2018/9/21

「親に対応を求めるのは気の毒だ」〜パワハラと指導の狭間で 3   教育・学校・教師


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(ウィリアム・アドルフ・ブグロー「バッカスの幼年時代」)

《暴力と引き離そうとしても、彼はたたいた後、必ず、君がいなきゃダメなんだってギュッと抱きしめるの、だから私、頑張れるの。ってそれ完全にDVカップルの構図で、あなたがそれを良しとしても、そんなのが肯定されてまかり通る世の中になれば、ある程度おかしくなるでしょ、だから正してくしかないのよ》
 ツイッターでそう呟いて物議をかもしたのはエジプト生まれのタレント、フィフィでした。
 DVと同じ構造かどうかは別として、宮川選手と速水コーチの間に男女関係に似た濃密なものを感じた人は少なくないと思います。


【疑似恋愛・疑似家族愛】

 18歳の女の子が単身体操協会を向こうに回してコーチを守ろうというのですから、寺田屋で坂本龍馬が襲われたときに半裸のまま知らせに走った楢崎龍(お龍)や2・26事件に際して青年将校の銃の前に立ち、身を挺して夫へのとどめを思いとどまらせた鈴木貫太郎夫人にも似た激しさがだといえます。
 もちろんだからと言って速水コーチと宮川選手の間に男女関係があったと本気で考える人はいませんし、似たような例はスポーツ界にいくらでもありますから怪しむべきことでもありません。
 古くは鬼の大松と東洋の魔女、小出義雄監督と有森裕子あるいは高橋尚子、長久保裕コーチと鈴木明子などは疑似恋愛と言ってもいいような強い絆でむすばれていましたし、ニコライ・モロゾフと安藤美姫はほんとうの恋愛に発展したとさえ言われています。

 ですから速水コーチと宮川選手の間に似た関係があったとしても何の問題もなかったのですが、コーチが宮川選手に暴力をふるう動画が流されると、世間に大きな変化が生まれたのです。

 端的に言えば、宮川選手が訴えた塚原夫妻のパワハラのひとつ、
 これからも家族と共に先生を信頼して一緒にやっていきますと言ったところ、家族でどうかしている、宗教みたいだと終始高圧的な態度で言われた。
が、なんとなく正しいように思われてきたということです。
 あれほど娘が殴られているというのに、それでもコーチに信頼を寄せる家族・両親はほんとうにどうかしているのかもしれない――。

 しかしよく考えるとそれほど不思議なことではありません。要するにバランスシートの問題なのです。
 娘が殴られるという負の要素に対して、コーチから得られる正の要素が爆発的に大きければそんなものは無視できます。宮川家がこれまで速水コーチから与えられてきたもの、将来与えられるかもしれないものはそれほど大きいと考えられたのです。

 それは宮川問題がひと段落した後、パワハラ問題におけるマス・メディアの閑暇を救うように現れた日体大駅伝部パワハラ問題からも垣間見られました。


【日体大駅伝部パワハラ問題】
 日本体育大学駅伝部の問題は大学におけるパワハラ事件としてだけでなく、むしろ対象となった渡辺正昭監督の経歴に注目が集まりました。なぜなら1993年から2013年まで務めた愛知県立豊川工業高等学校の陸上部で、監督はすでに処分を受けていたからです。
 愛知県の調査によると2008年から2012年までの間に、33件もの体罰事案があったのです。そのため2013年、渡辺監督は停職4か月の懲戒処分となり自ら辞任しています。

 注目されたのは5年間に33件という体罰の多さだけではありません。
 監督の辞任という緊急事態を受けた保護者会はそこから指導継続を求める活動をはじめ、なんと3万8000人分というとんでもない数の署名を集めたのです。豊川市の人口は2018年4月の推定で18万3000人ほどですから、赤ん坊も含めて実に5人にひとりが署名したことになります。

 さらに辞職からわずか一か月後、学校外で一部の選手の指導をはじめ、参加した部員は陸上部26名の半数以上、14人にも上りました。
 支持は絶対的でした。しかし復職は認められず、翌2014年、渡辺監督は日体大荏原高校陸上部の監督に就任します。このときも豊川工業高校陸上部から8人の生徒が転校したといいます(翌2015年、日体大駅伝部監督に就任)。

 こうした渡辺監督の経歴を紹介したあと、ワイドショーのコメンテーターは一様に、「親も毅然として体罰を許さない姿勢を示すべきだ」と言ったりしますが、そんな原則論を語っても現実は動きません。
 才能ある運動選手を子に持つ家庭は、それほど甘くはないのです。


【親に対応を求めるのは気の毒だ】
 最近聞いたところによるとフィギュアスケートの場合、5歳で始めて18歳でオリンピックに出ると考えると2800万円もかかるそうです。才能が早くから開花して協会の強化費などがもらえるようになると多少は楽になりますが、そうでなければ全額家庭からの持ち出しです。

 テニスはかつて、超がつく金持ちの子弟でなければ選手になれませんでした。例えば日本人女子選手として史上初の4大大会タイトルを獲得し、シングルスでは日本人女子初のグランドスラムベスト4に進出を果たした沢松和子は自宅にコートのあるテニスの名門一家ですし、松岡修造は言わずと知れた東宝の社長と元宝塚のスターの次男坊です。昭和史に詳しい人なら阪急東宝グループ創始者小林一三の曽孫だと言った方が分かり易いでしょう。そのくらいの名門でなければ一流になれなかったのです。
 最近は競技環境もずっと良くなりましたが、それでも毎週どこかのコートを押さえ、一流のコーチをつけて練習させるとなると半端な出費ではすみません。

 問題は金だけではありません。毎回の送り迎え、遠征の手配、親戚や近所への心遣い――。より良い環境をと考えれば子どもを都会に出さなければならない場合もあり、ときには一家丸々引っ越してしまうこともあります。保護者が職を変えなければならない場合さえあるのです。
 才能のある子どもをもった親にはそれなりの試練と負担があります。

 しかもたいていの選手は文武両道というわけにはいかず、勉強なんてほとんどしていませんから、進路や就職はスポーツ推薦あるいはそれに準じたかたちで行うしかありません。途中で道を降りるとその子は何にも持たずに社会に出なくてはなりません。そんな恐ろしいことをわが子にさせられない――。
 したがって一度始めたことは何が何でも追求し続けなければならないのです。

 それが現在の宮川紗江選手の保護者の立場であり、5年前に豊川工業高校で署名運動を行い、渡辺監督の学外指導に子どもを参加させ、さらに東京へ転校させることさえ厭わなかった陸上部員の保護者の立場なのです。
 
 そう考えると、「親も毅然として体罰を許さない姿勢を示すべきだ」といった原則論のいかに空しいかは、自然に分かってきます。
 大けがをしたり命に係わるほどのことがない限り、多少の暴力は簡単に飲み込めるのです。

                              (この稿、続く)


1

2018/9/20

「なぜこれほどの体罰・パワハラが残ったのか」〜パワハラと指導の狭間で2  教育・学校・教師


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(ラファエル・コラン「海辺にて」)


【三つの衝撃】
 速水コーチが宮川選手を殴る動画は、関係者及びニュースの視聴者に大きな衝撃を与えました。
 宮川選手の発言を真に受けて塚原夫妻糾弾の狼煙を上げた瞬間に、「もしかしたら処分を下した塚原夫妻は正しかったのではないか」と思わせる事実が出てきたからです。
 しかしそれとは別の意味で衝撃を受けた人たちもいたのかもしれません。
 それはオリンピック選手を育てるような日本の最高水準の指導の場で、あんなあからさまな暴力が今も行われていたという衝撃です。

 もちろん義務教育や高校教育の場で体罰が完全になくなっているわけではありません。しかしそれは特別の場面で特殊な人が行う、突発的な暴力です。
 ここ20〜30年の間、体罰を行った教師はほぼ無条件に懲戒免職になっていますが、教師の懲戒免職は職や退職金や年金の一部を失うだけではなく、教員免許も奪われて二度と同じ仕事につけない重大処分です。
 いくら教育に情熱を傾け部活に熱中したからといって、二度と教師として飯を食うことができないことを承知で、他人のお子様のために殴る人はいません。

 病的な状況がなければ、教員は体罰などしない――。
 そんな学校の人間から見ると、今も暴力が黙認されている指導の場が残っていたということ自体が大きな衝撃なのです。

 さらにこれまで私たちが正しいと教えられてきた道が、閉ざされたかもしれないという意味でも衝撃的でした。それは、
「体罰は指導者の力量のないことの証明である。きちんとした指導技術を磨けば、体罰の必要はない」
というものです。
 オリンピック選手を育てたコーチが無能であるはずがありません。その超一流コーチでさえ暴力に頼らなければならないとしたら、暴力こそ選手育成の最後の決め手かもしれない、そんなことすら頭に浮かびます。
 それにしても彼らはなぜ殴るのか、なぜ怒鳴り、選手を追い詰めるのか。


【なぜ怒鳴らずにいられないのか】
 私も30年前は中学校の部活顧問でした。
 そのころすでに生徒を殴る文化は学校から消えていましたから、さすがの私も選手に手を挙げたことはありません。しかし怒鳴り上げることはしょっちゅうでした。怒りに任せてというのではありません。むしろ冷静なくらいの計算があってのことです(と当時の私は思っていた)。
 それは子どもの技能を伸ばすためです。

 スポーツを専門にやっていなかった人でも体育の授業なので技能や成績に“壁”を感じたことのある人は少なくないでしょう。
 鉄棒の逆上がりは一回できればあとはいくらでもできるのにその一回目ができない、走り高跳びで1m15pは跳べるのにその1p上は何度やっても跳べない、100m走でどうしも13秒を切れない、柔道で同じ相手が常に倒せない、そういった“壁”です。

 教師はその壁を乗り越えさせるためにさまざまな方法を使います。
 どんなスポーツにも基礎となる指導法はありますからそれをすべて繰り出し、教師自身が開発したいくつかの指導法も全部試して生徒を伸ばそうとします。しかしそれでも“壁”が乗り越えられない、そういう場合もあります。

 もちろんそれが生徒のすべての限界なら諦めますが、体力・筋力・巧緻性といった基本的運動能力の限界ではなく、自信のなさや弱気、不安のためだとしたらどうでしょう。
 当然教師はそれを克服すべく誉めたり、励ましたり、ゆっくり時間をかけて話し合ったりします。しかし果てしなく待っているわけにはいきません。
 授業だったら単元の入れ替えがありますし、部活動だったら練習試合や大会があります。

 そこで極まった指導者は「追い詰める」という手法を使うのです。指導者の側に繰り出す手段がなくなって選手の側に特別な力――窮鼠が猫を噛むような力、火事場の馬鹿力――が生まれるのを期待する手法と言っても構いません。退路を断ち、押し込み、自信のなさ・弱気・不安といったものを一瞬忘れさせて一気に勝負をつける、そういう方法です。
“壁”は一度超えればいいのです。目標にしていた演技ができた、記録が出せた、相手に勝てた、という経験を一回すれば二度目以降はすんなりと進んでしまうものなのです。

 そのために「暴力や罵声によってブレークスルーを果たそうとするのは指導の邪道」と言われても構いません。とにかく選手が伸びればいい、目標を達成できればいい、ひとつでも上の段に立てればいい――そう考えると邪道でも脅迫でも(昔なら暴力でも)、何でも繰り出してやろうという気になります。
 子どもを伸ばしたい一心なのです。


【なぜこれほどの体罰・パワハラが残ったのか】
 動機さえ良ければすべてが許されると思っているわけではありませんし、一流の指導者のように必要な時に瞬時に必要な対処を繰り出し、知識と経験と言葉で“壁”を突破させられるならそれに越したことはありません。
 しかし世の中には私のような、担当競技未経験の四流・五流はいくらでもいるのです。

 私もかなりまじめで熱心な部活顧問でしたから、あのまま同じ部活を10年・20年と続けていれば、きっといつかは2流くらいにはなれたはずです。しかし10年は待てなかった。
 顧問は10年かかって技能を高めればいいにしても、生徒は毎年毎年一回限りなのです。普通の子が選手になれる中学3年生は、生涯に一度しかきません。

 だから体罰もパワハラもしかたないと言うつもりはありません。

 部活顧問も含め、スポーツの指導者は常に本気で誠実に、子どもの成長を願ってそれをしている、つまり正しいことしているつもりだから厄介だ、うまくいかない、体罰・パワハラはなくならない、という事実を言っているだけです。

 そうした事情を考慮しない対策が、効を奏しないのはそのためです。
 

                           (この稿、続く)




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2018/9/19

「今さら全日本女子体操パワハラ問題のこと」〜パワハラと指導の狭間で1  教育・学校・教師


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(エドガー・ドガ「待ち合わせ」)

 女子体操の宮川紗江選手のパワハラ問題について扱おうと思ったのですが時機を逸してしまい、逸しているうちに事態がどんどん動いて何が何やら分からなくなってしまいました。そこで、できごとを時系列に並べ直したうえで、その時々で私が思ったことを記録しておきたいと思います。

【発端】
 事の始まりは8月29日、宮川紗江選手が記者会見を開いて、自身が受けた暴力を理由として体操協会が下した速見佑斗コーチの「無期限の登録抹消処分」は重すぎると訴えたことでした。
 宮川選手は暴力の事実は認めながらも、
「速見コーチの指導には厳しさの中にも人の何倍もの楽しさや優しさがあり、私は共に東京オリンピックを目指し、その中でも金メダルを目標として頑張ってきました」
と言い、暗に処分の撤回または軽減を求め、速水コーチとともに2020東京オリンピックを目指す気持ちを示したのです。

 それだけならコーチを戻してほしい宮川選手の一途な思いといった話でしたが、返す刀で「パワハラを行ったのは速水コーチではなく、日本体操協会の塚原光男副会長と夫人の塚原千恵子女子強化本部長だ」と言い始めたのです。
「どの口が言っとるんじゃ」
みたいな話です。

 宮川選手が語ったパワハラの内容は次のようなものでした。
1、(速水コーチの暴力を)あなたが認めないとあなたが厳しい状況になるのよと何度も言われた。
2、あのコーチは駄目、だからあなたは伸びない。伸びないのはコーチのせい。私なら速見の100倍は教えられるとも言われた。
3、これからも家族と共に先生を信頼して一緒にやっていきますと言ったところ、家族でどうかしている、宗教みたいだと終始高圧的な態度で言われた。
4、オリンピックにも出られなくなるわよという発言もあった。
5、どうも全体は私(宮川選手)を朝日生命に引き抜くための策略らしい。

 この段階で私は、
「宮川選手、終わるな。こんな他愛ないことで体操協会を敵に回して無事に済むわけはない」と思っていました。訴えている内容があまりにも些末で、問題になるような気がしなかったのです。これでパワハラなどと言ったら人間関係が取り結べない。

 人と人とが関係を持って行くのだから軋轢もあれば齟齬もある、笑い合う時もあれば怒りに身を震わせることもある。それを負の部分だけを取り出して高圧的だ、威嚇だ、パワハラだと言い出したら話にならい、そう思ったのです。

 ところがその後の流れは全く予想外のものでした。
 体操界のob・OGから宮川選手を支持する意見が次々と飛び出し、よせばいいのに訴えられた塚原本部長が「全部ウソ」などと突っぱねて火に油を注ぐから世論は沸騰。マスメディも女子レスリングやボクシング、日大アメフト部の問題と同じ流れで一斉に宮川支援の体制をとり始めたのです。

気がつけば塚原強化本部長などは「ボクシング界のドン」「日大のドン」と並び称される「体操界の女帝」あつかいで、ついに本丸の体操協会からも「(宮川選手の告発については)調査委員会の結果(次第)だと思う。ただ18歳の少女が嘘をつくとは思わない」(具志堅幸司副会長)といった話が出てくる始末。

「18歳の少女は嘘をつかない」というのはちょっと違うと思うのですが塚原夫妻はあっという間の四面楚歌で、さすがの私も“宮川発言は拙すぎて氷山の一角にすら見えなかったけど、本当はとんでもない専制状態だったのかもしれない”と考えざるを得なくなったのです。
 

【第二幕】
 ところがこれだけ有利な状況なのに、肝心の速水コーチは東京地裁に出していた地位保全を求める申し立てを取り下げてしまうのです。(8月31日)
 当初は裁判で時間をムダにするより、一刻も早く宮川選手の練習に専心したい速水コーチの勇断、という説が有力だったのですが、9月5日に記者会見を開いたコーチはまったくに平身低頭、平謝りの平謝り。その前々日の9月3日には塚原夫妻が全面降伏みたいな声明を出しているので、悪役の奪い合い、謝罪競争をしているような感じになってきました。

 何が起きているのだろう?
 日本中の人々に頭に「?」が点灯し始めた翌6日、ワイドショウに速水コーチが宮川選手を殴り倒す動画が登場します。
「ああ速水コーチの全面降伏はこの動画のせいか」と世論は半分納得するのですが、宮川=速水応援団の大旗を振り回した後なので何とも途方にくれます。
 具志堅副会長の「これはあかんわ…」が表すように、援護したくても援護のしようがない。誰が見たって暴力とされる行為で指導を受けたなどと言ったレベルでないことは明らかでした。

 これを境にマスメディアも一斉に思考停止となり、まさか保育園児ではありませんから「両方悪い!」で済ませるわけにもいかず、塚原本部長の言う「第三者委員会の結論が出るのを待って・・・」に一同結集して問題を棚上げにし、しばらく様子を見ることにしたのです。

 メディアにとって幸いなことに、日本ウェイトリフティング協会、日体大駅伝部と問題を引き継ぐようなパワハラ事件が立て続けに起こり、そのおかげで退場しやすかったこともあります。

 しかしこの事件、さまざまな問題を私たちに突きつけます。


【事件の問題性】
 例えば具志堅副会長言う「(宮川選手の告発については)調査委員会の結果(次第)だと思う。ただ18歳の少女が嘘をつくとは思わない」という見方。
 もちろん「18歳だってウソをつく」といった些末な問題で議論しようとは思いませんが、何か事件があるたびに“被害者”の発言は100%肯定的にとらえられ報道される、そのことに問題はないかということです。
 宮川選手が嘘をついているとは思いませんが内容は明らかに主観的でした。私はそう感じた、そのように思ったというだけで、細かな証拠があったわけではありません。
 現代のネット社会はいったん発動すると止まらないことがあるので、よほど強い反証が出ない限り(今回は出た)最初の判断が正しい判断となりかねません。マスメディはもちろん、ネット住民たちもこうしたことには慎重でなくてはいけません。

 あるいはパワーハラスメントの認定は被害者の主観に左右されるべきか、パワハラは暴力より重いのか、ということも問題になるでしょう。
 元は速水コーチの「パワハラ問題」であったものが宮川選手の記者会見では「暴力問題」に置き換えられ、
「速水コーチの暴力は確かにあったがパワハラとは感じていない。私がパワハラと感じたのは塚原夫妻の方だ」
という言い方になっています。
「あれは暴力であってパワハラではない」といった言い方に私は違和感を持ちましたが、メディアもネット世論もあまり気なしなかったみたいです。

 しかし一定の権力を持つ者の暴力はパワハラの一部ですし、いじめの定義のように被害者の受け止めによって左右されるものではありません。(*1)暴力は被害者が許しても社会として許していいものではありませんし、パワーハラスメントの認定にはやはり客観的な事実が必要なはずです。


 しかし今回の宮川問題について、私がそれよりも気になったのは次の二つの点です。

1 なぜ日本のスポーツ界にこれほどの体罰・パワハラが残っていたのか。
2 なぜ保護者はこんな指導者についていったのか。




                                (この稿、続く)

*1職場のパワーハラスメントについて 厚生労働省

職場のパワーハラスメントとは
 厚生労働省では、職場のいじめ・嫌がらせについて都道府県労働局への相談が増加傾向にあったことを踏まえ、「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」を開催し、平成24年3月に「 職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言 」(以下「提言」と言います)が取りまとめられました。提言の中では、定義や類型について、以下のように取りまとめられました。

職場のパワーハラスメントの定義
 職場のパワーハラスメントとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義をしました。
 この定義においては、
・上司から部下に対するものに限られず、職務上の地位や人間関係といった「職場内での優位性」を背景にする行為が該当すること
・業務上必要な指示や注意・指導が行われている場合には該当せず、「業務の適正な範囲」を超える行為が該当すること
を明確にしています。

職場のパワーハラスメントの6類型
 上記で定義した、職場のパワーハラスメントについて、裁判例や個別労働関係紛争処理事案に基づき、次の6類型を典型例として整理しました。
なお、これらは職場のパワーハラスメントに当たりうる行為のすべてについて、網羅するものではないことに留意する必要があります。

1)身体的な攻撃
 暴行・傷害
2)精神的な攻撃
 脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言
3)人間関係からの切り離し
 隔離・仲間外し・無視
4)過大な要求
業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害
5)過小な要求
 業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
6)個の侵害
 私的なことに過度に立ち入ること



2

2018/9/18

「お忍び」〜言葉の進化と誤用  言葉


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(アルフォンス・ミュシャ「曙」)

 安室奈美恵さんの引退が大きなニュースとして取り上げられました。私は世代も違いますしファンでもないので関心はありませんが、かと言って一芸能人の引退がこれほど大きく扱われることに抵抗する気持ちもありません。

 何といっても平成の歌姫ですし、その安室さんの引退と平成の終焉が重なるということには、何らかの意味もあるような気もします。
 ただし次のニュースにはイラっとしました。

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【お忍び】
 この記事のどこにイラついたのか、全く理解できない人がいると思うので説明すると、私の国語感覚からして安室奈美恵に「お忍び」はあり得ないのです。この世で「お忍び鑑賞」をしていいのは皇族だけ、海外でもイギリス等の王族だけです。貴族レベルでもだめ、通常の国家元首でもだめ、ましてや芸能人などお話になりません(北朝鮮国内における金正恩委員長ならいいかもしれませんが)。

 ただし私の方が間違っているということもありますからネットの辞書で調べると、
「著名人がメディアなどを通じて自発的に公にすることなく、何らかの活動をするさまを表す語」(実用日本語表現辞典)
とあり、「アレ? 私が間違っていた?」ということになってしまいます。

 納得ができないのでさらに別の辞書で調べると、
1 身分の高い人が、身分を隠して外出すること。微行。 2 「御忍び駕籠(かご)」の略(デジタル大辞泉)
@貴人が身分を隠して、あるいは非公式に外出すること。 「 −の旅行」 A 「御忍び駕籠」の略。(大辞林第三版)

 プログレッシブ和英中辞典(第3版)では“お忍び”の英訳“incognito (▼女性にはincognitaを使うこともある)”の用例として、
国王はお忍びで狩りに出かけた(The king went hunting incognito).
あの買物客はお忍びの王女だ(That shopper is a princess incognito [incognita].)

とありますから、だいたい私の感覚に近くなります。

 さらに我が家にある「広辞苑」、なんと昭和44年発行の古文書に近い第二版ですが、それだと、
@ 貴人の忍び歩きの尊敬語 A御忍駕籠の略
「忍び歩き」は
(身分の高いものなどが)他に知られぬように身をやつし外出すること。微行。


【言葉の進化】
 以上まとめてみると、
 “お忍び”は本来、王侯貴族が身分を隠して外出することで、イメージで言えばディズニー映画「アラジン」で王女ジャスミンが庶民の服装で市場に出たり、マーク・トゥエインの「王子と乞食」でヘンリー8世の嫡子リチャードが貧民窟のトムと入れ替わって街に出たりといったものだった、しかし現代では実用として、「有名人」が「公にすることなく活動する」ことも含まれるようになった、ということのようです。

 考えてみれば私の「貴族レベルでもダメ」は狭すぎて、水戸黄門のような江戸時代の殿様であっても“お忍び”はできるわけです。「私人として一般にまみれることのほとんどできない人が、身分を隠して外出すること」くらいに考えると、安室奈美恵の“お忍び”も妥当なのかもしれません。もちろん貴族でも、自由に動けるような人は“お忍び”にはならないでしょう。

 そう考え直してさらに調べると、
「ベッキー、恋人とお忍び来場明かす」
「稲葉浩志さん、B'zのイベントにお忍びで出かけるも誰にも気付かず」
「W杯日本戦出場のベルギー代表FW、お忍び来日で“清水寺&旅館ショット”公開」

と、今日的概念での使用例は結構あります。
 これにて一件落着です。

――と思ったら、しかしこれは何でしょう?


【お忍び居酒屋、お忍び旅館】
 ネットで“お忍び”を検索するとやたら出てくるのが「お忍び居酒屋」「お忍び旅館」です。まさか芸能人がこれを見て出かけるはずもなく(そんなことをしたらファンが殺到してしまう)、どう考えても庶民が“お忍び”で利用する居酒屋や旅館らしいのです。
 まさに
「貴人もすなるお忍びというもの、庶民もしてみむとてするなり」です。

 では普通の居酒屋や旅館と何が違うのかというと、お忍び居酒屋は全室個室が原則、お忍び旅館はひなびた場所にある和風旅館ということで、どちらも人の目を気にしなくても済むというのが要点のようです。ただし前者が落ち着いて酒を飲みたい小グループも予定しているのに対して、後者は明らかに後ろめたい旅行客が念頭にあります。要するに不倫かそれに準ずる男女です。

 ここに至って私の語にたいする包容力はまた小さくなります。
 
 普通の暮らしのできない王侯貴族や有名芸能人が、庶民・一般人の暮らしを楽しみたくて密かに外出するのと、不道徳な男女関係が同じ“お忍び”でくくられるのはやはり間違っているように思うのです。


【言葉の誤用】
 ところでYahoo知恵袋にはこんな不埒な投稿もありました。
「私もお忍び旅行をしたいと思っていたのですが、辞書で調べたら身分が高いことが必要条件のようでした。しかしこれってどのくらい身分が高ければよさそうですか。
 個人的には、忍んでさえいれば身分なんて関係ないと思うのですけど、やはり定義がある以上、この条件は満たす必要があります。
 『皇族か貴族の家の出である』とか『芸能人である』みたいなのを言われると絶対無理なので、例えば、普通の会社だとどのくらい偉い人までお忍びになるか教えてください。何卒よろしくお願いします」
(大意)

 私だったら思わず「オマエ、バカか?」と書きそうなところですが、ベストアンサーに選ばれたコメントはやはりさすがでした。

『冒頭、お忍びの大前提が抜けてたので驚きました。例え偉くとも一般の35歳の独身が忍ぶ必要はないので、相手女性に当てはめては如何でしょう。握手会を欠席させて2泊3日湯河原の旅です。そして頃合いをみてプリクラや証拠写真を自ら流出、お忍び旅行発覚、卒業の手順で』
 本格的なお忍び旅行がしたいならAKBクラスの超有名芸能人をかどわかして、あとは派手にやりなさいということのようです。

 やはり“お忍び”は「貴人」のものであって「奇人」が真似してはいけないのです。


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2018/9/14

「見ない人、逃げる人」〜ひとの生き方と死に方(最終)  人生


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(ギュスターヴ・クールベ「オルナンの埋葬」)

 義姉夫婦は病気が発見された当初からネットや書籍でがんについて調べることをしませんでした。もちろんそういうやり方がないわけではありません。
 特にネットの世界は玉石混交、偽情報もあれば体験談と見せて広告でしかないサイトやブログがいくらでもあります。
 そういうものに惑わされることなく、病院を信頼し、医師とともに病気に立ち向かっていく、それも方法のひとつでしょう。その意味で、義母が亡くなった際に少しトラブルのあった地元の病院を離れ、大学病院に拠点を移したのは悪くない選択でした。
 少しでも信頼できそうな病院の方がいい――。
 ただしそれとて限度があります。


【医師淡々と、患者淡々と】
 昨年6月になっていよいよ抗がん剤がどれも効かなくなった時、医師は日本中の治験(治療の臨床試験)を探して通えそうなところを紹介してくれました。しかしそれは病院でなければできないことではなく、医師自身が教えてくれたように一般人でも調べられるサイト(例えば国立がん研究センター>がん情報サービス>)から選んでくれただけで、あとの手続きは患者本人がしなければならないのです。

 私にとってそれはある程度衝撃的なできごとでした。県内随一の大学病院の医師が一般向けサイトで情報を探している、つまり医師同士の特別な情報網といったものはなく、すべては私たちの手の届くところにあるということです。
 そしてその“すべて”を、私はすでに調べつくしているのです。何しろ義姉に適応しそうな治験は二つしかないのですから。

 医師はそこからひとつ選び、「こちらに連絡してみてください。書類は用意します」と告げます。けれど義姉が診察を受けたわずか一週間後、その治験は重大な副作用が生じて中止になります。
 続いて医師はもう一つの治験の可能性を示します。私にはそれが中止になった治験と同じものを別の病院でやっているだけのように思えましたが、医師はためらわず紹介し、義姉夫婦は3時間の列車旅で東京に出かけ、2時間の待ち時間を経て15分の診察で空しく帰ってきます。適応外との説明だったようです。

 医師は続いて、「私の患者でNK療法を受けた人がいます。こちらに連絡してみたらどうでしょう」と県内の病院を紹介します。
 そういうことの繰り返しが4カ月あまりも続きました。

 私は多少イライラしていました。いくら医師を信頼するにしても、こんな素人でも調べればわかることに毎回1時間もの通院時間をかけ、医療費を払うことはないと思ったのです。
 しかしだからといって別の助言ができるわけでもありません。標準治療以外のさまざまな道についてはすでに話をしてあります。

 あとはただ本人の気のすむまで同じことを繰り返し、様子を見ていくしかありません。それにそのころには「義姉は奇跡の人なのかもしれない」と思い始めていたので、事が進まないこともあまり苦にならなかったのです。このまま空回りしているうちにがんは治ってしまうかもしれない・・・・。


【恨み、つらみ、繰り言】
 しかし黄疸が出て、病気が目に見える形になってくると状況は一変します。このころから義姉はさかんに医者や病院の悪口を言うようになるのです。

 以前にも書きましたが勝ち気でがらっぱちで、まるで男にしか思えない雰囲気もある人で、決して素直だったり従順だったりする人ではないのですが、それまで不思議と自分のかかる医者と病院には文句を言わなかったのです。それがここにきてさまざまな不満を口にします。直接面と向かってではありませんが、義兄や私の妻や長姉に対して、繰り返し訴えます。

「(大学病院の主治医は)レントゲンが読めないんだって、だからこういう見立て違いをするのよ」
「せっかくステントを入れたっていうのに3カ月ももたないってどういうこと?」
「この(地元の)病院、何か雰囲気変よね」
「前の病院で入れたステントは3か月もったのに、どうして今度は1か月ももたないの?」 

 がんの発見から1年数カ月、医者に対して全く質問せず問い詰めもせず、ただ言われるままに抗がん剤治療をし、治験のために東京に出かけ、ここ(大学病院)よりも地元の病院と言われて傷ついても、まったく批判しなかった反動のように不満は一気に噴出します。
「私はがんのことはもうどうでもいいの、治らなくても構わない。でも黄疸だけは何とかしてほしい、医者だったらそれくらいして当然でしょ?」
 問い詰められても私たちには答えようがありません。
 黄疸はがんの結果ですからがんの治らない状況で黄疸だけをなくすというわけにはいかないのです。

 最後の東京行きから戻って歩くのもままならないのに、
「看護師に歩く練習をさせられた」
といって怒っています。
「あれきっと病院を追い出すつもりだよね。家に帰っても歩けるように今からリハビリさせられた・・・」
 しかしものの本には書いてあるのです。
「末期の患者はそれでもトイレだけは自分の足で歩いていきたい。トイレにも行けなくなったらいよいよ死を覚悟しなければならないから歩けることは大切です」
 好意的に考えれば、トイレに歩いて行ける期間(絶望しなくて済む時間)を1秒でも伸ばしてあげようという配慮だったのかもしれません。
 それなのに義姉はいちいち悪く解釈する。
「食事がまずい」「扱いが悪い」「痛み止めがまるでダメで全然効かない」

「もっと光を!」はゲーテの最期の言葉とされていますが、義姉の最期の言葉は「もっと薬を!」でした。痛みに耐えかねてより多くの鎮痛剤を要求し、それが命を縮めたと私は思っています。
 痛みに耐えるといったことも苦手な人でした。


【後悔、運命の分岐点と角度】
 市川海老蔵夫人だった小林麻央さんは亡くなる前年9月のブログに、こんなふうに書いておられます。
私も
後悔していること、あります。

あのとき、
もっと自分の身体を大切にすればよかった
あのとき、
もうひとつ病院に行けばよかった
あのとき、
信じなければよかった
あのとき、、、
あのとき、、、


 義姉にもがんが発見されてから亡くなるまでの1年10か月間に多くの節目がありました。

 長姉の言う通り、発見された当初からNK療法のような代替治療を受けておけばよかった、
 無意味な二度目の治験なんか行かなければよかった、
 眠っているがん細胞を起こすような強い代替治療をしなければよかった、
 無理をして東京の“権威”に診てもらうようなことをしなければよかった、
 医者を信じるなら最後まで信じ、穏やかな気持ちで入院生活を送ればよかった。
 運命を受け入れ、家族に感謝の気持ちを伝え、早い時期から事後の算段をつけておけばよかった。

 各々の運命の分岐点で義姉は常に悪い方を選び続けた、角度にしてわずか5度くらいしかない選択の幅の中で、選んではならない方を選び続けた――私はそんなふうに考えています。
 しかしなぜそんな選択しかできなかったのか――。

 実はその答えも分かっているのです。
 義姉が病気に対してあまりにも無関心だった、一番近くで支援すべき義兄も一緒に無関心だった、それが原因です。


【見ないようにしていた】
 大きな病院に行くと必ずあちこちにリーフレットスタンドが置いてあって、入院の手引きやら受診の仕方など手に入れることができます。その中に「家族ががんだと言われたら」とか「各種がん 受診から診断、治療、経過観察への流れ」といったがん専門のものもあって、試しに 国立がん研究センターのものをめくってみると一番最初に出てくるのは「あなたに心がけてほしいこと」です。項目がふたつあって、そのひとつは「情報を集めましょう」、もうひとつは「病気に対する心構えを決めましょう」です。

 きちんと情報を集めれば、発見された段階で相当な覚悟を決めなければならなかったこと、治療の選択肢は少なく、大学病院へ行こうと国内最高の権威にかかろうと結果に大差はなかったこと、代替療法は初期にこそすべきなこと、それでもどんな状況でも奇跡はあり得ること、医師や看護師は基本的に患者のために労苦をいとわないこと――、そういうことも分かっていれば、あんなに嫌な思いも苦しい思いもせずに済んだのかもしれません。

 あの賢い義姉や義兄がなぜあそこまで無関心でいられたのか――。それについても葬儀の後で義兄から直接聞くことができました。
 とにかく怖くて先のことを考えたくなかった。目の前だけを見て、そこにあることだけに対処して今日まで来た・・・。


【逃げる人】
 昨日、私は、
 経験上、がんに打ちひしがれる人と戦う意欲満々の人は死ぬのです。どちらも強烈なストレスですから。
 そうではなくノホホンとした人、何とかなると思っている人、何とかならなくても仕方がないと気楽に構えられる人、そういう人たちは生き残ります。私はそう信じています。

と書きました。
 ここでは三種類の人間が想定されています。「打ちひしがれる人」と「戦う人」、そして「気楽に考えられる人」です。しかしなぜ私は「逃げる人」のことを考えてこなかったのでしょう。

 昔いた「ヒデとロザンナ」という夫婦デュエットのヒデは、結腸がんのために47歳という若さで亡くなりますが、亡くなるギリギリまでがんが怖くて病院に行かなかったそうです。
 つい先日もあるテレビ番組で、「がん検診に行かないのはなぜか」という調査の一番多い答えが「がんが見つかるのが怖いから」という矛盾したものであることを紹介していました。

 最初の一年間の義姉夫婦の不思議な無関心や落ち着きも、安定した心理状態だったのではなく、現実を見まいとする必死さから来るものだったのかもしれません。

 私がしばしば疎まれたのも、そんな努力に水を差すからです。義姉は時々私のことを、妹である妻に「Tさんは分かっていない」と言い、私も妻もその意味が分からなかったのですが今こそ分かります。がんに関する情報なんて持ってきてほしくなかったのです。考えることも向き合うこともいらない、みんなで一緒にしらばっくれていること、それが一番よかったのです。

 最終末にあれほど医師や看護師を憎んだのも、結局は病気を見せつける人、がんを体現している人たちだったからに違いありません。
 それを理解してあげなければいけなかった。

 この1年10カ月の間に気づいたのは、義姉の思わぬ弱さと依存性でした。
 本当は弱くて頼りない人が、精一杯肩肘を張って生きてきたのです。それが死を前にして生の姿を見せるようになった。それが人間の生き方であり死に方なのだと、手遅れになったいま、初めて私は理解するのです。

 可哀そうなことをしました。ほかにやり方はいくらでもあったのに。


                               (この稿、終了)



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2018/9/13

「不思議な無関心」〜ひとの生き方と死に方 5  人生


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(フランシスコ・デ・ゴヤ「魔女の宴」)

【すれ違い】
 義姉の闘病生活はまるで病気に見えなかった1年間1か月と、黄疸が始まって死に至る9カ月からなっています。その間、義姉夫婦と私たち(妹である私の妻と私、三姉妹の長姉にあたる義姉夫婦)の間に大きな感情のずれがありました。

 私は生来の“調べ魔”ですし種類は違うもののかつてのがん経験者ですから、義姉が胆管がんと聞くとさっそく昔買い揃えた本を持ち出し、ネットでも検索を重ねてあれこれ調べまくりました。長姉もまたさまざまに手を尽くし、通常の治療以外の何か良い方法はないかと模索し始めます。
 その結果長姉はNK療法に期待を寄せ、私は逆に先端医療から遠い漢方や食事療法、さらには加持祈祷に近いものに心傾いていきます。
 ステージWの胆管がんという最悪の状況に対して、現代科学はほとんど戦う術を持たない。だから全身状況を整え、心理的に余裕をもって前向きに生きることが奇跡を呼び起こす唯一の方法だと信じたからです。

 しかしどんなに熱心に勧めても申込書類を目の前に置いてさえ、義姉夫婦は言を左右にしてまったく動こうとはしませんでした。もちろん何もしなかったわけではなく、セカンドオピニオンとして県内随一の大学病院の診察を受け、車で5分の地元の総合病院から1時間以上もかかる病院に転院してより良いと思われる医療の道を探ったりもしました。
 しかし標準治療以外のどんな治療にも興味を示さず、“ガン封じ”といった神社仏閣へのお参りさえしません。先祖の墓参りすらしたかどうか疑わしい状態です。

 最初の一か月間、それこそ八面六臂の働きで資料を用意したり問い合わせた私はまったくの拍子抜けでしたが、やがて“それもいいかな”とい気持ちに落ち着いてもきます。

 経験上、がんに打ちひしがれる人と戦う意欲満々の人は死ぬのです。どちらも強烈なストレスですから。
 そうではなくノホホンとした人、何とかなると思っている人、何とかならなくても仕方がないと気楽に構えられる人、そういう人たちは生き残ります。私はそう信じています。

 ですから姉妹・義理の兄弟がうろたえて走り回っている間も、ただ標準治療に期待をかけ穏やかに過ごしている義姉夫婦の様子を見て、それもいいんじゃないかな、そういう対処の仕方もある、と思い直したのです。


【不可思議な無関心】
 それにしても義姉たちの落ち着きぶり、精神的安定というのは不思議でした。それは私が主としてネットの中で知っているがん患者やその家族の姿と全く異なったものです。

 先に自分のことを「生来の“調べ魔”」と書きましたが、ネット空間に入ると私なんかは赤ん坊レベルとしか思えない凄腕の “調べ魔”がいくらでもいます。それががん患者やその家族だったりすると、さらに尋常でなくなります。

 そのブログやサイトを覗くと、さまざまな治療法の検討はもちろん、自分あるいは自分の家族の症状を細かく観察し、腫瘍マーカーの数値には敏感で、抗がん剤も何を何ミリグラムと細かく記帳しながら、現在の症状や状況を正確に把握しようと努めています。
 常に見通しを立てながら、今後をどうしようか、最悪の場合はどう対処しようかと、思案するのにいとまがありません。

 もちろんネットに情報発信しようという人たちですから平均的な人ではなく、特に情報に敏感な、傾斜のかかった人たちです。しかしそれにしても多かれ少なかれ、がん患者やその家族は血眼になって情報を探す時期があるはずです。ところが義姉夫婦は違った――。

「腫瘍マーカーはどうなっています?」と訪ねても、「いや、それは聞いてない」。
「レントゲンやCTの結果はどうでした?」と聞いても、「良くない」で終わる。

 私は内心「良くないにもいろいろあるだろう」とイラつきますが実の兄弟ではないのでさらに突っ込んでは聞けない。

 あまり思い詰めることのない私でさえ、当初は真剣に状況を知ろうと努めたのに、義姉夫婦はなぜああも平然と無頓着でいられるのだろう――。


【驚くべき言葉】
 やがて私自身も義姉たちの無頓着に慣れ、流れるままに日常を過ごし始めたころ、そしてそれは抗がん剤治療ができなくなって都会の病院の治験(治療の臨床試験)にも参加できなくなった秋口のことです。ある日たずねて行った私たち夫婦を急いでテーブルに招き寄せ、義姉はとんでもないことを言い出したのです。
「ねえ、ねえ、知ってた? 胆管がんは5年だって、5年!」
 
「5年」を義姉がどういう意味で使ったのかは分かりません。しかし「5年」はがんについて勉強し始めた時、一番最初に出会う数字です。

 がんの発見・治療から5年を経過して転移・再発していなければ以後症状の出ることはほとんどない、つまり一応治ったと考えていい、その割合が「5年生存率」です。
 前立腺がんの5年生存率は98.4%だから死ぬ確率は極めて低い、すい臓がんは10.0%しかないから本当に難しい。
 同じ肺がんでもステージTだと83.8%だから希望が持てる、ステージWだと4.8%だからかなり厳しい。
 そんなふうに見て今後を考える最も基本的な数字です。それを義姉は知らなかった。数字は知っても誤って捉えている。

 知性も教養もない人なら何も言いません。しかしネット依存の激しい私と比べればはるかに多くの本を読む人です。新聞にも隈なく目を通します。義兄は何かあるとすぐにスマホを開いて調べる私と同じ“調べ魔”です。その夫婦がこの段になってまだ「5年生存率」も知らなかったなんて――。

 私は何か暗然とした気持ちになりました。


                             (この稿、続く)




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