「動く標的」The Moving Target(1949)
ハヤカワミステリに採られなかったためもあってかひどく地味な扱いを受けているようだが、本来なら記念すべきリュウ・アーチャー初登場作で、しばしば引かれるアーチャーのキャラクター紹介の「出典」にもなっている。内容的にはいかにもありがちなハードボイルドという印象の荒っぽい活劇になっていて後年のわびしい味わいには乏しいが、金や女に対する辛辣なモノローグが散見されるなどすでにロス・マクらしさの萌芽が目に付くのはやはり楽しい。
「魔のプール」The Drowning Pool(1950)
「動く標的」につづく作品だけに前者に色濃く見られたドンパチ的活劇の要素もかなり残っているが、エディプス・コンプレックスとかエレクトラ・コンプレックスのような道具立てが(後の作品に比べるとうわべだけという気もしないでもないが)すでに扱われるようになり、人間関係の絡みぐあいがストーリーの底辺をなしている点なども、だいぶロス・マク作品らしくなってきているという印象。ラストシーンで警察署長を勤めている人物との間に男どうしの友情を感じさせるエピソードなどは後年のロス・マクにはあまり見られなくなったもので、オプティミックな読み味が意外に快かったりする。
「兇悪の浜」The Barbarous Coast(1956)
かなり後半まで読み進んでもハードボイルドという語感に付きまといがちなギャングの活劇?という印象なのだが、最後のどんでん返しにかかるとだんだんロス・マクっぽいスタイルになってきているというのがはっきり見てとれるようだ。のちの「ブラック・マネー」とも似ているが、愛という名の偽善の暴かれていく過程が物語の展開のひねりになっていて、単に話として意外性があるというだけでなく、人間のひととおりではない内面を描き出していると思う。
「ブルー・ハンマー」The Blue Hammer(1976)
この作品を始めとしたロス・マク後期作品については評価が割れるところだが、少なくともこの作品については中期ロス・マク作品を連想させる複雑なプロット構成で、読んでいて面白いという点では後期作品のなかでもピカイチ。希望を持たせるラストシーンを始めとして全体的に楽観的な印象を受けるのがこれまでの作品に比べてやや異色ではある。ロス・マク本人はどれだけ意識していたのか知る由もないが、リュウ・アーチャーが第1作「動く標的」で悔いを残したところを乗り越えるシーンがあるのが象徴的であるように、リュウ・アーチャー作品の締めくくりとしてふさわしい大作となっている。