2010/11/5
体罰という抑止力 教育・学校・教師
政府やマスコミが繰り返す「教師の教育力の低下」といったたわごとに耳を貸す必要はありません。昔の先生は立派だったというのもウソで、正しくは「昔の先生にも偉い人はいた(そしてもちろん今もいる)」と言うべきです。
フィクションではありますが夏目漱石の「坊ちゃん」を読んでもろくな教師はいませんし、「二十四の瞳」の大石先生なんて現代の教室では瞬く間に学級崩壊を起こしそうな指導力不足教員です(子どもたちのあとを追ってビービー泣きながらついていくようでは話になりません)。
私自身の経験に照らしても、子ども時代、年じゅう酒臭い先生は何人もいましたし、生徒に教科書を読ませているうちに座ったまま眠ってしまった先生や、授業を2時間も潰して勝手な話をする先生、外国人を連れて来たはいいがどう見ても英語がうまく通じていない英語科の先生など、どれもこれも大したものではありませんでした(もちろん大した先生もたくさんいました)。ただ確実にいえることは昔の子どもの被教育力(教育を受け入れる力)は今よりも高く、どんなにつまらない授業でも耐えて静かに聞いていました(今の私は大したものではありませんが、児童生徒のときの私はかなり立派だったともいえます)。
昔の子どもたちはつまらない授業でもよく聞いていた―それに関して、「昔の先生は威厳があった」とか「昔は大学出というのがかなり少なく、そのぶん尊敬されていた」とか、あるいは「家庭が無条件で学校や教師を尊敬していたから」とか様々に言われることがありますが、私個人に関して言えば、おとなしくしていたのは尊敬していたからでも家庭の影響のためでもありません。怖かったからです。とにかく昔の先生はよく殴りました。しかもしばしばそうとう不条理(と当時は感じました)に殴るので、静かにしていないわけには行かなかったのです。
私はいまさら体罰は必要だとは言いませんし、体罰で子どもは育たないという考えに組してもよいと思っています。しかし殴られた子が暴力によって良くなることはないにしても、私のような「普通の子」にとっては、強烈な抑止力として働いていたことは事実でした。怖いから黙っている、殴られてはかなわないから眠らずにがんばっている、そうした中で教師の話を否応なく聞き続け、聞いているからよく分かる、聞いているから話の内容に価値があることが理解できる、そういうことは限りなくあったはずです。
体罰禁止がいけなかったといっているのではありません。体罰を全面的に禁止しようとしたとき、それに代わる抑止力を用意しなかったことに間違いがあったと思うのです。
たとえばそれは「こういうことをしたら、こうなるよ」といった校則の整備と確実な実施(アメリカがこれをやっていて、必要に応じて放校処分にしたりします)、あるいは教員の大量投入による生徒指導・生徒相談の充実(フィンランドがこれにあたります)とかいったことです。
古くて残酷な武器(暴力)を取り上げても新しい武器(制度や人員)を与えなければ、教育という真っ向勝負で負けがかさむのは火を見るより明らかです。
ただし実際の日本の学校では「暴力総控え」の状況にもかかわらず、かなりうまくやっています。
言うまでもなくそれは、現在の先生方が非常に優秀だからです。
2011/12/31 11:51
投稿者:SuperT
2011/12/31 6:42
投稿者:虎八
ご回答誠に有難う御座います。
確かに、教育のハードルは上がりました、
教師だけではなく公務員(役所 警察等)も昔に比べて
態度や姿勢も良くなっていると思います。
昔は今の様にマスコミで報道されたりせず、伝わらなかったので
もっと酷い事も通っていたのだと思います。
唯、正しくなくても人間の本能は怖いから強いから従う、そこで叶わないとなると諦めの境地になり従う、恐怖政治を敷く北朝鮮等は国家レベルでそうだと思います。
私の同級生で気分で暴れ(昭和50年代でした)普通の教師が宿題の提出の有無や私語を注意した事に腹を立て反抗し、
怖い教師の力で枠組みに入り、怖い教師の理不尽な体罰(気合を入れる
弛んでいる)や暴言(白でも黒と云え)も従い、適当に弱い者苛めをするが、怖い教師の存在があるので纏まると云う事で、
彼はこの怖い教師を「叱ってくれる有り難い先生」「今の子は体罰禁止と云うので可笑しくなったあの先生の様な存在は必要」と云います。
前にも申しましたが、私は普通の教師に宿題を忘れたり私語を注意されてもそれは当時から普通に受け容れておりましたし、怖い教師にも基本的な事は聞くが絶対服従は出来ませんでした。唯そうすると前述の同級生の様な性格の人間も居ります、彼等はそれで感情がコントロールされている様です、学校の為と受け容れるべきだったのでしょうか?
確かに、教育のハードルは上がりました、
教師だけではなく公務員(役所 警察等)も昔に比べて
態度や姿勢も良くなっていると思います。
昔は今の様にマスコミで報道されたりせず、伝わらなかったので
もっと酷い事も通っていたのだと思います。
唯、正しくなくても人間の本能は怖いから強いから従う、そこで叶わないとなると諦めの境地になり従う、恐怖政治を敷く北朝鮮等は国家レベルでそうだと思います。
私の同級生で気分で暴れ(昭和50年代でした)普通の教師が宿題の提出の有無や私語を注意した事に腹を立て反抗し、
怖い教師の力で枠組みに入り、怖い教師の理不尽な体罰(気合を入れる
弛んでいる)や暴言(白でも黒と云え)も従い、適当に弱い者苛めをするが、怖い教師の存在があるので纏まると云う事で、
彼はこの怖い教師を「叱ってくれる有り難い先生」「今の子は体罰禁止と云うので可笑しくなったあの先生の様な存在は必要」と云います。
前にも申しましたが、私は普通の教師に宿題を忘れたり私語を注意されてもそれは当時から普通に受け容れておりましたし、怖い教師にも基本的な事は聞くが絶対服従は出来ませんでした。唯そうすると前述の同級生の様な性格の人間も居ります、彼等はそれで感情がコントロールされている様です、学校の為と受け容れるべきだったのでしょうか?
2011/11/30 21:41
投稿者:SuperT@
ワールドカップ女子バレーは4位で惜しいことをしました。しかし1960年代には“東洋の魔女”たちが世界の頂点に君臨していたのに、なぜこうも弱くなったのでしょう。
答えは簡単です。世界のハードルが上がったのです。これを日本女子バレーの攻撃力が下がったという人はいないでしょう。“東洋の魔女”と今回の代表メンバーが戦って“魔女”たちが勝つなどと思う人は一人もいないはずです。
同様に学級崩壊の原因は教育のハードルが上がったことによります。かつて私たちには暴力も罵声もあり、親を呼べば素直に首を垂れて学校へ来ましたし、その親の姿を見て本気で反省する子どもたちがいました。しかし今や、暴力も罵倒も許されず、親の援護も子の素直さも期待できない中で、教師たちは入念な準備と言葉の力だけでクラスを動かそうとします。それは非常に高等な技術であって、誰でもできるというわけにはいきません。その弱い部分で、学級崩壊は起こります。私はそう思っています。
答えは簡単です。世界のハードルが上がったのです。これを日本女子バレーの攻撃力が下がったという人はいないでしょう。“東洋の魔女”と今回の代表メンバーが戦って“魔女”たちが勝つなどと思う人は一人もいないはずです。
同様に学級崩壊の原因は教育のハードルが上がったことによります。かつて私たちには暴力も罵声もあり、親を呼べば素直に首を垂れて学校へ来ましたし、その親の姿を見て本気で反省する子どもたちがいました。しかし今や、暴力も罵倒も許されず、親の援護も子の素直さも期待できない中で、教師たちは入念な準備と言葉の力だけでクラスを動かそうとします。それは非常に高等な技術であって、誰でもできるというわけにはいきません。その弱い部分で、学級崩壊は起こります。私はそう思っています。
2011/11/30 21:37
投稿者:SuperTA
虎八様
>絶対服従し、適度に弱い者苛めをする方が好まれる傾向にあります。
そんなことはありません。
>戸塚宏氏等スパルタ教育を信奉している方からは、私の様なタイプは「越えられない軟弱者」と非難されます。
そういうこともないと思います。
ただし
>所謂荒れた学校の荒れた生徒
間違いなく教師との関係が深くなります。とにかく対決したり向かい合ったりしている時間が長いですから、関係がねちっこくなるのはしかたないのです。
そうした関係性の深まりは、“普通の良い子”から見ると、「好まれる傾向にあります」というように見えるのかもしれません。
ただし向こう(いわゆる“悪い子”)は向こうで、「先生たちはオレたちを無視して“普通の良い子”ばかり可愛がる」と言っていますよ。
公平に見て、私は虎八さんのおっしゃることの方が多少正しいように思います。
私たちの世界には
「いい子は、どうでもいい子」
という言葉があります。
“悪い子”に手がかかって“よい子”が“どうでもいい”子のように捨て置かれる状況を悲しんで自嘲的に使う言葉です。本当に悲しいですよね。
だって“いい子”だってもっと伸びたいし、もっといい子になりたいのですから。
そのあたりは本当に申し訳なく思っています。
なお、放校処分は別にしても(というのはイギリスなどではこうして放校処分になった子たちがNEET化してしまいます。日本のニートは「何もしない人」ですが、イギリスのNEETはフラフラしていて「何をしでかすか分からない連中」です。非常に危険なのです。日本にそうしたものを生み出してはいけないと私は思っています)、
>日本もこれを導入すれば、理不尽な体罰を無くし、罰則として学校のルールを守らないものは処分できると云う事が出来ると思います。
ということについては全面的に賛成します。
今日の学校問題の多くは、体罰など旧来の罰則を排除しながら、新しい罰則の体系を創出しなかったことによるからです。私はそう思っています。
>絶対服従し、適度に弱い者苛めをする方が好まれる傾向にあります。
そんなことはありません。
>戸塚宏氏等スパルタ教育を信奉している方からは、私の様なタイプは「越えられない軟弱者」と非難されます。
そういうこともないと思います。
ただし
>所謂荒れた学校の荒れた生徒
間違いなく教師との関係が深くなります。とにかく対決したり向かい合ったりしている時間が長いですから、関係がねちっこくなるのはしかたないのです。
そうした関係性の深まりは、“普通の良い子”から見ると、「好まれる傾向にあります」というように見えるのかもしれません。
ただし向こう(いわゆる“悪い子”)は向こうで、「先生たちはオレたちを無視して“普通の良い子”ばかり可愛がる」と言っていますよ。
公平に見て、私は虎八さんのおっしゃることの方が多少正しいように思います。
私たちの世界には
「いい子は、どうでもいい子」
という言葉があります。
“悪い子”に手がかかって“よい子”が“どうでもいい”子のように捨て置かれる状況を悲しんで自嘲的に使う言葉です。本当に悲しいですよね。
だって“いい子”だってもっと伸びたいし、もっといい子になりたいのですから。
そのあたりは本当に申し訳なく思っています。
なお、放校処分は別にしても(というのはイギリスなどではこうして放校処分になった子たちがNEET化してしまいます。日本のニートは「何もしない人」ですが、イギリスのNEETはフラフラしていて「何をしでかすか分からない連中」です。非常に危険なのです。日本にそうしたものを生み出してはいけないと私は思っています)、
>日本もこれを導入すれば、理不尽な体罰を無くし、罰則として学校のルールを守らないものは処分できると云う事が出来ると思います。
ということについては全面的に賛成します。
今日の学校問題の多くは、体罰など旧来の罰則を排除しながら、新しい罰則の体系を創出しなかったことによるからです。私はそう思っています。
2011/11/30 17:56
投稿者:虎八
先生のレベルと申しますが、
所謂荒れた学校の荒れた生徒は、
普通の教師が当たり前の事を云う事が反抗の対象となり、
怖い教師の力で枠組みに入り、怖い教師の贔屓や非常識な言動も受け容れておりました。
私自身は学生時代取り立てて暴れてみたいとか反抗してみたいと云う気持ちはありませんでしたし、基本的な事は聞いており、それが出来ないとなると罰則の様なものはあっても良いと思っておりましたが、前述の生徒は普通に云っても云う事を聞かず怖い存在に於いて始めて枠組みに入り、怖い教師の理不尽な体罰(気合を入れると体罰
暴言等)も受け容れ、適当に弱い者苛めをするが、怖い教師が居るので表面上は纏まるとこの様な感じでした。
これで、彼にとっては良かったのかもしれませんが、私はどうも腑に落ちない所があります。
学校等では私の様な生徒は取り立てて問題にも成りませんでしたが、
戸塚宏氏等スパルタ教育を信奉している方からは、私の様なタイプは「越えられない軟弱者」と非難されます。絶対服従し、適度に弱い者苛めをする方が好まれる傾向にあります。
学級崩壊が起こったのは私の様な者が居たからなんでしょうか?
ご回答を戴ければ幸かと思います。
所謂荒れた学校の荒れた生徒は、
普通の教師が当たり前の事を云う事が反抗の対象となり、
怖い教師の力で枠組みに入り、怖い教師の贔屓や非常識な言動も受け容れておりました。
私自身は学生時代取り立てて暴れてみたいとか反抗してみたいと云う気持ちはありませんでしたし、基本的な事は聞いており、それが出来ないとなると罰則の様なものはあっても良いと思っておりましたが、前述の生徒は普通に云っても云う事を聞かず怖い存在に於いて始めて枠組みに入り、怖い教師の理不尽な体罰(気合を入れると体罰
暴言等)も受け容れ、適当に弱い者苛めをするが、怖い教師が居るので表面上は纏まるとこの様な感じでした。
これで、彼にとっては良かったのかもしれませんが、私はどうも腑に落ちない所があります。
学校等では私の様な生徒は取り立てて問題にも成りませんでしたが、
戸塚宏氏等スパルタ教育を信奉している方からは、私の様なタイプは「越えられない軟弱者」と非難されます。絶対服従し、適度に弱い者苛めをする方が好まれる傾向にあります。
学級崩壊が起こったのは私の様な者が居たからなんでしょうか?
ご回答を戴ければ幸かと思います。
2011/11/30 17:44
投稿者:虎八
ヨーロッパやアメリカは体罰を用いない代わりに「放校処分」等の規定がある、これは頷ける話であり、日本もこれを導入すれば、理不尽な体罰を無くし、罰則として学校のルールを守らないものは処分できると云う事が出来ると思います。



学校の為ということではなく、その時代の状況としては諦めざるを得ない事象だったのかもしれません。
教員もそれぞれの役割の中で精いっぱい努力しています。私も多くの場合、学校では「力で抑えるタイプ」を割り振られていました。「じっくり時間をかけて受け入れる」というという役回りは苦手です。
よくテレビで見る刑事ドラマと同じで、机を叩く人間とやさしく諭す人間が、今の学校には必要なのです。
ただし、もう少し教員を増やし、今の1・5倍くらいになれば、良い子にも普通の子にも満足のいく、今よりはずっとよい教育ができるのではないかと私は思っています。
では、良いお年を。