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2009/11/4

酸辣湯麺に誘う時  きみがいる時間

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「サンラータンって言うのが正しいのかスーラータンて言うのが正しいのか、良く分からないけど、あの酸っぱ辛いスープの麺が、とっても美味しいお店があるのよ」とふたりで出かけた市民祭の帰り道で朋子が言う。
「それって酸っぱい、ラー油の辣にお湯と書くやつね。あれって好き好きがあるみたいだけど、好きな人はトコトンはまるらしいよ」と僕。
「普通、辣油は好みで垂らすらしいんだけど、私が知ってるそのお店のは、スープの表面が辣油で真っ赤っかよ。それにお酢が嫌いな人は湯気も吸い込めないくらい酸っぱいの。それでもお店のオバチャンに聞くと、本場の四川には、もっとすごいのがあるそうよ」

 にわかに話が面白くなってきた。

「そのお店って、これから行けるようなところにあるの?」と聞くと、
「そう言うと思った。帰りのバスを途中で降りるだけだから、勿論これから行けるよ」朋子がニヤッと笑う。

 ランチは、二時間以上前に市民祭に知人が出していた店のホットドッグと珈琲だけだったから --- 酸辣湯麺 --- すでに食べる気満々。

「じゃあ、行こう!」 そう言って僕は、朋子の背中を押したのだった。



"Begin The Beguine" Julio Iglesias


FINIS
 

2009/11/3

きみの名前  のようなもの

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そして、きみの名前、
せめて、それくらい聞いておくんだったと、
今は悔やむことしきり。



"I'll Never Find Another You" The Seekers


FINIS
 

2009/11/1

不覚にも....  貝殻これくしょん

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 最近、不覚にもハマッタのが、アメリカの禁酒法時代の密造バーボンを再現したモノ。蒸溜して樽に殆ど寝かせることなく、そのまま1sのマヨネーズの瓶というか、蜂蜜の瓶というか、ピクルスの瓶というか、兎に角そんなよくある保存瓶入れてあるだけの透明に近い液体 ---- でも、ラベルに「30日くらいは寝かせてあるよ」とわざわざ書いてあるところが笑ってしまう。味は、言わばトウモロコシ焼酎。不味いから味わったりせずにサッサと喉の奥に放り込んで酔ってしまうのが良い。映画『大脱走』でマックイーン達が隠れて作っていたのもこんなモノなんだろう。
 変な商品を作るやつもいれば、買って飲むやつもいる、アメリカもまた不思議な国。オイラも負けず劣らずではあるが....。



アメリカの『貧民ハムステーキ』の作り方



"I'm Going Home" Kingston Trio (January 29, 1965)



家に着くまでの間に聴いていたキングストン・トリオ


FINIS
 

2009/10/31

いつも同じ週末  【未定稿 / 加筆・改訂中】

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※テキストは、著者により削除されました。




"Stop The Music" Lenne & The Lee Kings


FINIS
 

2009/10/30


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 詩人の松下育男さんの一昨日のブログに興味ある事が書いてあった。タイトルは『脇道ばかり』。一部だけ抜粋するわけにはいかない文章なので、丸ごと引用すると....、

 当たり前のことだけど、一度書いたものを、再び書くことはできない。処女詩集が優れて見えるのは、だから当然だと思う。二冊目、三冊目と、どんどん輝きが失われてゆくのは、同じ思いを表現するのに、同じ道をたどれないから。って、ちょっと脇道にそれるだけなんだけどね。だから二冊目、三冊目は、草深い脇道ばかり。四冊目からは、見渡すばかりに草ぼうぼう。才能のある人は稀に、いつまでも輝いているように、一見みえることはあるけど、内実はそれほどに、違いはない。だったら処女詩集を出せば、それでもう、いいじゃないかと思う。まったくそう、思う。でも処女詩集を出しても、悲しいかな人生は終わるわけではないから、まだまだ続くわけだから、始めたものはニワカにはやめられない。ほかにやることも見あたらない。だから書き続けてしまうわけだけど、言ってみれば二冊目からは、とっかえひっかえの暇つぶし。だれもがみんなそうなんだけど、荒川さんの詩集を読んでいると、そこのところを隠さずに、アケスケに表しているから、ちょっと驚く。『空中のグミ』(グミは漢字なんだけど、朝の通勤電車の中で、auの携帯では、その漢字が見つからない)って詩集なんか、サスガという工夫がそこここに見えて、荒川さんの知識と、詩の技術が遺憾なく発揮されているんだけど、それでもやっぱり、というか、頑張っている姿が見える分、詩集を出すことの心の分岐点って、なんだろうって、思わずにいられなくなる。ことさら詩集を出すことに、価値を見いだすものではないけど、それでも詩集を出そうと決める瞬間って、オゴソカな気持ちになる。それが見渡すかぎり、草ぼうぼうの道であったと、してもね。

 松下さんは、このブログを殆ど通勤の電車の中で携帯を使って書き、ポスティングするようだ。そういう特殊な時間と場所で執筆しても、そこは詩人の書く文章 ---- 気取らず、平易な表現にも関わらず、端的で濃い内容のスタイルに目をひかれる。その上、毎日詩の事ばかり考えている姿勢も文体同様、手本にしたい。



"Key Largo" Bertie Higgins


FINIS
 

2009/10/27


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 安部公房が生前、小説は決して大説であってはいけないと語っていた。大説は、論文やエッセーの領分であって、小説は、あくまで読者の娯楽のために存在すべきだと言うのだ。国語の教師が好む、文学作品から意味や存在価値を見出す講義というのは、安部に言わせると正解のない議論で、学問的にもさほどの意味を持つことではないらしい。長くて難しい文学作品を書く丸山健二でさえ、インタヴューでは、読者が楽しめるものを書くことを念頭に置いていると言う。
 作家は、作品が自分の手を離れてしまうと、それについて多くは語らないものだ。必然、批評家や学者、学校の先生が、その後を継いで様々な意味付けを試みてくれる。自作について彼等が解明してくれる多くの事柄のうち、作家が執筆当初から意図したものは希少なようだ。

                             ***

 さて、公私共にテンションの低い十月でした。秋という事で、いろいろもの思う事も多かったのが、その訳かも知れません。ひとまず、明るい音楽で気分を盛り上げたいと思います。
 曲は、Sandy Valentino のデビュー・シングル『なぜ?』。彼女については「現在、癌と闘病中」というニュースがパリから届いています。折角の人生なのだから、彼女にもくじけずに頑張ってもらいたいと願ってますよ。



"Pourquoi ?" Sandy Valentino


FINIS
 

2009/9/26

なに聴きよん?  貝殻これくしょん

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 麺通団の田尾和俊が自分のラジオ番組のポッドキャスト版で明かしていた ---- この頃、ジャズを聴くようになり、たまたま徳島で入ったジャズ屋でマスターや常連客と話しができて、
「なに聴きよん?」と聞かれた。
「エリック・ドルフィー(Eric Dolphy 1928〜1964)から CD 買うて聴き始めて....」と答えたら、
「あんた、エライとっから入ったなぁ!」と爆笑されたという。
 ジャズを聴かない人はなんのことだかわからないかもしれないが、ジャンル分けするなら『フリージャズ』、日本で言えば、山下洋輔を手始めにジャズを聴き出したようなもので、素人の入門用としては多少難しく、特異な選択だったようだ。

 思いもよらないルートを経てのめり込むのは、音楽に限らず、文学にも絵画にもあるが、それはキッカケが珍しいだけで、その人が風変わりである証明にはならない。しかし、なんでそんなところから入ったのかと不思議がられることは少なからずある。
 さて、僕は、小学校三年生の夏休みに、余りの退屈から母の本棚にあった堀辰雄の『晩夏』を読んで、ああ、こんなものをいつか書けたらいいなと思ったのが、文学入門の瞬間だった。これはキッカケとしては、特殊なものではないと思う。
 大学生の頃、ある友人と同じ話をしたことがある。彼が文学好きになったキッカケは、花田清輝の『鳥獣戯話』を読んでからだという。その時、阿波弁が話せたら、僕は同じことを言ったかもしれない。
「あんた、エライとっから入ったなぁ!」



“JUST” 桑田靖子


FINIS
 

2009/9/22

ということで  車窓に開く頁

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 ということで、事の顛末は未だ詳細を究めないが、坊主頭にも関わらず、左の耳の穴から短い毛を三、四本生やした普門寺の和尚岸谷何某の蘊蓄によれば、その路傍の土の中から不自然に突き出た大石と件の騒動との関わりは、古文書『摂津怪奇譚』に詳しいとのことであった。



“Girl From The North Country (1964)” Bob Dylan


FINIS
 

2009/9/10

ヒマワリの種の日々  車窓に開く頁

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「食べないか?」とチビで太っちょの自称散文詩人 J.P.カーターがヒマワリの種をくれたのは、州道がコンラッド通りとが交わる角 ---- トラクター・メーカー Buffalo Springfield の大きなサインボードの前でのことであった。
「食べたことないから、口の中で殻なんて剥けないよ」と僕が言うと、
「よし、教えてやろう。こうするんだ」と彼は1ダースほどの種をまとめて口に放り込み、手を使わずに一粒一粒歯で器用に割って食べて見せた。
 殻は直後にプーッという音と共に、空中に投棄される。

 それからだ。ヒマワリの種との日々が始まったのは....。



“I'm Gonna Be Ready” Betty Everett


FINIS
 

2009/9/8

わたし達が大人になった今も  装う想い

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 河川敷の草刈りを見ていた。
 夏草の匂いが辺りに漂う。サイロに積まれる牧草もこんな匂いだろうか。

 田園育ちなら稲藁積みの、
 山育ちなら森木立の、
 海育ちなら潮風の、
 街育ちなら雑踏の、

 そういった匂いは、わたし達が大人になった今も、なつかしい思い出の中にとどまっているだろうか?!



“The Rain, The Park and Other Things” The Cowsills


FINIS
 



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