、大阪市立大助手を経て99年奈良先端科学技術大学院大学の助教授に就任し、iPS細胞の作成を目指す。04年京都大再生医科学研究所教授。08年1月新設された京都大物質−細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長、10年には同センターから格上げされた同大iPS細胞研究所の初代所長に就任した。
08年ロベルト・コッホ賞、紫綬褒章、09年ラスカー賞、10年日本学士院賞・恩賜賞、京都賞など受賞多数。今年6月には優れた技術に贈られる「ミレニアム技術賞」を受賞。08年、米誌「タイム」の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、世界的に話題を呼んだ。
(記事ここまで)
先ほど報道ステーションに山中伸弥教授が出ていたが、終始厳しい表情で古舘伊知郎氏の質問に答えていた。やわらかい質問にも硬い表情がほとんど崩れなかった。受賞のしらせは、家で調子の悪い洗濯機をひっくり返して見ていた時に、携帯電話で届いたという。硬い表情ながら「(ランニング後に飲むはずで飲めなかった)ビールが飲みたい」と言っていた。おちゃめ。
山中教授のiPS細胞については、このブログでも
2007年の11月から取り上げてきた。その後、私の大学の
同級生がiPS細胞から血小板を作ったり、
特許取得で世界の先端を進むのは「独占を防いで正しく普及するため」と表明したり、どれも素晴らしいなあと思って取り上げ続けてきた。
すごいことはわかっていたが、ノーベル賞にはびっくりした。同時に受賞したガードン博士が、アフリカツメガエルの体細胞の核を卵子に入れて細胞の「初期化」に成功したのは、今から50年前の1962年だ。山中教授のiPS細胞は、最初の成果が発表されてから6年ほどしか経っていない。これだけのスピードでノーベル賞を受賞するというのは、それだけものすごい成果と評価されているということだ。
年齢も50歳と、ノーベル賞受賞者の中では非常に若い。これからも成果を積み重ね続けられる年齢だ。また山中教授は、テレビや報道を見る限りでは、手柄を独占するとか儲けを出すとかいう価値観とは縁遠く、人類の幸せにつながることが大切だと思っているように見える。また共同研究者や、成果が出なくても重要な働きをした研究者へも敬意を払う。こういうボスのもとで研究ができる人たちは、幸せだと思う。
おめでとうございます。どうかここまでとこれからの研究が、多くの人たちの幸せにつながりますように。
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