2017/11/20

「立つべき人と座るべき人」  社会

      〜席を譲ることに関する心の葛藤

 田舎暮らしとはいえ電車に乗ることがないわけではありません。ただし超ローカル線ですので昼間はガラガラ。少し混む時間に乗っても私が乗車する区間が短いので無理して席をとるということもありません。たいていは立ってやり過ごします。ですから誰かに席を譲るといったこともありません。
 ところが都会ではそういうわけにはいかないのです。
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【日本人の特性?】
 以前、あるテレビ番組で「世界の人々、どれだけ親切?」みたいなコーナーをやっていたことがあります。例えば坂道を歩いている買い物帰りの人が、袋をひっくり返してしまい、そこからオレンジがいくつも転げ落ちる、それをそれぞれの国の人たちがどれだけ拾ってくれるのか、といったことをどっきりカメラ風にやるのです。他にも、外国語で道を尋ねる、子どもが木に引っかかった風船を一生懸取ろうとしている、といった場面を設定して隠しカメラで追うのです。

 大半の設定で日本人は高得点を挙げ、ほぼトップなのですが、ある類型の中では全く成績の上がらないことがあります。それは困っている(らしい)人に声をかけて助けてやらなければならないといった場面です。

 例えば大量の荷物を持って信号待ちをしている若い女性、長い横断歩道をシルバーカーでゆっくりと歩くお年寄り、そういった人たちに声をかけて助けてやることがまるでできないのです。そう言えば電車の中で、お年寄りに席を譲らないことに関して「あれほど親切な日本人がなぜ?」といった感じで特にアジアの国々の人たちから不思議がられています。

 番組では専門家の口を借りて、「シャイな日本人の国民性」のためだと紹介していましたが、私はそうは思いません。
 買い物のオレンジが全部転げ落ちてしまうといった、誰が見たって困っている状況、あるいは道を尋ねる設定のように本人が“助けてください”と明確な意思表示をしている場合、そううことならいいのですが、大量の荷物を持って横断歩道の前にいる女性や電車の中で立っているお年寄りは、“困っている人”かどうかよく分からないのです。

 日本は“読み”の国(黄泉の国ではない)ですから、そうした状況に気づいた瞬間から頭を働かせなくてはなりません。

 たくさんの荷物を携えて信号待ちをしているように見えるのは実は車を取りに行った“彼”を待っているだけなのかもしれない、安易に声をかけて不審者と思われ怯えさせてもいけない、近づいただけでもひったくりと間違われるかもしれない・・・。
 電車の中で立っているこのお年寄りは、実は健康のために立っているのが日課なのかもしれない、年寄扱いされるのが嫌いな人なのかもしれない、降車駅が目の前なのかもしれない・・・。
 そんなふうに“読んでいる”うちに声をかけるタイミングを失ってしまい、いまさら声をかけられない、だったらなんでもっと早く言ってくれなかったのかと怒られるかもしれない・・・、そんなふうに迷っている様子を見て、周囲の人たちは優柔不断だとあきれらかえっているのかもしれない・・・、といった調子です。


【私の場合】
 さて、この土日、かねてからの計画があって東京に行ってきました。
 土曜日は夫婦とも、日曜日は妻だけが、という用件だったので私は日曜日、丸々空いていることになります。そこで先週観ることのできなかった国立博物館の「運慶展」と国立西洋美術館の「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃に行くことにしました。

 その様子については改めて書きますが、泊めてもらった娘の家を午前9時前に出て、遅い昼食にありついた午後3時半までのおよそ6時間半、二つの美術展のハシゴをずっと立ちっぱなし歩き詰めだった私は、上野駅で山手線に乗るころにはホトホト疲れ果てていたのです。
 ですから乗車するなりすぐに空席を見つけて座り、バッグが邪魔にならないようにきちんと膝の上に置き、そこからはみ出していた携帯の充電ケーブルを押し込んでふっと見上げると、右斜め前に一人の妊婦が立っていたのです。それが問題の始まりでした。

 私が若かったら何でもないことです。さっと席を立って「どうぞ」と譲ればいいだけのこと、その上で「けっこうです」と言われたら座りなおせばいい、それだけです。
 ところがここが厄介なところですが、私はすでに若くない。見方によっては席を譲られる側に回ってもいい年齢なのです。

 問題なのは実年齢ではなく見かけです。
 私の義父は70歳の時、成田空港で同い年の往年のスター、ミヤコ蝶々さんから席を譲られたことがあります。義父は国体の壮年の部にも出たことのある、肉体的には壮健な人です。しかし白髪で眉もひげも白く、見かけはずっと老けていたのかもしれません。一方ミヤコ蝶々さん は芸能人ですから見かけも気持ちも若い。つまり二人は実年齢で言えば互角、体力的には義父の勝ち、見かけだけなら蝶々さんの勝ちです。したがって席を譲られるのもしかたない、譲ってもらうだけの理由はありました(義父も相手がミヤコ蝶々なので喜んで席を譲られた)。
 しかし翻って今の私はどうか。席を譲られる側か、譲る側なのか――。もしかしたら妊婦さんも席を譲りたくなるくらい年老いて見えるかもしれません。そんな私が席を譲っていいものか、妊婦さんが恐縮して困り果てるのではないか・・・。

 私の左の席には若い男の子、しかしスマホゲームに夢中になって(あるいはそう見せかけて)席を譲る気配はありません。右隣は30歳前後女性でウツラウツラ眠って(あるいはそう見せかけて)、やはり席を譲る様子がありません。
 しかし私が席を立てば当然気づくわけで、そうなったら妊婦さんも恐縮する上、両隣の二人は “こんな老人(私のこと)に席を譲らせて・・・”と自己嫌悪に陥るかもしれません。周囲の人たちも“年寄りを立たせて恥ずかしくないのか”と冷たい視線を二人に送るかもしれません・・・などと困っているうち電車は御徒町、秋葉原と進み、次は私の降りる神田です。

 そんなに急ぐ必要もなかったのですが早めに席を立ち、その妊婦が座れるように場所を空けました。ドアの前に立ってからチラッと見ると妊婦さんは空いた席に座ることもせず、スマホの画面を見続けていました。近くに立っていた人たちも誰も私のあとに座ろうとせず、席は空いたままでした。


 神田駅で中央線に乗り換えると、そこでも簡単に座ることができました。東京が始発ですからそれほど混まないのです。そして次のお茶の水でドドドッという感じでたくさんの人が乗り込んできて、私の目の前に老夫婦が立ちます。
 老夫婦ですが年齢が読めない。私よりはちょっと上かグンと上なのか・・・。

 私の左の席は七十がらみの和服姿の女性。粋筋らしい人で、スマホをカチカチいじっているので何をやっているのかと覗いたら花札ゲームでした(そんなものあるんだ)。
 右隣はまたもや三十代と思われる女性で、こちらはスマホで写真をパラパラめくっています。
 さて席を立つべきか立たざるべきか――、また悩ましい状況が新宿に着くまで、12分余りも続いてしまいました。

 都会の皆様は、こうした問題にどう対処されておられるのでしょう。

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2017/11/17

「見なくてもできる。反射的にできる」  教育・学校・教師

    〜携帯ショップと学校のプロフェッショナル

 妻がガラケーをトイレで水没させてしまいました。およそ10年間で4回目です。
 これまで、
1.急いで電池を抜く
2.開けられる蓋部分はすべて開く。
3.思い切り振り回して水を払う。場合によってはタオルでぐるぐる巻きにして脱水機にかける。
4.ドライヤーを当て熱で水分を跳ね飛ばす。
5.それでもだめなら冷蔵庫で凍らせる(フリーズ・ドライ)。

 数々の荒業で機器を直してきた(2008/7/28 コンピュータの治(直)しかた)私ですが、今回は妻がめちゃくちゃ忙しい時間帯に起きた事故で私の手元に届くのが遅れ、結果、約半日水浸しだった老齢のガラケーはついに最期の秋を迎えたのです。

 妻はメールと通話をガラケーで、ネットとその他はipadでという、少し前の「ちょっとカッコいい系IT環境」を生きていたわけですが、さすがにipadは持ち運びに不便なうえ、最近写真撮影の機会が増えてコンデジまで持ち出したので大変だったのです(機器に振り回される危機)。そこでそろそろスマホに買い替えようか話している最中だったので、ガラケーを失うこと自体に問題はありません。しかしデータです。

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「(だから早くやっておけといったじゃないか!)」という言葉をじっと噛み殺し、水没ガラケーに取り組むこと2時間。
 画面はまったく出ないのですが電源を入れると振動があり、蓋の背についたサブスクリーンには正確な時間表示やバリ3のアンテナマーク、私が試しに送ったショートメールやEメールの受信表示があります。まず間違いなく本体は動いています。

 たまたまかつて息子が使っていた全く同型のガラケーがあったのでそこから液晶を取り外せないかと試したり(ネジがなんと+でも−でもなく☆型なのでダメ)、SDカードを差し込んでそれでデータをとれないものかと試したり、あれこれやってみましたが結局できませんでした。

「ま、“これから電話をくれる人、メールをくれる人とだけ付き合え”という神様の思し召しかもしれんね」
 妻と自分自身をそう慰めて、しかたなく携帯ショップへ出かけたのです。


【神業!!】
 事情を話すとショップのお姉さんは妻の水没ケータイをあれこれ動かし、
「あ、ほんと中身は動いているみたいですね」
「そうなんです。多分バックライトがダメらしくて、ホラ、それでも画面をよく見ると、何かが動いている感じがするでしょ?」
 実際、操作ボタンを押し続けると、黒い画面の中に幽かに薄い帯が下へ下へと降りていくのが見えます。ただしそれは息子の携帯の画面とは異なり、どう動かしたらいいのかわかりません。

 すると女性は左手に息子の携帯、右手に妻のものを持ち、左手の操作を頼りに右のものを同じように動かし始めたのです。
(あ、それ、オレもやったけど、だめだと思うよ・・・)
 そしていくらもしないうちに、
「これでできていると思います。最新データが残せるといいですね」
とか言って妻の携帯からSDカードを抜き出し、息子の方に入れていくつか操作し始めました。
「ああ、良かった。取り出せますよー」

 私は茫然、妻は騒然。
――ホントカヨ、見えなくてもできるのか・・・?

 そのあとのデータ移行も次々とこなし、新たに購入した妻のスマホに操作を加え、自分のタブレットにも何かを打ち込んで妻のサインを求め、その間に「あれ?指紋認証ってどうやるんでしたっけ」とかいった私の質問にも丁寧に答え、さらに「契約ってこんなに大変だったんだ」とびっくりするほどの作業をさっさとそつなく進めて、無事、妻はスマホユーザーとなることができました。
 まさにプロの技を見た思いです。


【夕食を食べながら】
 夕食を食べながら先ほどの女性の手際の良さを一緒になって褒めたたえていると、妻がふっとこんなことを言い始めました。
「私も若いうちから始めれば、あんなふうに速く機械の操作ができるようになったのかしら?」
「もちろん。若いころからじゃなくたって、今からでもショップ店員になれば嫌が応にもできるようになるさ」
「どうかな、それは。
 第一その前に、教師一本で何十年もやってきたのに何のプロらしいワザも身につかなかった・・・」
 私はちょっと考えてからこんな話をしました。


 世間の人たちが「教師は子ども相手の楽な仕事だから・・・」と誤解するのは仕方ないにしても、先生たち自身が自分の持つ技術について、まったく無頓着なのはいかがかと思うな。
 例えば授業で30人以上の子どもたちを、45分ないしは50分、黙らせたままで話を聞かせることができる、それだけでも大変な技術なのに。

 そりゃあ何かの理由で呼んできた講演会の講師だって1時間やそこらのあいだ、子どもたちに黙って話を聞かせることはできる。しかしその陰に担任の先生たちの大変な努力があることはキミの知っている通りだ。

 子どもたちは事前にたっぷり指導を受け、“どんなに退屈でも黙っていることくらいはできるでしょ”とか脅され、“分からないところは後から先生が解説してあげるから”と言い含められてその場にいる。

 もっともたいていの子どもは外から来た先生に対しては静かにしているものだけどね。どんな恐ろしい人かもわからないのだから。
 それでもとても持ちそうにない子どものそばには、担任がぴったりついて見張りをしていたりする。

 そういえば昔、小学校教師から中学校に鞍替えした先生が、こんなことを言ってたな。
「中学校というところはどんなに恐ろしいところかと思って、戦々恐々としてやってきたけど、案外チョロイものだった、中学生といえど子どもは子どもだ、話もよく聞けば勉強もよくする、誠意をもってきちんと話せば、どうにでもなるものだ――そう思っていたのは4月いっぱい、ゴールデンウィークが開けたら大変なことになっていた。
 要するに4月いっぱいは様子を見ていたんだな、5月になったら本性が出た」


 “本性が出た”かどうかは知らないけど、“様子を見ていた”はそうかもしれないね。もっと好意的に考えて、新学期の「新しい学年で頑張ろう!」という気持ちが5月までは持たなかったということなのかもしれない。
 いずれにしろ毎日毎日5時間6時間という授業時間を、きちんと学習させているという当たり前の状況を、維持するためにどれほど高度で大量の技術が投入されているか、そんなことはいま言ったみたいな特殊な経験をした人でもない限り分からないことさ。
 企業で7年も働いて、教員になったと思ったらいきなりクラスが荒れに荒れまくった私にも分かることだけどね。

 そういえばこの間、清水アキラの子育てについて一緒に話したことがあったけど、あの時キミだって「保釈させないなんて、あれはないよね」とか言ってたでしょ。
 でも世間では保釈金を出さなかった清水アキラは偉い、立派だってことになってるんだよ。
 それをおかしいと感じるのが、プロとしてキミが培ってきた教育センスさ。

 私たちは子どもを叱らなくてはいけないときは反射的に叱ることができる。褒める時も間髪を入れず大げさなくらいに褒め、喜ぶことができる、しかも偽物ではなく、心からできてしまう、それが教師のプロとしての技さ。

 人間相手のことだから足らぬところもたくさんあるけどね、だからと言って卑下することもない。携帯ショップのお姉さんが鮮やかに機器を操作するように、私たちも鮮やかに授業をし、子どもを育てているじゃないか。

 人間相手のことだから足らぬところもたくさんあるけどね。




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2017/11/16

「日本にあこがれる魂」  芸術

〜展覧会のハシゴをしてきたA

「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と書いたのは荻原朔太郎です(1925年《大正14》刊行「純情小曲集」)。

 その40年ほど前、当のフランスに、熱烈に日本に憧れるひとりの画家がいました。
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。オランダからパリに出てきたばかりのゴッホは、そこで日本の浮世絵に夢中になるのです。


【印象派の誕生】
 さらに遡ること20年ほど前、日本では幕末の動乱期に当たるころ、ヨーロッパ、特にフランスでは絵画に大きな変化の兆しが見えました。時代の変化が、西洋絵画を一気に追い詰めようとしたのです。

 それはまずカメラの技術が進んで“そっくりに写す”という点で絵画を上回ってしまったことから始まりました。しかもそれは相対的に安価であったのです。
 同じ時代、チューブ入りの化学絵の具が発明され、屋外での描画が可能になりました。非常に明るい絵の具で、しかも屋外に持ち出せる――そこから画家たちは自由な表現への欲求を高めます。
 ところがそうした時代の変化にもかかわらず(あるいはだからこそ)、当時美術界を支配していた芸術アカデミー(政府の傘下にある芸術組織)は保守化が進み、貴族や新興ブルジョワジーの意向を重視して、画家の自由な表現を認めない傾向が強まったのです。 

 ロマン主義やバルビゾン派はそうしたアカデミーへの抵抗運動という意味合いを持ちます。そしてその最も過激な反抗グループは、のちに「印象派」と呼ばれた人たちです。


【印象派の人々】
 印象派はさまざまな方面から刺激や影響を受けていますが、そのひとつはまさに絵画を危機に追い詰めたカメラそのものからでした。

 動きの、ある瞬間を切り取ること――それはカメラの最も得意なところです。
 色彩に対する強烈な意識――これは当時のモノクロカメラには絶対できないことです。
 主観主義――客観的な正確さという点では無比なカメラに対して、絵画が追求すべきは対象の主観的な姿だ、そういう明確な方向づけが生まれます。

 印象派に大きな影響を与えた第二のものとして、当時日本から輸入された陶磁器の詰め物としてもたらされた浮世絵があげられます。

 遠近法や立体感にとらわれない自由な造形。
 黒い輪郭線で囲まれた人物の、溢れんばかりの色彩の塊
 左右非対称な構図、やや上空から見下ろす風景
 単純な数本の線で描かれる表情豊かな人の顔
 画面からはみ出す人物や画面の中央に置かれた大木など、これまでの西洋画にない大胆な配置、等々。
 浮世絵から学ぶものは非常に多かったのです。


【日本に魅入られるゴッホ】
 遅れてきた青年(というかほとんど中年入り口)のゴッホもそれに夢中になった一人です。

クリックすると元のサイズで表示します「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ」

「日本美術を研究すると、明らかに賢く哲学的で、知的な人物に出会う。その人は何をして時を過ごしているのだろうか。地球と月の距離を研究しているのか。違う。ビスマルクの政策を研究しているのか。いや、違う。その人はただ一本の草の芽を研究している。(……)どうかね。まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる。こんなに単純な日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

「日本の芸術家たちがお互い同士作品交換していたことにぼくは前々から心を打たれてきた。これら彼らがお互いに愛し合い、助け合っていて、彼らの間にはある種の調和が支配していたということの証拠だ。もちろん彼らはまさしく兄弟のような生活の中で暮らしたのであり、陰謀の中で生きたのではない。(中略)また、日本人はごくわずかな金しか稼がず、素朴な労働者のような生活をしていたようだ。」

「日本人はとても簡素な部屋で生活した。そしてその国には何と偉大な画家たちが生きていたことか」


 ゴッホの手紙の中にあるのは湧きあふれて尽きることのない日本愛です。
 ここまで恋焦がれる姿を見ると、
「ちょっと待って、それ、日本とちゃうかもしれん」
と止めたくなるほどです。


【アルル=南フランスの日本へ】
 日本にあこがれながらとても行くだけの旅費を用意できないゴッホは、気候が似ていると思われた南フランスに移住することを考えます。
「日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、日本へ行こうとはしない、つまり、日本に似ている南仏に。結論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変って、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる」

「この冬、パリからアルルへと向かう旅の途上でおぼえた胸の高鳴りは、今もいきいきと僕の記憶に残っている。〈日本にもう着くか、もう着くか〉と心おどらせていた。子供みたいにね。」


 そしてようやく着いた1888年2月20日のアルルには60pの雪が積もっていました。
「まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」

「親愛なるベルナール、君に手紙を約束した手前、僕はまず次のことから筆をすすめよう。清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、アルルはまるで日本だ!夢のようだ。水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。大地を青く浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け…」

「将来、日本人が日本でしたことをこの美しい土地でやるほかの芸術家が現われてくることだろう。ここの自然がいつまでも好きなことは今後も変るまい、それはまるで日本美術のようなもので、一度好きになると決して飽きない」

「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」、「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」


 おそらくゴッホが憧れた日本は本物の日本とは少し違っているようです。けれど150年ほど昔、本気で日本に恋をして全身で日本を取り込もうとした情熱の画家がいたというだけで、私はもう舞い上がってしまいそうです。


【ゴッホ展 巡りゆく日本の夢】 東京都美術館 2017.10.24〜2018.01.08
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 東京都美術館「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」は、日本に恋焦がれたゴッホの油絵と、彼が影響を受けた浮世絵の数々を対比的に展示する優れた展覧会です。それが第一部。

 後半は数十年後、そんなゴッホに恋焦がれて次々とフランスへ向かった日本人芸術家たちの物語(第2部)です。

 何か非常に壮大なドラマを見た印象でした。



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2017/11/15

「さまざまな病気についてあれこれ学んだ話」  知識

      〜病院を3軒ハシゴしてきた

「展覧会のハシゴをしてきた」の続きがうまく書けないので、その前に「病院を3軒ハシゴしてきた」話をします。
 とは言っても体のあちこちが不調でさまざまな診療科に入って来たという話ではありません。

 最初行ったのが獣医で家で飼っているウサギを診てもらうため、2番目が私自身の2週間前から治らない咳と喉の痛みの耳鼻科へ、そして3番目が大病院が開催する夜の市民講座で抗がん剤に関する話を聞いてきた、そういう話です。


【オプシーボ→免疫チェックポイント阻害剤の話】
 一番面白かったのが最後に行った市民講座。
 今を時めく「オプシーボ」など、『免疫チェックポイント阻害剤』と呼ばれるまったく新しいタイプの抗がん剤について講義を聞いてきたのです。お医者さんというのも大したもので、難しい話を素人にも実に分かりやすく話してしてくださいました。

クリックすると元のサイズで表示します その研修報告みたいなものをここにも書こうと思ったのですが、改めて調べたらネット上に「免疫のシゴト」PDFはこちら)という、とっても面白い漫画があって、グタグタ書くよりそちらを見ていただいた方が手っ取り早いので、書くのはやめることにしました。

 ただし漫画には描かれていないのですが、「免疫チェックポイント阻害剤」も完璧な治療薬ではなく、がんの種類によっては治療効果に差があり、副作用あります。さらに副作用は「吐き気」「脱毛」といったこれまでの抗がん剤につきもので対処法も確立しているものとは異なり、いつどんな形で出てくるのかはっきりしていな研究途上の状態なのです。

 免疫療法と名のつくものはたくさんありますが、効果が証明されていて保険適用になるのはこの種の治療だけです。期待しながら見守るしかありません。

 その上で、医学研究は日進月歩ですごいなあと感心するとともに、その闇の深さにため息の出るような話でした。


【十日以上続く風邪はない】
 次は私のこと。
 20年前に大病した時に覚えたことのひとつは「2週間以上続く風邪はない」ということです。薬を飲んでいったんよくなった風邪がぶり返して3週間、一カ月といった感じの時は他の病気の可能性も考えなくてはいけません。
 私の場合は20年前、それはがんでした。そして10年ほど前から、それはアレルギー性鼻炎となっています。

 お医者さんの言うには、
「アレルギーのために鼻水が出て、それが大量に出れば分かりやすいのだが、目立たない程度にポトリ、ポトリだと逆に鼻の奥から喉、気管へと滴り落ち、それが咳や喉の痛みの原因となる――」
 私は何となく科学的じゃないような気がしているのですが、処方された薬を飲んで点鼻薬を使っていると治るので「結果オーライ」――とりあえず咳や喉の痛みが長引いたら耳鼻科で診てもらうようにしています。

 ただし先々週、せっかく耳鼻科に来たのに「いやあ、今度のこれは普通の風邪です」と言って風邪薬しかくれなかったのは、私のアレルギーを言いあてた、当のその先生でした。


【ココアが大変】
 我が家には諸般の事情によって3羽のウサギがいます。
 娘が東京で買って引っ越しの際に移動できなくなったネザーランド・ドワーフの「カフェ」、妻がよんどころない事情でもらってきたミニウサギの「ミルク」と「ココア」(兄妹)。
 全部私が面倒を見ています。

 ちなみに息子のアキュラは小さなころ、やはりカブトムシやカマキリ、イモリやらカエルやらやたら持ち込む子でしたが、幸いすべて短命の生き物で今は一匹も残っていません。ただし妻とともにやたら植物の鉢を貰ってくるところがあって、そうした植物も全部私の担当です。

 その私にしても動物飼育だの植物栽培だのは必ずしも好きなわけではなく、そのためどうしてもいい加減になる――さすがに動物はほったらかしにできないので何とか今日まで生かしてありますが、植物の方はバタバタと死なせてしまい現在残っているのは7〜8種類ほどだけです。
 その生き残りは、手抜きをしても死なないくらいですから実に強い。放っておいても減ることはない、困ったことにそれどころかいくらでも増える――その結果、7〜8種類が30鉢ほど、狭い屋内のあちこちに置いてそれなりに管理させられています。

 話が横道に逸れました。その3羽のウサギのうちの唯一のメスである「ココア」のトイレが、土曜日、真っ赤な血で染まっていたのです。前にも一度そういうことがあったので様子を見ていると日曜日も真っ赤。しかし動物病院は休診日なのでもう一日待って月曜日もダメ、そしてようやく連れて行くことができたのです。

 3年ぶりの動物病院は獣医も息子に代替わりし、ざっと見まわす診察室も様子が違っていました。
 前はわざわざ乗せていた体重計はなく、テーブル様の診察台に乗せて手を離すと台の横に重さが掲示されます。それから何か大きな機械を引きずって来たかと思うとこれが超音波診断装置、いわゆるエコーで、人間がやるのと同じようにジェルを塗りつけてからセンサーを押し当てます。

 若先生に、これが膀胱、これが子宮・・・と説明されるも異常なし。
 結局原因は分からずじまいで抗菌薬だけを貰ってきました。注射器のようなもので口から飲ませるシロップだそうです(うまくいくかどうか・・・)。

 私の耳鼻科の診察料は1580円でした。ココアのそれは薬代も入れて6000円。私の4倍近くです。
「家族同様に可愛がっています」
と言って自分の保険証を出しそうになりましたがやはりやめました。
 恥ずかしいですからね。





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2017/11/14

「怒りを抑えきれない人々」  社会

      〜札幌すすきのの、タクシー乗客大暴れ事件のこと

 先週の月曜日(11月8日)、札幌市のすすきのからタクシーに乗った男が、道が違うと言って暴れ出し、運転席や防犯ボードを壊したあげく料金も払わず立ち去ったという事件が話題になっています。
 そのときの激しいやりとりが車載カメラの映像として残っていたため評判になり、その後いったん消えましたが、先週末になってどうやら30代の弁護士の仕業だったらしいということになって今週、改めて話題となっているのです。


 この事件に関するニュース・バラエティのコメンテーターの口ぶりは、どれもこれも似たり寄ったりです。
「代議士や弁護士などいわゆる『士業』と呼ばれている人たちは、いつも『先生』『先生』と呼ばれているうちに、何か自分が偉くなったように勘違いしてしまうんですよね」
とか、
「法律の専門家が、こういうことをやっちゃあイカンということが分からないのでしょうかね?」
といった調子。

 その一方で、
「こんな人いる?」
「何か異常ですよね」
「そんなに酔っぱらっているというわけでもないのに――」

と、事態の異常性に気づいた発言もあるわけで、そうなるとこれが「士業」と呼ばれる人たちにはよくある、いわゆる「あるある話」の類なのか、あるいは極めて特殊な話なのか、よくわからなくなってしまいます。けれどだからといってこうした問題の本質を、改めて掘り下げようという番組も出てきません。
 ただ嘆いているだけです。


【本当は何があったのか】
 私は一連の防犯ビデオの最後の場面に注目します。
 それは男が金も払わず車外に出て、その場を立ち去る直前にスマートフォンを投げつける場面です。
 普通、そんなことしますか?

 スマートフォンの価値は買ったときの値段ではありません。そこには個人情報もあれば大切な写真もあります。依頼者からのメールを受けとる必要もあれば、公私ともに複数あるLINEグループでのやり取りのためにも大切です。
 もしかしたら明日の市場開始とともに一番で売らなければならない株があるかもしれません。午前中に確実に送金しなけれ事務所の存否にかかわる契約もあるかもしれません。
 そんな厄介な問題ではなく、通勤のために地下鉄にも乗れない、彼女からの伝言も答えられないといった目の前の困難にもすぐにも直面するかもしれません。
 いまや普通の30代はスマホなしには仕事も生活もできないのです。

 事実この男も、タクシーに乗り込んで「北三東」と行き先を言ったあとはスマートフォンにくぎ付けで、ドライバーが「北三東」と間違った復唱をしたのにも気づきません。そのくらい夢中になって操作しているのです。

 そんなに大切なスマホ、投げるはずのないスマホを投げてしまうところに、この人の癒しがたい性格があります。一度スイッチが入ると止まらないのです。どんな大切なもでも平気で壊してしまう、スマートフォンも壊してしまう、自分の立場も壊してしまう、経歴も、評判も、信用も――。


【新奇なこと、思っていたことと違うことに対応ができない】
 しかしそもそも、弁護士はなぜドライバーが道を間違えたくらいであんなに怒ったのでしょう。
 同僚の間では「真面目できちんとした」という定評のある弁護士が、スマートフォンから顔を上げて自分の思っていた道と違うところを走っていると気づいたとたん、怒り出して留まるところを知らない、怒りかたが尋常ではない――。

 昔、私はそういう男――というかそういう男の子をひとり知っていたのです。いつも渡る横断歩道が工事中で渡れない日、「なんでこんなところで工事をやるんだ!」と関係者に悪態をついて通報のあった子です。わずか40〜50m先の横断歩道を渡れば何の問題もないのに、いつものその場所でなければだめなのです。怖かったのです。
 いつもの通りのことができない、まったく未経験のことをしなければならない、その恐ろしさに、おそらく半分はパニックに陥っていたのです。

 話題となっている“弁護士”がその子と同じだという確証があるわけではありません。しかし世の中には、自分の思いとは関係なく心や体の動いてしまう人がいるのは確かです。
 わずかな状況の変化がどうしようもなく耐え難い、我慢できない、許せない、融通がきかない。
 そしていったん怒りに火がつくと、以後はしばらく、まったく制御が効かない、制御するという発想自体が溶け落ちてしまう。
 おそらく暴力団関係者や刑務所の中には、統計的に有意に、そういう人たちが多く存在するはずです。もちろん一般社会にもすくなくない。それは代議士や弁護士などいわゆる『士業』と呼ばれている人たちの傲慢といった問題ではなく、極めて個人的な事情です。


【まったく同情できない話でもない】
 もちろん裁判になった場合も「心神喪失」の対象にはなりませんし、やったことは「器物損壊」、「暴行」あいるは「暴行致傷」ですから相応の責任は取らなくてはなりません。
 すすきのの事件でも、車載カメラの映像を見る限り気の毒なのはタクシードライバーであって、暴言暴行の弁護士の方ではありません。
 しかし同情の余地のまったくない話というわけでもありません。この人たちはいつも、まず体が動いてしまってからあとで考え直し、後悔する日々を続けてきたのですから。
 くだんの弁護士も、これから多くのものを失います。

 コメンテーターや司会者が、
「こんな人いる?」
「何か異常ですよね」
「そんなに酔っぱらっているというわけでもないのに――」

と感じるなら、もう少し掘り下げて取材し、議論し、報道してもよさそうなものですが、番組はいつもみんなで憤り、嘆き合って終わりです。


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2017/11/13

「『怖い絵展』の絵が怖くなかった話」  芸術

       〜展覧会のハシゴをしてきた@

 先週木曜日(11月9日)、突然のことがあって東京に行ってきました。ところがせっかく泊りがけで行ったのに用件そのものは木曜日中に終わってしまい、そこで丸々空いてしまった金曜日を美術館巡りに当てました。本当は今度の日曜日(19日)に予定していたのを、前倒しにしたのです。

 行くつもりだったのは上野の森美術館の「怖い絵展」、そして国立博物館の「運慶展」です。どちらも人気の展覧会ですので、予定の日曜日より金曜日の方が楽だと考えました。
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 さらにふたつにひとつだと最近繰り返しテレビで扱われた「怖い絵展」の方がより混みそうなので、こちらにまず開館30分前の9時半に入って、午後は「運慶」に充てようと計画したのですが出だしで躓きます。美術館に行く前に帰りの指定席をとっておこうと思のがうまくできなかったのです。もはや新しい機械の取り扱いに、苦労する年齢になってしまいました。

 そのため美術館前に着いたのが10時。しかもこの日から突然開館時間が1時間繰り上げになっていて、すでに長蛇の列。
 40分待ちの掲示できっかり40分待ちました。

 40分と言われて本当に40分で入れた係員の手際の良さ(ストップウォッチで計りながら一定数を入場させていた)にも驚きましたが、そのあとの音声ガイドの貸出窓口でも長蛇の列が続いていて驚かされました。音声ガイドでそんな長い列を見たのは初めてです(待ち時間15分)。
「怖い絵展」はそういう展覧会のなのです。絵の背後にある歴史や事実を知らないと怖くなれない。

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 例えば上の「チャールズ1世の幸福だった日々」は、“中央に立つチャールズ1世が数年後、清教徒革命によって断頭台に立つことになる”という事実を知っていないと単なる王侯貴族の舟遊びにしか見えません。この穏やかさに、不幸の影が忍び寄ってこないのです。

 あるいは「不幸な家族(自殺)」は、椅子に座る老婆とその膝に取りすがるようにして眠る女性の絵ですが、副題の「自殺」がなければ、あるいは解説によって画面左下の火鉢に気づかなければ、何の恐ろしさも伝わって来ません。単に仲の良い母娘の居眠りの風景です。

 そこで音声ガイドを借りる列が長くなり、会場内の各絵画の前では説明文を読むために人の波がグンと壁に近づき、そして動かない。サイズの小さな絵が多かったこともあり、とにかく観客の移動が進まない、それも混雑の大きな原因のひとつでした。

【「怖い絵展」感想】
 さて、その上で1時間半ほどかかって回り終えた「怖い絵展」ですが、結論から言えばあまり怖くなかった、面白くもなかった。

 たしかに展覧会の宣伝の前面に押し出されたいくつかの作品、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」やオデッセウスとセイレーン」などは迫力も見応えもあるものでしたが、そもそも“解説がなければ心動かされない絵”というものはもしかしたらその程度の絵、ということなのかもしれません。純粋に絵を見たとき、なんとなく物足りないのです。

 もちろん今回の展覧会の中にもすごい作品はありました。
 セザンヌの「殺人」は名も知れぬ人々に極めて私的な殺人現場を、すさまじい迫力で描いたものです。モローの「ソドムの天使」もなにかSF的な雰囲気を漂わせて恐ろしく、ムンクの「森へ」は言い尽くせぬ寂寥感をたたえて、自殺をするために森へ向かうふたつの後ろ姿を描いています。
 私が事大主義なのかもしれません。しかしやはりセザンヌやモローやムンクといった名の知れた画家たちは違うのです。

 歴史もので言えば(今回展示された作品の中にはありませんが)ドラクロアの「サルナダパールの死」は、サルナダパールがいつの時代のどこの人で、どんな歴史的場面が描かれているか、それらをまったく知らなくても十分恐ろしい、おぞましくも凄惨な絵です。
 風景画で言えばクールベの描く海などは、果てしない寂寥感で心が動かされます。
 そういった意味で「怖い絵展」の多くの作品は、1ランク落ちるものかな、という気もしました。
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 もっとも展覧会場の出口付近では若い女性たちが「すごかったね」「おもしろかったね」とか言っていましたし、美術館外壁の大看板に掲示された作品などはそれなりに優れたものですから、最初から目的の絵を決めてそれを観に行くという観方もあります。
 ただ、都合1時間も待ったうえに大混雑の中を鑑賞して歩くことを考えると、私はもう一度行こうという気にはなれません。


【さて次へ】
 上野の森美術館を出て次は「運慶」。
 昼食のことも気になりましたが帰りの電車のこともあり、最悪、昼飯抜きでもいいやと思って向かった国立博物館の前で、私はウンザリするような掲示を見ます。
「ただ今の待ち時間、50分」

 帰りのことや昼食のことを考えるととてもではありませんが無視できる時間ではありません。
 そこで踵を返して公園の案内板に戻り、東京都美術館と国立西洋美術館の特別展を調べると、前者が「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」、後者が「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」。
 ゴッホ展はこれまで何回も観てきていますから、かえって気楽で、さっさと見て簡単に立ち去ることもできるかな――そう思って足を東京都美術館の方に向けました。ところがこれがとんでもなくいい展覧会だったのです。

                              (この稿、続く)



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