井上章一の「京都ぎらい」朝日新書 を読んだ。井上氏は京都・嵯峨で育った。嵯峨も太秦も「洛中」ではなく、「洛外」である。そういう地域を「洛中」の人は馬鹿にする。京都の太秦こそが日本映画の礎を築き上げたといいたがる人に出会うことがある。そういう人の話を聞くたびに、井上氏の心はささくれだつ。京都の太秦やて。どうせ本音では、あのあたりのことを京都の外側やと思うてるくせに、よう言うわ・・・
京都コンサートホールは磯崎新氏のモンローカーブを壁面にとりいれた先鋭的な設計である。これをある雑誌が写真を掲載したいと言ったら、3万円を払えと言われた。公共建築なのに、おかしい。どうもお寺の写真が掲載される場合も3万円ほどらしい。それに倣ったのだろうか。
明治維新は、自分たちがほろぼした政敵の鎮魂につとめていない。慰霊の対象としたのは、いわゆる官軍側の戦死者だけである。自分たちの味方になって死んだ者の霊だけ靖国神社で合祀した。
日の丸や君が代は、東京が首都になってからうかびあがった、新出来の象徴でしかありえない。嵯峨が副都心だった平安鎌倉時代には、まだできていなかった。どうして近頃の政権は、ああいうものを国民におしつけたがるのだろう。
その他、寺院の拝観料さわぎや、室町通のかつて一大動脈になったいきさつなど、たくさんの問題を心地よい筆致で書き連ねている。

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