先日数箇所、展覧会を見てきました。
その中で印象に残ったものを二つばかり。
国立新美術館で行われている「アーティスト・ファイル」
これは国立新美術館の学芸員数人がそれぞれ今の時代をリードするアーティストを
集めてきたものである。正直、入場料1000円は高いという印象だった。これは、観る人がかなりアートを解釈できる力がないと、そう思うとおもう。とりわけ、ノンタイトルの作品も多いし、テーマが共通しているわけでははいし、解説があるわけでもない。
また現代の文化や社会・政治などを表現しているらしく、それらを現すように素材の薄っぺらさや、作品そのものの曖昧さが、なんとなく純粋に楽しめない。。「楽しむ」というのは、「面白いもの」っていう意味でなくて、なにも伝わってこなかったから楽しくなかった。ということ。ま、勝手な意見だし、私に解釈をする力が足りないのかも知れないけど。。
かわって、
「タダでいいの??」と凄く得した気分になったのが、ミズマギャラリーで行われている「鴻池朋子展 隠れマウンテン&ザ・ロッジ」である。
http://mizuma-art.co.jp/top.php
5階建てのビル(ギャラリーが入っている)を丸ごと山に見立て、山登りしながら作品を鑑賞していくものだが、様々な起こりうる自然の現象なども含めて、自分と常に向き合いながら自らの想像力で頂上に登る行為は、登山であり、アートを理解する行為である。
作品は一見グロテスクだけど、楽しい要素が満載なのだ。彼女の作品に出会うと、自分のちっぽけさを一度深く感じながら、でも救われる何か希望のようなものが用意されているように感じる。手塚の漫画でも味わうような、諸行無常の世界。それらをユニークに扱っている。
彼女は多くのアーティストとは異なり、おもちゃの会社で製作に長くたずさわっていたらしく、そのせいなのか観客を意識した仕掛けが多い。

←コレは山頂付近で引くおみくじみたいなもので、二つの箱に沢山の白い石が入っていて、登山者はそれぞれの箱から、一つずづ石を引く。一つ目の箱からは、タイトルのようなものが現れ、二つ目の箱からは、そのタイトルにつづく言葉が現れる。二つあわせると、哲学らしき文章になる。
ちなみに私は、「ホワイトアウト」と「〜に閉ざされた惑星」の石を引いた。
・・・「ホワイトアウトに閉ざされた惑星」・・・
う〜ん、なんだか自分の人生だとしたら恐ろしすぎる。
(昔、山の中で霧に飲み込まれ、ホワイトアウト現象を体験したことがある。前後左右天地・・全て分からなくなる恐怖は吐きそうなくらい恐ろしかった。あんな世界に閉ざされたら狂い死にです。)観客はこのようなタイトルをもらって、次の作品のある部屋へ入るというもの。出てきたタイトルによって人それぞれ作品の味わい方が変わる。
いざ山頂へ。
山頂にはテントが張ってあり、その中で寝転ぶとテント内の天井にモニターが釣り下がっているのが見える。見上げたモニターの中には満天の星と、様々な問いかけがポツリ、ポツリと現れてくる。「どうして星はあるの?」、「どうして生きているの?」・・・など普遍的な問いが繰り広げられる。↓

(めちゃくちゃこの空間、気持ちよかった。)
最後に、記念のスタンプをもらい終了。楽しい気分で山を下る・・。
鴻池さんのコメントにもあったが、作品の解釈は、観る人のこれまでの経験によってもとづくものである。また個人の解釈の能力がないとアート作品を解釈することはできない。。全てその人の責任にあると。。。ここまで、大げさなことは書いていなかったかも知れないけれど、結局のところ、その辺りで人は作品を選び、好みを見つけ、理解するのだろう。

PS.この日はタイミングよく、たまたま山頂で行われていた「鴻池朋子オリジナル哲学かるた大会」にも参加できました。飛び入り参加で、ずうずうしくも勝ちました!

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