Hisayoshi Art-Land Lab.3遊具的アート空間を探る実験室会期延長のお知らせ。
*10日までの予定でしたが、会期を
13日(金曜日)まで延長いたします。
まだご覧になってない方は、是非足をお運びください★
さて、ブログでも旅の記録を公開します。といっておきながら、すっかり遅れていました。。というか、この展示をブログで説明するのがとても難しい上に、とてもデリケートな内容なので、戸惑っていた・・・。というのが本音。
でも、少なからず、このブログを毎日遠くから見てくれている人もいるので、
簡単ではあるが纏めたいと思う。

先月のArt-Land Lab.2
〒Post to post〒 では、野外にポストを設置して、「あなたの手紙をヒサヨシが日本全国どこまでも届けに行きます!」という、いわばリアル郵便(飛脚)の宣言!?でした。
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結果一通の手紙が届いていた。行き先は「和歌山県田辺市」(白浜寄りの紀伊半島下のう。)
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そして、旅の直前に手紙の差出人と話をすることが出来た。その人が手紙の相手を想って話す表情を見て、私はどうしても届け先の人に会いたくなった。そこで差出人の方にお願いして
お会いする“場”を設定してもらった。(詳しくは、過去のブログを参考に。)
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そして、この旅にもう一つ、重要な計画が生まれた。今回行くことになった和歌山県が私(ヒサヨシ)の父方の出生地であったことが分かり、自分のルーツを探る旅へと発展したのだ。その手がかりとして
生まれて初めて父から手紙をもらうことになった。
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ヒサヨシは3泊4日(夜行列車も含む)をかけて、父親の手紙に書かれた、思い出の浜(現在は埋立地になっており、全く面影はなく、貯木場や工場地帯そして国道と化していた。)へ足を運んだり、紀伊半島地震でとても怖い思いをしたという、父の幼少時代の住んでいたまちを、約60年前の様子を
父の手の文面より思い描きながら歩いた。
そして、その後本題の手紙の届け先である「田辺」へと向かった。
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田辺(最寄り駅は紀伊新庄)は予想以上に遠かった。無人駅で、手元の地図も物凄くアバウトな所で終わっていた。届け先の住所が一体何処なのか?結局、地元の人に聞きながら探した。
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-2007・3・21 pm:2:00-
ようやく、役目を果たすことができた。受取人の○○氏にまず言われたことが「ほんまに、来た!」だった。(笑)○○夫妻はこの奇妙な郵便配達に多少の不振感は持っていたかもしれないが、大変快く迎え入れてくださり、約6時間、共に語り・笑い、興奮しすぎて何を話したのかうまく思い出せないが、とても在り難い話ができたように思う。
この〒Post to post〒では、始め私一人が、色々なことを感じて動いているとばかり思っていた。しかし、結果的には多くの人が何らかの影響を受けているように思う。
この一見不自然そうな、
設定された出会いは、「これまでの人との交差を繰り返す中で、長い時間を経て導かれているもの。」という見方をすることができ、必然性を持った自然な出会いとも言える。そして、この奇妙な驚きという「遊び的感覚」を通して、新しいミュニケーションが生まれたのだ。また、なによりもこの出会いや感動が流動してるところにアートを見出すことができるのではないかと思う。
私は現在Art-Land lob3展で、旅で撮影した写真と、父から受け取った手紙、また、ヒサヨシが旅で出合った人に送った手紙で編成されているが、これらは作品というのでなく、「記録」あるいは「痕跡」であり、むしろ作品は見にみえないところで動き続けているのだ。
〒Post to post〒
to
“person to person”

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