Inter omnes qui recentibus diebus Latine scribant, certe ego pessimum esse puto. Sed dum vivo, hujus linguae peritus fieri non potero. Itaque sententias mendis plenas hic scribam.

2006/5/5

アッシジの聖フランチェスコ伝  

これまでここではラテン語のテクストを訳したりはしてこなかったのですが、最近、ヴォラギネの『黄金伝説』をよく読むようになり、けっこう面白いのではまっています。ということで、聖フランチェスコ伝から鳥と話をする部分を抜粋してみました(ここ以外にもあります)。でも、鳥と話ができるというと、つげ義春の「鳥語が分かる李さん」をつい思い出してしまうのですが・・・。

Beatus Franciscus columbina simplicitate plenus omnes creaturas ad creatoris hortatur amorem, praedicat avibus, auditur ab iis, tanguntur ab ipso nec nisi licentiatae recedunt; hirundines, dum eo praedicante garrirent, ipso imperante protinus conticescunt.
聖フランチェスコは鳩の簡素さに満ち、被造物すべてを創造主への愛へと差し向け、鳥たちに説教すると、彼は鳥たちによって聞かれ、鳥たちは彼に触れられ、許しがでるまでは立ち去らない。つばめたちは、彼が説教をするときにさえずっていても、彼が命じるとすぐになきやむ。

Cum apud castrum Alvianum praedicaret, propter garritus hirundinum ibidem nidificantium audiri non poterat. Quibus ille: "sorores meae hirundines, iam tempus est, ut loquar ego, quia vos satis dixistis; tenete silentium, donec verbum domini compleatur." Cui continuo oboedientes protinus conticuerunt.
アルウィア城のもとで彼が説教をしていたとき、そこをねぐらにしていたたつばめたちのさえずりのために、聞き取られることができなくなった。彼はつばめたちに、「私の姉妹、つばめたちよ、もう私の話すときがきた。なぜなら、おまえたちは充分話したからだ。主の言葉が終わるまで沈黙を保てよ」。つばめたちはは彼にただちに従い、すぐに静まった。

聖フランチェスコは鳥だけではなく、蜂や蝉などの昆虫にも親しく話しかけたようです。fraterno nomine animalia cuncta vovabat(彼は、兄弟の名をもって、あらゆる動物に呼びかけた。)との一節がでてきます。以下は蝉とのやりとり。

Apud Portiunculam iuxta eius cellam cicada in ficu residens frequenter canebat; quam vir Dei manum extendens vocavit dicens: "soror mea cicada, veni ad me." Quae statim oboediens super eius manum adscendit. Cui ille: "canta, mea soror cicada, et dominum tuum lauda!" quae protinus canens nonnisi licentiata recessit.
ポルティウンクラの彼の房の脇に、無花果の木を住処とする蝉がしきりに鳴いていた。神の人が手を差し伸べこう話しながら呼びかける。「私の姉妹、蝉よ、ここへおいで」。蝉はすぐにそれに従い、彼の手の上へと舞い降りる。蝉に彼は「歌え、私の姉妹、蝉よ、お前の主を褒め称えよ」。蝉はすぐに歌いだし、許しが出るまでは立ち去らなかった。

改めてテクストをみてみると、時制がかなり混乱している感じを受けます。最初の鳥の部分は、現在形で書かれているのにdumに導かれた複文中では接続法現在ではなく未完了になっていたりとか、蝉の部分になると今度は未完了過去と完了になったりとか。これまでに読んだ5、6篇の他の聖人伝では完了時制がメインだったように思うので、こういうところを読むとおやっと思います。

なお、関連のネットリソースとしては次のようなものがあります。

ラテン語版テクスト(The latin Library)聖フランチェスコ伝は全体のごく一部のみ抜粋。
フランス語版テクスト(Livres Mystiques)
1902年版。ラテン語原文にかなり忠実。スキャナーで読み取ったままなので、句読点などがめちゃくちゃ。
英語版テクスト(Catholic Forum)
15世紀のイギリスの印刷業者Caxtonによる版。ラテン語原文からの逸脱がかなり見られる。フランス語からの重訳らしい。また、15世紀の英語なのでかなり難物。
この場面を描いたジオットの絵

というわけで今日の御題は鳥ではなくて蝉。

蝉鳴や行者の過る午の刻(蕪村)

cicada canit
eremita cedit
meridie

une cigale chante
un ermite passe
il est midi

una cicala canta
un eremita passa
E mezzogiorno

と書いてみると、この行者がなんとなく聖フランチェスコのように思えてこなくもなかったりするところが面白く感じます。

さてこのcicadaというラテン語ですが、Pianigianiの語源辞典によると、ギリシャ語で蝉の鳴き声を表すκικと「歌う」を表すαΔωが組み合わさったものとの説明があります。少々こじつけっぽく感じなくもないのですが、いずれにせよ、いかにも擬音語起源らしい語であることは確かで、「キーキー鳴く虫」とという捉え方をしたのだと思います。Dauzatの語源辞典では、フランス語のcigaleはもともとプロヴァンス語cigalaから入った単語としつつ、蝉のことを南仏に固有の昆虫と説明しています。ようするにイル・ド・フランスにはいなかったのでそれを指し示す語もなかったということのようです。肝心の発音はというと、ラテン語では「キカラ」。Kの音が繰り返されていることで、擬音語的性質が色濃く感じられます。それに対して、フランス語、イタリア語ではそれぞれ、「シガル」と「チカラ」。こうなってしまうともう、蝉の鳴き声とは程遠くなります。その他、イタリア語やプロヴァンス語になる過程でDがLに交替している点や、蝉が鳴くの「鳴く」にあたる語がいずれも「歌う」にあたる語である点も面白いと思います。
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