いや〜。ブログ、毎日書きたくなるくらい色々発見や感激があったのだけど、その日に書かないと溜まってきちゃう・・。そしていつのまにか書く時間をうしなっちゃう・・。忘れないうちに近々書きたいと思うけど、今日は今日のことをまず書こう。
久々に熱くなったアート話。
私は職場の美術施設では、年に2本の企画展と数本のワークショップの企画を担当している。展覧会を企画しているけど、学芸員の資格はもっていない。私の名刺には「美術専門補助員」というなんとも頼りない肩書きが付いている。「補助」なので、大抵初対面の人には不信感を与えてしまう。。。「まかせて大丈夫かな」・・的な。
肩書きは契約上変えることが出来ないので、とにかく話す機会を増やして、信頼関係を深めることにしている。それしか手段がないから・・。いまの仕事はすべて現場仕込みである。
私はアーティストとしても活動する自分の今の立場だからこそ持っている、ネットワークやアイディアを使って、精一杯熱く企画していきたいと思っている。その熱意は絶対妥協がないといえる。
今日は久しぶりにアートを熱く語り合った日だった・・・。
自分が秋に担当している企画展にアーティスト・イン・スクールというものがある。
簡単に言えば、市内の小・中学校にアーティストを派遣し、学校では出来ない特別授業を行なってもらうものだが、年々企画を担当していくうちにこの事業自体に必要なこととは何か?また、どのようなプログラムを立てていくべきか・・がわかってきた。
そもそも近年の「地域に密着したアートイベント」や「出張アート」はイベントごとで終りがちだったりする。その場だけ盛り上がって、終った後は特になにも残らないような。。受け入れ側もアーティストにお任せ・・。そんな傾向が「もったいない!」とおもっていた。
昨年より、学校側に共犯者(正しくは、共同主催者)となってもらい、事業全体に取り組む責任感を持ってもらうことにした。
本日、実施校となる中学校へ、派遣するアーティストの池田一氏とともに挨拶へいってきた。池田一氏は以前から私のブログでも取り上げたことがあるが、『水』を資材に世界の環境問題を問う、アーティストだ。
ここで、『水』を素材・・と書かないで、資材と表記したことには意味がある。
資材とは、「ものは、どこからやってきて、どこへゆくのか?」
そこまで考えることができるニュアンスをもった呼び方なのだ。
この場合においての素材という呼び方は非常にエゴ的だと感じるわけである。
彼の作品は
『水』を素材に、なにか『もの』をつくるわけでなく、
『水』を資材に、『こと』をつくる(あるいは提案する)人であるのだ。
今回学校では、校長・教頭先生をはじめ、学年主任・教務主任・美術、理科、数学・・といった先生方が説明会に参加してくださった。
私は池田一氏とは6年前より関りがあるので、彼のアートに対する想いや制作スタイルはおおむね理解しているとおもっている。そこで、彼のような美術の枠だけではとらえきれない、スケールの大きなテーマをもった活動は、多角的にとらえてこそ意味があると感じたので、関われる教科全ての先生に協力を求めた。池田氏の活動に興味をもった先生方から今までにない新たな提案があふれ出し、すでにこの事業は秋まで待てないようすで動き始めた。
私は池田氏の
『アートは社会を見るためのレンズである。レンズは社会をおおきく見せてくれる。私の仕事はそのレンズを磨く事である。』という言葉が好きである。
私の制作スタイルが5年前から急に変わったのは、彼の影響がすごく大きい。
アートがこの世にあることの理由は様々だけど、私は今もっともこの考え方に共感している。

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