梅棹忠夫の「行為と妄想」2002年 中公文庫 を読んだ。日経新聞に連載した「私の履歴書」に大幅加筆したものである。著者は文化勲章を受章、64歳で失明するが、2010年に90歳で死去した。
彼は山岳部に入り、中国東北部からモンゴルをはじめとする探検隊に参加した。その後世界各地に探検に出かけて、多くの知見を得た。
各種の会議を組織し、その間に得た先輩・同僚など、多くの人脈を駆使した。柳田国男、湯川秀樹、桑原武夫など枚挙にいとまがない。日本万国博覧会を成功させ、千里の国立民族学博物館を築き上げ、その初代館長になった。
桑原先生には言われた。「学問上の論戦は結構だが、かならず相手の退路をあけておけ。それによって、相手は面目を保ったまま退却することができる」これを守るようにした。
ローマ字運動に昔から熱心だった。とくに失明してからは、すべての日本語を音だけで理解しなければならなくなった。耳で聞いて意味が分かる日本語であればいい。そういう言語に日本語が育ってほしいという。梅棹氏の文は、失明する前から、そういうことを実践しておられた。「わたしの経歴について、ずいぶんおかしなうわさがおこなわれていることを知っておどろいた。」という調子である。
私も、「しあん」と言ってから「こころみのあん」と繰り返さないといけないような日本語は淘汰するべきだと思う。

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