2018/7/20

「一学期終業式」  教育・学校・教師


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(モンドリアン「コンポジション」)

 先生方、長い一学期、ご苦労様でした。
 日数的には二学期の方が長いのですが一学期はリズムが悪く、怒涛の四月が終わり、年度はじめの努力を台無しにする(みんな戻ってしまう)大型連休が終わると、海の日まで旗日のない、長い長いダラダラした日が続きます。
 心理的に支えるのが難しい学期です。

 さてその間今年は、まず大谷翔平くんの大活躍で日本男子の面目躍如。
 続いてあれほど前評判の悪かったW杯サッカーも、2大会ぶりの決勝トーナメントで日本中が盛り上がりました。
 政治的には盛り上がらない4ヶ月で、国内政治は2年越しのモリカケ問題。国際政治では何と言っても大山鳴動して小ネズミ一匹も出なかった米朝会談、そして米独離反、米仏離反、米朝接近、米露接近。
 
 国内では深刻な児童虐待が問題となり、私の好きなアメリカンフットボールは妙な形で注目されるようになりました。そして学期末の西日本豪雨災害、連日の猛暑。
 まったく話題に事欠かない日々です。

 そうしたことも話題にしながら、社会に目を向けさせて行くのが教育ですが、先生方はその間も小学校英語だのプログラミング教育だのと研修に忙しく、社会情勢どころではなかったのかも知れません。
 ご苦労様です。
 
 誰でもいいのですが、本当は政府に言わなくてはならなかったのです。
「オレたち、英語ができてプログラミングに堪能だったら、教師になんかならなかったんですけどォ」

 さて、明日からは夏休み。心配ですよね。
 これだけ暑いと熱中症に水難事故、暑さとは関係なく性犯罪、交通事故。特に水難と気温との間には有意な相関関係があります。

 豊田市では不幸な事故がありましたが、それでも家庭任せにするより学校に留め置いた方が安全です。東日本大震災でも、大川小学校を除けば、学校管理下で死んだ子どもはひとりもいませんでした(それだけに大川小学校の例は重いという意味でもあります)。
 
 そうは言っても今さら夏休みを中止するわけにいきませんから、十分言い含めて帰すようにしましょう。

 先生方、一学期、ほんとうにご苦労様でした。
 それでは皆様、ステキな夏休みを!!

※毎年の通り、私もこれで夏休みに入ります。再開はお盆明けあたりを予定していますが、それまでじっと黙っているということもできそうにありません。気が向いたら何か書こうと思いますので、宜しくお願いします。




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2018/7/20

「災害支援の新たな仕組み」〜災害支援の経験とあり方 3  社会


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(パウル・クレー 「風景の一瞥」)

【災害時の72時間の壁】
 かつて市町村を跨ぐ人事異動で新しい学校に赴任した時、着任校が避難所に指定されていることを知っていったいどんな仕事をしなければならないのか調べたら、まったく何もしないで済むと分かってびっくりしたことがあります。
 市の職員が二人やって来て、避難所を開設してくれるのだそうです。
 できるのか?

 避難所の開設といえば災害の直前、または真っ最中、あるいは直後の最も慌ただしい時間帯の仕事です。市役所にはバンバン電話がかかって来て、あれにもこれにも対応しなくてはならない時間、しかも避難所予定箇所は市内に数十もあるのです。
 人数をどう配分しても私の赴任校に回せる市の職員は2人、ということなのでしょう。
 この件については以前、一度触れて「そんなことなら避難所の開設と運営は学校に任せろ」という趣旨の記事を書いたことがあります。(2016/4/20「学校と避難所」b

 災害が起きて最初の三日間は、生存率が急激に低下する「災害時の72時間の壁」と言われる期間です。とにかく住民の命を守る、生き永らえさせるというのが最大目標で、やれ支援物資をどうする、ボランティアをどう配分するなどと言っていられません。
 しかし四日目以降の活動を円滑に行うために被災直後の三日間にやっておくべきことは山ほどあります。

 学校が避難所になっている場合は学校に任せるなどして自治体職員の人数を浮かせろ、というのも一案です(実は任せてもらった方が学校にとっても後々都合がいい)。学校内のことは先生たちが一番よく知っていますし、集団を管理したり動かしたりするのは最も得意とするところです。
 それと同様に、支援物資の分配だのボランティアの配置だのといった未経験の仕事は、それに従事したことのある熟練者に最初からやってもらうのが理想的です。

 そんな人はいるのか?
 もちろんいます。昨日お話しした「プロ・ボランティア」たちです。


【ボランティア・コーディネーター・ボランティア】

 被災した市町村は被災地ボランティアに経験豊かな職員を数名、庁舎内に残すとともに、支援物資やボランティアのコーディネートを行う、そのためだけのボランティアを募ります。いわば「ボランティア・コーディネーター」のボランティアを募集するのです。
 広く集める必要はありません。できるだけ直近の被災地で、余裕のある市町村にお願いすればいいのです。

 逆に言えばすでに基礎的な復興を遂げた元被災地は、新たな災害に真っ先に駆けつけられるようボランティアグループをセットで用意しておく、その上でできれば、元被災地の方から申し出る。全国知事会や市長会、町村会などを通して周知しておけばさらによいでしょう。どうせ「いただいた支援のお返し」という話になるのですから、手に入れた最高の経験を次の被災地に生かすのが、最も素晴らしい「お返し」になるはずです。

 物資もボランティアも動き始めるのは三日目以降です。
 ボランティア・コーディネーターはその間に被災地の全体把握をしたり避難所の数や規模の確認、支援物資の集配所の設置計画、ボランティアを有効に活用するための基本計画などを立てます。
 そしてそれをコンピュータに入力していきます。


【被災地ネットワークの構築】
 これは私が知らないだけの話なのかもしれませんが、多くの被災経験から、最初の三日間に必要なもの、四日目から一週間以内に必要になるもの、それ以降のものといった大雑把な見通しは分かるはずです。
 もちろん「火事には火を持って行け、水害には水を持って行け(火事場は水浸しで火の気がないから燃料を持って行け、水害では水が濁って飲めないから飲料水を持って行けの意)」といった違いはありますし、季節によって必要な物品には大きな差があります。
 しかしこれだけ大きな災害が続くと自然に理解される経験則というものがあるでしょう。あるいは災害に際してしばしばつくられる「祈念誌」や「報告」を分析するだけでもかなりのことが分かります。
「この程度の規模の災害だったら三日目までに飲料水は〇万本、紙おむつは〇千パック必要」とかいったふうに、大雑把な数字をはじき出すのはそう難しくないように思うのです。

 さらに被災後、しばらくすると流入してくる物資やボランティアと、各地区・各避難所で必要とされるそれらの数を、コンピュータ上で照合することだって難しくないはずです。
 あとは計算によって公平に分配された人やモノを、バイクや他の交通機関を使って分配するだけです。
 現在のAIをもってすればそうした災害対応のフォーマットを作っておいて、被災地の状況に応じてカスタマイズするなど簡単にできると思うのですがいかがでしょう?

 もっとも私が思いつく程度のこと、きっと誰かが既に考え、一部は実現しているかもしれません。


【災害支援の新たな仕組み】
 東日本大震災で大規模な地殻変動が起こって以来、震度5を上回る大きな地震や火山噴火が頻発しています。
 また昨日今日の異常高温も含め、「世界は異常気象が常態化する新たなステージに入ったのかもしれない」とも言われたりします。
 ここしばらくは自然災害が頻発する困難な時期が続くのかもしれません。今回のことも教訓として、いち早い、合理的な災害支援の仕組みを作り上げてほしいものです。



 
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2018/7/19

「受援力とプロ・ボランティア」〜災害支援の経験とあり方2  社会


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(イヴァン・アイヴァゾフスキー「嵐の海の船」)

【生かされたこと、難しいこと】
 被災地のニーズ把握を待たずに物資を送ってしまうやり方をプッシュ式と言います。熊本地震の際に政府が大々的に行ったことで一般には知られるようになりました。政府は数日してプッシュ式をやめ、ニーズに従って物資を送るプル型に切り替えましたが、プッシュ型・プル型どちらもにも長短があって一概にどちらがいいとは言えない状況があったようです。
 昨日お話ししたように、今回の西日本豪雨災害でも現地から不満の声が上がっています。
 ボランティアの配置についても、マスメディアで連日報道されている地区には大量に訪れるのに、名前の出なかった隣町にはほとんど来ないという不幸なアンバランスがありました。
 これらは過去の災害経験がうまく行かせていない部分です。そもそもうまく行かないものなのかもしれません。

 一方、繰り返される災害支援の中で自然に学ばれ、有効に働く知恵もたくさんあります。
 例えば今回、早い段階で「当初のボランティアは県内に限る」と表明した自治体がいくつもあったことなどはその代表例です。
 被災当初は自治体も状況把握に手いっぱいで、とてもではありませんがボランティアの対応にまで手が回らない――そういったことが広く知れ渡りようになり、また「県内に限る」というアナウンスがボランティアに出ようという人たちに失礼ではないという知識も広まって、安心して出せるようになったからでしょう。


【受援力の話】

 さらに今回の西日本豪雨では「受援力」という言葉が盛んに用いられ、被災地の「支援を受ける能力」についての議論がなされました。
 私はうかつにも気づいていなかったのですが、全国の自治体は大きな災害があるたびに職員を出してきました――その経験が、いざ自分の町が被災したときに役に立つというのです。

 何年にも渡って数か所のボランティアに参加し、例えば支援物資の仕分けに集中して従事すれば自然と合理的な仕分け方法が身につく。私の見たニュース番組では市役所のガレージをすべて空にして、そこに物資を置き被災者に取りに来てもらう「ガレージセール方式」が紹介されていましたが、これなどはすぐにまねができます。もちろん避難所に届ける物資もありますから、別の方策も考えなくてはなりませんが、ひとつひとつそんなふうに生かして行くわけです。

――不謹慎を承知で言えばずっと現場研修を続けてきたようなものです。だから強いに決まっています。まさに「情けは人の為ならず」です。


【プロ・ボランティア】
 大きな災害のたびに放送される光景のひとつは、以前の被災地からのお礼支援というものです。例えば東日本大震災の際には阪神地区から大量のボランティアが集まり、口々に「あの時世話になったお礼のつもりできました」とマイクに向かって語っていたりしました。やがてそれは北九州豪雨にも熊本地震にも、そして今回の西日本豪雨にもリレーのように受け継がれていきます。
 感謝の鎖をつないでいく美しい話です。しかし見方を変えると、ボランティアとして以前の被災地からやってきている人たちは、単なる感謝の親善大使ではなく、被災現場のプロばかりです。
 被災者としての苦労も哀しみも十分に知っていて、何がうれしくて何が困るのかよくわかっている人たちです。被災者に寄り添うにこれ以上の人材はいません。しかし同時に、以前の災害では復興の働き手でもあったはずで、壊れた建物の後片付けをし、避難所の自主運営をしたり支援物資の移送を手伝ったり――つまりこれから行おうとしている活動に十分な技能をもった人たちなのです。

 災害ボランティアとして十二分な技能をもった人々――彼らのことをプロ・ボランティアと呼ぶことにしましょう、と書きかけて、ふと思い直しました。


【二人目のプロ・ボランティア】
 プロ・ボランティアと呼ばれていいいのはかつての被災地から来る人だけではなく、大きな災害があるたびに被災地に向かう人々、東日本にも行った、九州北部にも行った、常総市に行った、熊本にも行ったという人達たちもそうではないかと気づいたのです。そういいう人たちは必ずいる、しかもかなりたくさんいる。

 自腹を切って装備を整え、休暇をつぶして被災地に行けるく人、力仕事を含めてある程度自分の技能に自信を持っている人、そして何よりも他人の不幸に心を寄せ、黙々と働くことを厭わない人ーーそんな人たちが東日本には行ったが熊本には行かない、北九州豪雨には行くが西日本豪雨には参加しないといった選択をするはずがありません。事情が許す限り、できるだけ多く参加しようとするに決まっています。

 考えてみれば今回の災害ボランティア、今までになく過酷な作業であることはニュースを見れば明らかです。それなのに敢えて出かけようという人たち、尋常でないほど立派な人たちばかりにちがいありません。


【ものと人材を生かす】
 物資も豊富で人材もほとんど無制限に期待できる現状で、しかし様々なことがうまく行かない。それはなぜか――。 
 その答えは結局もとに戻って、
「被災地に人や物を仕分ける能力がない。被災した当初、自治体の職員は一気に大量の業務に曝され、押し寄せる物や人に対応できない」
ということに尽きます。
 そこを何とかするしかありません。どんな方法があるのかーー。

(この稿、続く)



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2018/7/18

「更新しました」〜子どもを死なせてしまったらどんな言い訳も通用しない  教育・学校・教師


「キース・アウト」
2018.07.18
「エアコンある教室にとどまる勇気を」 熱中症の専門家

 
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2018/7/18

「被災地支援の足を引っ張る」〜災害支援の経験とあり方 1  社会


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(ヨアヒム・パティニール「ソドムとゴモラの崩壊のある風景」)

 またまた先週の金曜日ですが、ある朝の情報番組で、“被災者の状況に配慮しない支援”といった内容を扱っていました。私には納得のできない話です。

【余計なものを送るな】
 まず出てきたのが被災地ではもう十分足りている紙おむつや簡易トイレ、夏だというのに毛布までもがどんどん送られてきて困っているという話。送られてくる物資の処理がいわば二次災害のように被災地を圧迫している、かつて災害に遭った自治体の中には余った支援物資の処理に数千万をかけたところもあったとかいった話です。

 もちろん司会者は「ほんとうにありがたいことですが」「善意から行われてのことですが」と恐縮しながらの進行ですが、私はその前の段階ですでにイラっとしてキレかかっていました。なぜならその前日の木曜日、他局だったと思いますが「トイレが足りない」「特に女性には大問題だ」という話を盛んにやっていたからです。
 「トイレが足りない」といわれて一人が10セットずつ、1000人で送ればあっという間に1万セットです。余るに決まっています。

 飲み水が不足していると言えば飲料水が何十万本も送られてくるし、掃除用具が足りないと言えばモップが山ほど届けられる、それが今の日本です。それでいいじゃないですか。
 余るのが怖ければ、「被災地では今、○○が不足して困っています」といった放送をやめてしまえばいいのです。
 それを毎日毎日何時間も使って被災地の困窮を放送し(そうして視聴率を上げ)、人々の同情や善意を煽っておいて、勝手にものを送りつけるなというのは失礼千万です。

 番組では被災地が必要なものを確認してから送る必要がある、などと言っていましたが実際にやってみればいい。確認して必要物資を手配し、ようやく送ったころにはその品物はもう溢れかえったりしています。被災地の状況は刻々と変わっている、それに正確に対応していくなんて不可能です。

 余ったら捨てればいい。
 善意の品物でも余れば捨てるしかないということ、これまでの経験から支援者だって百も承知です。捨てるために何千万円も税金が必要になるということだってそれは後の話。先々のことより今日の困難を解消する方がよほど大切だと思うのですが、一部マスメディはそうではないみたいです。
 緊急時に余ることと足りないこと、どちらが問題かなんて小学生にだって分かりるでしょ?


【ボランティアの横暴】
 もうひとつの“被災者の状況に配慮しない支援”として、ボランティアの横暴みたいな話も盛んにしていました。

 家の片付けにきたボランティアが泥に汚れた品物をどんどん捨ててしまう、中には思い出の品物もあるのに、とか、仕事のないボランティアが御用聞きのごとく一軒一軒家周りをし始める、こちらとしてはゆっくり休んでいたいのにそのたびに出て行って対応しなくてはならない、とか――。

 確かに由々しい問題ですが、同時にそれは「いま言うか?」みたいな話でしょう。まさに今、勇気を振り絞って立ち上がろうとしているボランティアに腰を下ろさせてどうする?
 そんなことは現地のボランティア説明会で確認し合えばいいだけのこと、よしんば数百人にひとりくらい、配慮の行き届かないボランティアがいたとしても、それは受忍すべき許容範囲です。ようやく支援活動が本格的に始まろうというとき、メディアが全国放送で声高に語るべきことではありません。


【新しい動き】
 支援物資やボランティアのミスマッチというのは、もちろんできるだけ少なくするよう努力しなくてはなりません。しかしそれをつかさどる現地担当者は殆どが初体験で、しかも多忙を極めていています。ミスマッチや不手際を怖れていては、何もできないからとにかく動き始めます。
 ところが最近、そんな被災地初体験に、新しい動きも出てきたみたいです。

                              (この稿、続く)

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2018/7/17

「1年の四分の一は勉強のできない国」〜何とかならないか、夏の授業  教育・学校・教師


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(ジョセフ・ライト「ナポリ湾の島々が見えるヴェスヴィオ火山の噴火」)

【空調の偏り】
 灼熱の三連休は終わりましたが暑さだけはこのまま続き、天気予報は「7月末には多少和らぐでしょう」などとふざけたことを言っています(7月末は普通、暑さの本格的になる時期です)。もちろん天気予報に罪があるわではなく、予報官に八つ当たりしても仕方のないのも事実ですが、それにしても暑い。

 おまけに日本の公立学校の冷房普及率はわずか41・7%(普通教室)。しかも都道府県でまったく事情が異なり、北海道の0・3%から東京都の99・9%まで、千差万別でこれを同様に語ることはできません。
「北海道なんか涼しいんだから冷房なんてなくてもいいじゃない」
とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、しかし北海道とて暑いときは暑い。暑さ慣れしていない分、少々の暑さでもダウンしてしまうのが北海道です。無碍に「必要ないだろう」などと言ってはいけません。
 それに、奈良県なんて逆にそこそこ暑そうですが、それでも冷房の普及率はわずか7・4%、高知県や長崎県などは暑いに決まっていますがたった19・0%、8・6%です。(H29文科省「公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況調査の結果について」
 要するに都道府県の考え方と財力の問題なのです。


【気合いだ! 気合いだ! 気合いか?】
 「蛍の光、窓の雪」とは言っても「灼熱の夏、厳寒の冬」というフレーズがないのは、古来、暑さ寒さは勉強しない理由にはならないからだ、この程度の暑さが何だ! 
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」というではないか。火でも涼しいんだから夏の太陽くらい何とでもなる、勉強というのはもともと艱難辛苦を得て行うべきものだ――ということであれば当然冷房なんて入りません。
 逆に「子どもの健康を守ろう。少しでも良い環境で勉強させたい」となれば普及率は上がります。

 それにしても同じ日本国内で333倍の格差というのはいかがなものでしょう。
 私の県は “圧倒的に普及率の低い県”のひとつなので、かつての同輩や後輩、そして児童生徒諸君の、ご苦労やいかにと、心から同情するとともに心配しています。


【1年の四分の一は勉強のできない国】
 ところで、私自身はもう半世紀近く前、入学したばかりの大学で先生から、
「日本の、特に東京の夏は異常だ。12カ月しかない1年の中で7月・8月・9月と丸3カ月も暑くて勉強できない。だから諸君、テレビなんてくだらないものを買うならクーラーを買いなさい。クーラーの涼しい風の中で、1年の四分の一を無駄にすることなく、勉強に邁進したまえ!」
とか言われたのを真に受けて、当時テレビの4〜5倍はしたエアコンを買って快適な夏を送ったような人間です(勉強はしなかったけど)。暑さに対してはまるで根性がありません。

 ですから教員になって夏場、冷房のない教室で授業をするのはほんとうに苦痛で、目の前がふわふわと陽炎のように揺らめくことしばしばでした。何しろ教室というところ、37度の熱源が40個もあって、もうもうと湯気を立てているような場所なのです。

 もっともこちらは立って授業を進めている分、やや有利。気の毒なのは子どもたちで、私の授業が体育の水泳のあとだったりするともうだめ。必死に持ち上げている瞼の裏の方に、黒目が上がって隠れよう隠れようと必死にもがいている感じで、ずいぶん不気味な顔つきの生徒が何人もいました。あれなどももっと涼しい環境だったら、少しぐらいはマシな表情になっていたのかもしれません。

 夏休みを減らして授業時数を増やしていこうとする昨今、だとしたらまず空調を入れ、環境を作った上で授業を進めるようにしていただきたいものです。
 でないと子どもたちは、授業時数ばかり増えて知能はまったく高まっていないということになりかねません。
 
 



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