
2010年12月4日(土)午後2時半から、長野県須坂市のメセナホール(須坂市民会館)で、作家で医師の海堂尊氏の講演「Aiと日本の医療とミステリー」がおこなわれました。聞きに行ってきました。

今日は午前中から、メセナホールで「県立病院等研究会」という会が開かれていて、海堂氏の講演はその一環らしいのですが、せっかく来ていただくのだから広く一般の人にも聞いていただきたいということで、一般公開になったみたいです。入場無料。太っ腹。座長(司会)は、県立須坂病院の齊藤博院長。

海堂氏は「第4回このミステリーがすごい!大賞」受賞作「チーム・バチスタの栄光」など、たくさんの医療ミステリー作品を書いています。「チーム・バチスタの栄光」と「ジェネラル・ルージュの凱旋」は映画にもなり、私も見ました。面白かった。「ジーン・ワルツ」は菅野美穂主演で、来年2月公開予定です。
海堂氏の講演、タイトルは「Aiと日本の医療とミステリー」で60分の予定でしたが、前半35分ぐらいは「半生を語る」と「小説を書くようになった理由」など、タイトルとはほとんど関係ない話。でもそれが面白かった。小説家としては素性をあまり知られたくないのかもしれないから、詳しくは書きませんが。
海堂さんは、小説家になるつもりはなかったそうです。Ai(死後画像診断)の普及のために色々な仕事をしていましたが、「チーム・バチスタの栄光」のトリックを思いつき、Aiを使った物語が書けないかと思って書いたら「書けてしまった」そうです。こう書くと「才能自慢?」とか思われそうですが、そのための下地は子供の頃から培われていたようで、もちろん「書けてしまった」という表現は、謙遜か照れの表現なのでしょう。
講演の中で「誰でも一生で一冊は本を書ける」(正確ではありませんが)というようなことを言われていました。これをずいぶん昔に聞いた海堂さんは、書けない時にも「今はその一冊の時期ではないんだ」と思えばいいと言われていました。人生うまく行くこともうまく行かないこともありますが、うまく行かない時は「そういう時もあるさ」と思えばいいということですね。うまく行かないことばかりだとめげてきますが、最終的に人生の辻褄が合っていればOK。

35分ぐらい話が済んだところで、ようやくスライドが動き始めました。日本では死亡時の正確な診断をつける「解剖」の施行率が非常に低く、そのことが日本を「死因不明社会」(同じタイトルの著書もあります)にしている、それは日本の社会にとっても不幸なことであり、殺人事件もこのために解決しないものが多い、と言われていました。
このスライドでは、監察医制度のある東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市での行政解剖数9,135に対して、それ以外の地域では480という数字が示されました。「その他の地域」の死亡の方が圧倒的に多いのに、解剖数はわずか20分の1。この中には、かなりの数の死亡が「死因不詳」として含まれていることになるのでしょう。悪い人がちょっと頭を使えば「完全犯罪なんて簡単」なのが、日本の社会の現状です。

これを少しでも改善するのに役立つのが「Ai」です。解剖はご遺体を傷つけるため抵抗を感じる方が多いですが、Aiはご遺体を傷つけることがありません。Aiを使っても死因が特定できない場合には、解剖した方が良いという説得がしやすくなるとも言われていました。
今日の話は、医療関係者でない人が半分ぐらい(かな?)だったので、医学的な詳しい話は省いたのではないかと思いますが、Aiをうまく使っていけば「日本の不幸が減らせるんじゃないかな」と思ってもらうのには、ちょうどいい力加減の講演だったと思います。小説も映画も面白いので、よかったらみなさん読んでみて、見てみて下さい。
☆ ☆ ☆ ☆
水を差すようで書こうかどうしようか迷ったことを、やっぱり書きます。
Aiを普及させる時に、一般の人に心理的な抵抗を感じさせるのは「生きた人を検査する機械(CTやMRI)で死体も検査する」ことではないかと思います。こう書くとピンと来ないかもしれませんが、言い換えると自分が検査を受ける時に「ここに死体が寝たかもしれない」というところで検査を受ける可能性が出てくるということです。
Ai専用のCTやMRIが各医療機関で用意できるとか、地域のAiセンターにそのような機械を用意するとかできればいいのですが、数十年にわたる医療費抑制政策で、そんなお金がある病院はありません。なので、通常の医療機器を使うことになると思うのですが、それは嫌だという人は少なくないんじゃないかと思います。「人が死んだ賃貸物件には借り手がつかない」のと同じような心理です。
そこに目をつぶって「Aiはいいよー」と普及を進めていくと、何かのきっかけで多くの人がそれに気がついた時に「えっ、それは嫌だ」という流れが起きてしまわないかと心配です。「いや、そんなの当たり前じゃない。気にしないよ」という人がほとんどであれば、それはそれでいいですが。
これからの20年ぐらいで、日本の年間死亡者数は1.5倍ぐらいに急増します。これはどうあがいても避けようがありません。最近は本や雑誌でも「社会に老いと死を取り戻す」動きが活発になってきていると感じますが、日本が「死因不明社会」から脱出するためには、「死についてさまざまな角度から考え、見つめていく」ことが必要だと思います。そのような流れの一環で、Aiについても受け入れてもらえるようになればいいなと思います。
↓このメアド欄はセキュリティが低そうなので、書かない方が無難です↓