2007/8/28
外は暗い。
僕は走る。
月が見えない。
あるべき光を求めて土地勘のない道をひたすらに走った。空を見上げながら、何度も足をもつれさせながら、黒い雲の隙間から漏れる月の光を探し続けた。駅と反対方向に、どこかに月の見える場所を求めて、坂道を下ったり上ったり、ただひたすら……光を求めて。
空が白み始める。急がなきゃ。早くしないと夜が明けてしまう。月を――僕を探さなくては。そして僕の存在を示し続ける光を――太陽を見つけなければ。
夜が明ければ太陽は昇るのに、太陽を見つけなきゃ、と思いながら宵闇の月を探した。太陽だけじゃ駄目なんだ。僕の存在が天音を示すように、月があって初めて僕は太陽の光を感じることが出来るんだ。だから月を――太陽に照らされる月を見つけなきゃ駄目なんだ。
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外は暗い。
僕は走る。
月が見えない。
あるべき光を求めて土地勘のない道をひたすらに走った。空を見上げながら、何度も足をもつれさせながら、黒い雲の隙間から漏れる月の光を探し続けた。駅と反対方向に、どこかに月の見える場所を求めて、坂道を下ったり上ったり、ただひたすら……光を求めて。
空が白み始める。急がなきゃ。早くしないと夜が明けてしまう。月を――僕を探さなくては。そして僕の存在を示し続ける光を――太陽を見つけなければ。
夜が明ければ太陽は昇るのに、太陽を見つけなきゃ、と思いながら宵闇の月を探した。太陽だけじゃ駄目なんだ。僕の存在が天音を示すように、月があって初めて僕は太陽の光を感じることが出来るんだ。だから月を――太陽に照らされる月を見つけなきゃ駄目なんだ。
見つけなければ。
僕が壊れてしまう。
僕は走る。
どこまでも、足をもつれさせながら。
高台へ。
太陽に手が届く場所へ。
坂をひたすらに登り続けると不意に視界が開いた。丘の終着点に来てしまったようだ。
荒い息を整えながら空を見上げた。やはり月は見えなかった。
「……どうして……」
僕はもういないのか?
西島千尋でありながら彼を殺そうとした報いなのか?
普通の高校生でありながら殺意を抱いた罪なのか?
その場にずるずるとしゃがみ込んだ時、微かな振動にジャケットの裾を握り締めた。
――携帯。
震えながらポケットをまさぐり、いつまでも鳴り止まない携帯を開いた。かけてくる人間はほんの僅かだが、番号を表示しない人間は一人しか心当たりがない。そいつは今、最も話したくない人間だった。
「――ようやく繋がりましたか」電話の主は相変わらずの口調で「これで繋がらなかったら緊急事態を想定していたところです」
「……あんた、最悪だよ」僕は言う。「僕が一番、話したくない時にかけてくるなよ……」
「何かあったんですか?話し方がいつもと違いますよ」
うるさいな。何でもないよ。あんたに話すことじゃないし、あんたにだけは話したくない。
そういえばこいつはあっさりと「では失礼します」と電話を切るだろう。そういう男だ。執着する癖に干渉しない。こいつの目的はお嬢様の遺言を全うすることだけで僕の人生を導くことじゃない。
それでも、電話を切らなかったのは何故だろう。
「月が見えない」
「え?」
「月がさ、ないんだよ。どこにも」
「……今日は確か、朔月ではありませんでしたか?月は見えません」
「サクゲツ?」
「月の満ち欠けはご存じでしょう。新月のことですよ」
「ああ、それでか」
ない物を探したって見つかるはずはないか。
つーか、だったら最初から新月て言えばいいじゃないか、クソ。
「月がどうかしましたか?」
「……ある人に」カオルの顔が浮かぶ。「月がどうして輝くのか、と聞かれたんだ。僕は『太陽の光を浴びているからだ』と答えた。でも別の人間は『それは太陽に光であって月の光ではない。だから、月がどうして輝くのか、という問いの答えは、月は輝いてなんかない』て言うんだ」
「――失礼。話の筋が見えませんが」
「月は苦しくないのかな。真実、そこにあるものなのに、存在を示す為に太陽に光を借りなくちゃいけないなんて。満ちることも欠けることもなく、本当はそのままの姿でそこにあるっていうのに、巨大な光のせいで削られていくし」
何があったのか存じませんが、と前置きをして、睦月は今の夜空ように暗い僕の心に小さな光を投じた。
「私ならこう答えますよ。――月は衛星だから輝く」
「だからそれは太陽の光で」
「月だって輝いているんですよ」
「――嘘?」
「嘘じゃありません。学校で……高校ではもう習いませんか。月も自分で光を発しています。太陽の光が強すぎて夜は判りませんが、昼間にだって月は見えるでしょう?あれは太陽の光ではなく月の光です」
「昼に月なんか見たことないよ」
「月だけじゃなく、明るい空を仰いだこともないのではありませんか?」
「……うるさいな。じゃあ何か?僕の答えもあいつの答えも正答じゃなくて、あんたの答えがテストなら花マルもらえるって?」
「そんな問題は高校の試験には出ないのではありませんかね」
「テストでもなぞなぞでも何でもいいよ」
相変わらずヤな奴だな、と心の中で毒吐いて、僕はもう一度、空を見上げた。暗闇は色を失い横から藍色に染まっている。グラデーションの空の下に、地球の裏側からやってきた太陽が真っ赤な顔を出し始めていた。
「ねえ西島さん」睦月の声は優しい。「この世で唯一、自分のものなのに、他人が最も利用する物はなんだと思いますか?」
「……なぞなぞかよ」
「そうですね」
太陽を睨みつけながら数分、考える。しかし昇りきる前に「判らない」と降参した。
「それはね、自分の名前ですよ」
「名前?」
「学校へ行けばみんなあなたの名前を使うでしょう?友人も教師も。キャッシュカードもクレジットカードも、あなたの名前を提携会社が使っているから、西島さんが利用できるんです。面白いですね、自分しか持っていない物なのに自分以外の人間が多く利用するなんて」
「――何が言いたい?」
「月も同じことですよ。自分だけの光では到底、私たちに存在を示すことは出来ない。太陽の光を利用して自分を主張している。……西島さんが西島千尋でありたいなら、西島千尋として生活することが最善の方法なのです」
「逆説の逆説は真説なり、てことか?」
「ですから、余計なことは考えない方が賢明です」
口調は、いつもの彼からは想像もつかないほど穏やかで優しかったが、僕に一切の思考をシャットダウンさせてしまうほどの強さを持っていた。
「あなたはお嬢様の遺言を受け取り、西島千尋として生活することを選んだ。ならば過去の自分や周囲の人間との違和感など構わずに西島千尋としての人生を生き抜かなければならないのです。ご自分を月だと言うのなら、お嬢様の――太陽の光を浴びて輝き続けなさい。他人の力を借りて生きることなど誰もがしていることです。あなただけが特別ではありません」
「……西島千尋そのものが偽りだとしても?」
「あなたが生きている以上、西島千尋は偽りではありませんよ。同様にベビーフェイスとして生きていたあなたも偽りではありません」
「金目当てに数えきれない人間を殺した奴でも?」
「最低の人間ですね」しかし笑いながら「けれど、ベビーフェイスとしてのあなたが存在しなければお嬢様と出会うこともなかった。違いますか?」
「……あ」
「ベビーフェイスとしてのあなたは確かに最低だったけれども、最悪ではありませんでしたよ。だからこそ、きっとお嬢様もあなたの未来を西島千尋として輝かせ、ベビーフェイスを連れて逝ったのではないでしょうか?」
「最低だったけど最悪じゃない――それって褒められてるのかな?」
「いいえ」
即答だった。
何だよそれ、と口を尖らせてみたが、ようやく、ほんの少しだけ、笑うことが出来た。
「悪かったよ」素直に謝った。「その……心配かけたこととか、長話したこととか、さ」
「私でよければいつでも相談に乗りますよ」
「……遠慮しとく。あんたに話すと全部が弱みになりそうだから」
「そうですか?――では、心に秘めているだけで苦痛を感じるような時は、月に祈ってみたらどうですか?」
「はあ?」
「月は欠けていきます。あなたの苦しみも少しずつ欠けていき――新しい何かで満ちていくといいですね」
起床の時間なので、と言うと、睦月は一方的に電話を切ってしまった。
「……起床の時間て、もう起きてんじゃん」
彼にとっての起床時間というのは、きっと勤務時間のことなのだろう。さすがに仕事の虫だ。苦笑しながら不通になった携帯をジャケットにしまう。
空は白み、月は見えない。――それでいい。西島千尋を輝かせるのは月ではなく太陽なのだから。
それでも、僕が僕でいる為に、月も必要なのだろう。
星も消えた朱色の空を仰いだ。
――月よ。
目を閉じる。
今日は見えない――だけどこの空のどこかに存在する月を思う。
――もしも、僕が僕自身に迷った時は、優しく進むべき道を照らしてくれ。
――月が僕だというなら、その光で僕がここにいるのだと教えてくれ。
――その後ろにある太陽の光を示してくれ。
――僕が天音と共に生きているのだと教えてくれ。
目を閉じて、祈り続ける。
月に祈る。
<月に祈る・結>


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