喜多由浩の「満州文化物語」集広舎 昨年刊 を読んだ。
旧満州については、「中国人の土地を奪った」とか植民地統治をしたという、負のイメージで語られることが多いが、一方で鐡道を敷き、学校や病院を建てたのも事実だ。企業の社宅は煉瓦造りで、暖房・水洗トイレが完備していた。私の家もそうだった。
満鉄の特急列車「アジア号」は冷暖房完備、内地の特急「燕」より15キロも速かった。これは哈爾浜までだが、そこからシベリア鉄道に乗り継いで巴里、倫敦へつながっていた。
三船敏郎、山田洋次、東海林太郎、赤塚不二夫、ちばてつや、安倍公房などが満州育ちである。朝比奈隆はハルビン交響楽団の指揮をしていた。これらの芸術・文化人に満州出身・満州育ちが多いのは果たして偶然だろうか。
満州に日本人が残した名建築の数々。それは当時の内地(日本)をライバル視するのではなく、世界を目指したものだった。当時の満鉄には東大建築学科の出身者が4人もいた。ヤマトホテルなどの名建築は今なお中国で使われている。
著者は産経新聞の編集委員で、細かな事実をよく調べて書いている。

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