梅棹忠夫の「実践・世界言語紀行」岩波新書1992年 を読んだ。著者は民族学者として世界各地を歩いたが、その際現地の言葉を学び、実際に用いてきた。その数は数えきれない。
北京語は英語で Mandarin というが、語源は満大人(満州族の高官)である。客家族は4000万人の人口を持つ大勢力で、巨大な円形の集合住宅に住んでいる。(私も行ったことがある)。
唐詩などを読むと、現代の北京語では平仄に合わない点が出てくる。ところが客家の言葉で読むと見事に平仄があう。客家の人たちは自分たちの言語こそ正当な中国語だと自負している。
スワヒリというのはコーストという意味だった。それに対してアップ・カントリー・スワヒリというのができて、簡略化されている。ケニアの首都ナイロビが中心である。
フィンランドというのはスエーデン語である。フィンランド語ではスオミという。
最後に日本語について、標準語を決まっていないし、正書法も決まっていないが、こんな言語は文明語の中で日本語だけだ。これをなんとかしないといけないと言っている。

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