2009/6/21
空想に生きる 貝殻これくしょん

本欄に時々引っ張り出す吉田健一、その短編『辰三の場合』の冒頭に-----小説の書き出しとしては、はなはだ掟破りでアナーキーだが-----次のような部分がある。
小説というものは妙なもので、空で小説を書くことを考えていれば、言葉が幾らでも頭に浮かんで来て繋がる。
丹念にノートなどを取ってから仕事に掛かったところで、ノートはノート、それを使って始めたつもりの仕事はまた別なもので、言葉に弾みが付いてノートに書いてあるのとは反対のことが出て来ても、それでは話が違うからというので引っ込めるのも惜しい気がすることがある。ノートを取っている時は、そう何にでも眼が配れる訳ではないので、それが出来る位なら、そんなことをしなくても書ける。つまり、どっちにしても、ノートなどというものは当てにならなくて、話が頭の中で決まっていても、いなくても、書き出せばその通りに行かなくなる。言葉に弾みが付くというのは、漸く何か感じが出て来たことで、そうすると人物の方も勝手に動き始めるだろうし、それが小説家、あるいは小説家は違うならば、小説の読者の念願である以上、小説家も人物の勝手にさせて置く他ない。それ故に益々ただ書いて見るだけのことなのである。
人が『書くという行為』の門を叩く時の心構えについて書かれた文章としては、世界一わかり易いものだと思う-----相変わらず、吉田特有の悪文ではあるが.....。
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文章を書く者にとって『辰三の場合』は、行き詰まった時の解決策をも兼ねる-----とにかく、ただただ、ひたすらに書くこと-----これは、もう哲学の領域。
“Daydream Believer” さねよしいさ子 + 渡辺香津美
FINIS







