ついに、家が地面の中に。
この地面の上にポッと乗る。地面から伝わってくる振動から、中に空間があることがわかる。そして、自分の身体が微妙な梁の軋みを記憶していて、中が家だとわかる。
僕らは、手をつける前のこの地面と比べて、この写真にある「ちょっとした丘」を、結果的に作ったことになる。この丘の中にはこれまでいろんなことがあってできた「家」が入っている。元々のアイデアにこの「丘」は無く、技術的に物理的に、、いろんな条件が重なって、結果「丘」になった。アイデアを出した小学三年生の本人は他の点で(窓はないのか。トイレはつかないのか。家の色は白っぽい色がいい。玄関は地上からは入れない。など、数々の)指摘をしたが、地面が「丘」になってしまうことに関しては「これでいい。」と言った。
子どもの夢を叶えるためのプロジェクトというわけではないものの、アイデアを実現するという僕らの作業にとって、特にグランドラインが平にあってその中に家がある状態を体験するというアイデアなのか否か、という点は重要に思えたので、本人になぜ「これでいい」のか聞くと「この丘に気づいて掘り出す人が現れるかもしれない。そしてそこから何かいろんなことが起きる」と応えた。
つまり、このアイデアは、「地面の中の家」にまつわる物語の始まりを示している。アイデア用紙をもう一度みると、地面の中の家の上で人が2人描かれている。「地面の中に、家がある」という状態を造るのではなく「地面の中の家がある」ということから人と人とが関わり合ってって何かがはじまってゆきそうな可能性を示している。ちょうど絵本の1ページ目のようなアイデアなのである(ちなみにアイデアを出した本人の名前は「はじめ君」です)。だからこの「ちょっとした丘」はグランドラインが平であるよりもそれに気づいてもらいやすい。ということだ。
この絵本のはじめのページのようなアイデアは、それができる前にもいろんな出来事と出会い、それが「ちょっとした丘」となってのこった。野菜を両手に持って現場に来た農家のおばさんが、地面の中で作業している僕らに、「いったいこれは何?」と聞く。スタッフはしどろもどろその場で<その何か>を農家のおじさんに応えようとする。地元の工務店の社長さんがの家族や孫を連れてやってくる。近所のおばさんが「これは新聞に連絡しないと」と、新聞の取材を呼んでくる。大工さんがある朝玄関のドアを勝手につけてくれている。
現場では、これは作品ですというフィルターは容易にかからない。地元の人や一緒に造った仲間達が、このアイデアの何か、おもしろいの何か、を共有し、話し合い、考える。

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