2009/11/11
台風の深夜と、もの想う秋 呟きと叫び
先月ちょうど半ば頃に書きかけていたブログ。
ようやく続きを綴り終えました。
================
大型台風一過後、秋晴れが続き日中はとても過ごしやすかった今年の秋。
台風は空の汚れや曇りも吹き飛ばし、洗い流してくれる。
すると、濁り気味だった空の青が鮮烈になり、息を吸い込めば不浄さが減った空気も心地よい。
先日行った箕面の滝道中も、木々のむせ返るような香りが充満して息苦しいほどだった。
超大型と報道されていた台風が来た深夜、猛風が窓をどおーんどおーんと叩き、雨が横殴りに降っている音を枕元で聞いていると、それらの音に交じって子猫がみゃあみゃあ鳴く声が聞こえた。
どうやら、前の小さい堀のような整備された水路周辺のどこかにいて助けを求めているようだ。
少し見に行ったが、どこにいるかわからないし、人間が近付いた物音ですっかり警戒して鳴かなくなってしまったので引き返した。
寝床に入り、耳を澄ませていると、15分も過ぎたろうか、しばらくして再び「にゃあぉん、にゃあぉん」という声が。
しかし人間が近付いたら気配を消してしまう野良なので捕まえることは出来ない。
鳴いているということは生きているということだと、無事を祈りつつ諦めた。
翌日からずっと青天続き。
秋だなあという実感。
その空を見ながら想う。
出会いがあれば別れもある。
一口に出会いといっても、人とのそれもあれば、他の生物や空間や場所との、そして物とのそれもある。
私が人見知りが激しい子供だったのは、子供特有の自意識過剰はもちろんあるが、それとは別に、誰かと関わる事で自分が傷ついたり、また誰かを傷つけたりしたくなかったからだ。
人のちょっとした言葉や態度ですぐに傷ついていた子供の頃の私は、自分のそうした一言や態度で人を傷つけてしまうことも本能的に知っていた。
だから、人と関わるのは、とても面倒くさいし怖いことだったのだ。
関わらなければ、傷つけあうことは無い。
これは、答えとしては正しいが、生きていくには不可能だ。
不思議なもので、大人になり行動範囲も自然と広くなるにつれて、人見知りはましになり、傷つけることも傷つけられることも仕方ないことだと思えるようになってきた。
そういった対人関係の免疫が進んできた、言い換えれば良い意味での諦めがついたのは三十半ばぐらいからの話しだが、それでもまだまだ生きにくいなあと感じることは多々あるし、対人関係に敏感になってしまうこともある。
私自身、独りでいることはとても好きなんだが、だからといって完全な孤独を好むとまではいかないようだ。
物欲の希薄な私にとって、人間関係は非常に厄介なものだったし、それは今でも変わらない。
その辺り、なかなかギリギリで綱渡りをしているようだと思う時もあるが、概ね何とか人と付き合っているのは善しとしなければなと思う。
全くの平穏でいければそれに越した事はないが、なかなかそうもいかないのが現実で、たまにどうしようもなくやるせない気持ちにさせられる時がある。
明らかに嘘をつかれたり、だまくらかそう、ごまかそう、その場限りの言い逃れをしよう、いいように利用しよう、というような場合がそれで、やっている本人はバレていないつもりでも、そういうことは意識しようとしていなかろうと意外に感づかれているものなのだ。
ところが、そういうことをする人に限って、自覚が薄く、自分の言動を忘れてしまっているのか、後でボロが出て墓穴を掘ることになる。
忘れた、あるいは忘れたと言うのも嘘かも知れないし、嘘だということも忘れてしまったのかも知れないが、それはやられた相手側にとってはどうでも同じだ。
たとえ無意識無自覚でも、人を欺く行為は良くない。
嘘も方便と言うし、お互いにいい感じでバランス良く利用し合える、つまり協力関係が成り立っているうちは良いが、そこを越えられると、とても虚しいし、やりきれない気持ちになってしまう。
いい年になってからのこういう経験は、鈍っていたアンテナの感度が突然戻るようなもので、誰にでもある話だ。
たとえそういうことをされた相手に言いたいことを言い切ったとしても心が晴れるわけではない。
そして、そういうことを自分が無意識にあるいは無自覚に誰かにしてしまっているんじゃないかという恐怖も湧いてくる。
自分もやはり人間なので、意識的にでも無意識にでも、人を傷つけることがある、それがとても怖いのだ。
あるいはこれをネガティブだとかポジティブだとかいう単純な概念で片付けることもできると思うが、私は人間そんなに単純ではないと思っているし、個々の事象を見れば単純なものが複雑に絡み合い絶妙なバランスで成り立っているのが自然界なんだから、ポジティブもネガティブも渾然一体となって生きていくしかないに決まっているのだ。
思考の方法としてプラスに物事を考えるのは良いが、物事のプラス面だけを見て良しとするととても大事なことを見失う可能性もあるし、このプラス面というのも人それぞれ違う捉え方なのが当り前だ。
たとえネガティブであろうが、マイナスであろうが、自分の失敗は素直に認めてその事実は一旦ちゃんと受け入れなければいけない。
そうすれば出会いがより有意義なものになるし、別れも有意義に転換することもあると思う。
単純に出会いと別れとはいかないのが人間関係だし、そういう葛藤がまた人生の味わいでもあるのだろうか。
・・・あの猫はどうしたろうか。
台風の夜、みゃあみゃあとか細く鳴いていたあの猫と、自分やあるいは誰かが重なって感じられる。
救いを求めてはいるが、誰かが近付くと警戒して声を発さなくなる。
結局はひとりなのかと思う。
しかし、ひとりが「独り」だと寂しいのはどんな生き物でも同じだろう。
ゆえに、巷を騒がせているインフルエンザウィルスも、躍起になって増殖を試みるのだ。
どこかで元気に生きていれば、それだけでいいのかも知れない。
秋というのは、私のような人間にもこういうちょっとセンチメンタルなことを考えさせるのか。
オソルベシ 秋の青天。
そんな秋の終わりにライブがあります。
■『Inner Song』島田篤(vo,pf)弾き語りSOLO
BIG APPLE The 20th Anniversary Special Live !!
ゲスト:さねよしいさ子(vo)
2009/11/28(土) open19:00/start19:30
神戸【BIG APPLE】・・・JR/阪神『元町』駅よりトアロード上る徒歩10分、山本通り3丁目バス停前
078-251-7049 神戸市中央区山本通3-14-14 トーアハイツB1
前売¥2500/当日¥2800(+1drink)
BIG APPLE20周年の祝夜、紅葉が色づくように私の楽曲を彩ってくれる素晴らしいゲスト・さねよしいさ子さんを迎えてです。
皆さんのお越しをお待ちしています。
1
ようやく続きを綴り終えました。
================
大型台風一過後、秋晴れが続き日中はとても過ごしやすかった今年の秋。
台風は空の汚れや曇りも吹き飛ばし、洗い流してくれる。
すると、濁り気味だった空の青が鮮烈になり、息を吸い込めば不浄さが減った空気も心地よい。
先日行った箕面の滝道中も、木々のむせ返るような香りが充満して息苦しいほどだった。
超大型と報道されていた台風が来た深夜、猛風が窓をどおーんどおーんと叩き、雨が横殴りに降っている音を枕元で聞いていると、それらの音に交じって子猫がみゃあみゃあ鳴く声が聞こえた。
どうやら、前の小さい堀のような整備された水路周辺のどこかにいて助けを求めているようだ。
少し見に行ったが、どこにいるかわからないし、人間が近付いた物音ですっかり警戒して鳴かなくなってしまったので引き返した。
寝床に入り、耳を澄ませていると、15分も過ぎたろうか、しばらくして再び「にゃあぉん、にゃあぉん」という声が。
しかし人間が近付いたら気配を消してしまう野良なので捕まえることは出来ない。
鳴いているということは生きているということだと、無事を祈りつつ諦めた。
翌日からずっと青天続き。
秋だなあという実感。
その空を見ながら想う。
出会いがあれば別れもある。
一口に出会いといっても、人とのそれもあれば、他の生物や空間や場所との、そして物とのそれもある。
私が人見知りが激しい子供だったのは、子供特有の自意識過剰はもちろんあるが、それとは別に、誰かと関わる事で自分が傷ついたり、また誰かを傷つけたりしたくなかったからだ。
人のちょっとした言葉や態度ですぐに傷ついていた子供の頃の私は、自分のそうした一言や態度で人を傷つけてしまうことも本能的に知っていた。
だから、人と関わるのは、とても面倒くさいし怖いことだったのだ。
関わらなければ、傷つけあうことは無い。
これは、答えとしては正しいが、生きていくには不可能だ。
不思議なもので、大人になり行動範囲も自然と広くなるにつれて、人見知りはましになり、傷つけることも傷つけられることも仕方ないことだと思えるようになってきた。
そういった対人関係の免疫が進んできた、言い換えれば良い意味での諦めがついたのは三十半ばぐらいからの話しだが、それでもまだまだ生きにくいなあと感じることは多々あるし、対人関係に敏感になってしまうこともある。
私自身、独りでいることはとても好きなんだが、だからといって完全な孤独を好むとまではいかないようだ。
物欲の希薄な私にとって、人間関係は非常に厄介なものだったし、それは今でも変わらない。
その辺り、なかなかギリギリで綱渡りをしているようだと思う時もあるが、概ね何とか人と付き合っているのは善しとしなければなと思う。
全くの平穏でいければそれに越した事はないが、なかなかそうもいかないのが現実で、たまにどうしようもなくやるせない気持ちにさせられる時がある。
明らかに嘘をつかれたり、だまくらかそう、ごまかそう、その場限りの言い逃れをしよう、いいように利用しよう、というような場合がそれで、やっている本人はバレていないつもりでも、そういうことは意識しようとしていなかろうと意外に感づかれているものなのだ。
ところが、そういうことをする人に限って、自覚が薄く、自分の言動を忘れてしまっているのか、後でボロが出て墓穴を掘ることになる。
忘れた、あるいは忘れたと言うのも嘘かも知れないし、嘘だということも忘れてしまったのかも知れないが、それはやられた相手側にとってはどうでも同じだ。
たとえ無意識無自覚でも、人を欺く行為は良くない。
嘘も方便と言うし、お互いにいい感じでバランス良く利用し合える、つまり協力関係が成り立っているうちは良いが、そこを越えられると、とても虚しいし、やりきれない気持ちになってしまう。
いい年になってからのこういう経験は、鈍っていたアンテナの感度が突然戻るようなもので、誰にでもある話だ。
たとえそういうことをされた相手に言いたいことを言い切ったとしても心が晴れるわけではない。
そして、そういうことを自分が無意識にあるいは無自覚に誰かにしてしまっているんじゃないかという恐怖も湧いてくる。
自分もやはり人間なので、意識的にでも無意識にでも、人を傷つけることがある、それがとても怖いのだ。
あるいはこれをネガティブだとかポジティブだとかいう単純な概念で片付けることもできると思うが、私は人間そんなに単純ではないと思っているし、個々の事象を見れば単純なものが複雑に絡み合い絶妙なバランスで成り立っているのが自然界なんだから、ポジティブもネガティブも渾然一体となって生きていくしかないに決まっているのだ。
思考の方法としてプラスに物事を考えるのは良いが、物事のプラス面だけを見て良しとするととても大事なことを見失う可能性もあるし、このプラス面というのも人それぞれ違う捉え方なのが当り前だ。
たとえネガティブであろうが、マイナスであろうが、自分の失敗は素直に認めてその事実は一旦ちゃんと受け入れなければいけない。
そうすれば出会いがより有意義なものになるし、別れも有意義に転換することもあると思う。
単純に出会いと別れとはいかないのが人間関係だし、そういう葛藤がまた人生の味わいでもあるのだろうか。
・・・あの猫はどうしたろうか。
台風の夜、みゃあみゃあとか細く鳴いていたあの猫と、自分やあるいは誰かが重なって感じられる。
救いを求めてはいるが、誰かが近付くと警戒して声を発さなくなる。
結局はひとりなのかと思う。
しかし、ひとりが「独り」だと寂しいのはどんな生き物でも同じだろう。
ゆえに、巷を騒がせているインフルエンザウィルスも、躍起になって増殖を試みるのだ。
どこかで元気に生きていれば、それだけでいいのかも知れない。
秋というのは、私のような人間にもこういうちょっとセンチメンタルなことを考えさせるのか。
オソルベシ 秋の青天。
そんな秋の終わりにライブがあります。
■『Inner Song』島田篤(vo,pf)弾き語りSOLO
BIG APPLE The 20th Anniversary Special Live !!
ゲスト:さねよしいさ子(vo)
2009/11/28(土) open19:00/start19:30
神戸【BIG APPLE】・・・JR/阪神『元町』駅よりトアロード上る徒歩10分、山本通り3丁目バス停前
078-251-7049 神戸市中央区山本通3-14-14 トーアハイツB1
前売¥2500/当日¥2800(+1drink)
BIG APPLE20周年の祝夜、紅葉が色づくように私の楽曲を彩ってくれる素晴らしいゲスト・さねよしいさ子さんを迎えてです。
皆さんのお越しをお待ちしています。

1
2010/12/16 5:11
投稿者:しまだ
2010/12/15 22:54
投稿者:ミコ
自己を振り返って、コメントさせていただきます。
私も人付き合いが苦手ですが、職場や顧問先との関係は、色々な事を経験する内に「日々発見!」と思う様になりました。
でも、島田さんの言われる通り「なかなかそうもいかないのが現実」ですね。
このお話しを最初に拝読した折は、「難しい内容!」と言うのが本音でした。
その後、知人との事で、島田さんが書かれたこの日の内容が私の中で蘇りました。
知人の話は身近な人達への批判だったのですが、あまりの内容に私は聞くのが辛くなり、お返事をお断りしました。
その後、知人からは自分が話した内容はそう言う意味でなく等、前日の話ですら逆の内容で変幻自在に会話を変えられました。
私は、知人を嫌いになった訳でなく、ただ批判を止めて欲しかっただけなのです。
一方的に自己保全をされた様で、やりきれなくなりました。悲しい位、自分の言った言葉から逃れようとする知人の姿が見えたのです。
そして、自分も偉そうに知人に言いながら、自己弁護をさせる様な言い方をしてしまったのだとも思いました。
私自身は、いつも笑顔でいられないのは当たり前ですから、その理由をキチンと伝える事だけはしたいと思います。
私も人付き合いが苦手ですが、職場や顧問先との関係は、色々な事を経験する内に「日々発見!」と思う様になりました。
でも、島田さんの言われる通り「なかなかそうもいかないのが現実」ですね。
このお話しを最初に拝読した折は、「難しい内容!」と言うのが本音でした。
その後、知人との事で、島田さんが書かれたこの日の内容が私の中で蘇りました。
知人の話は身近な人達への批判だったのですが、あまりの内容に私は聞くのが辛くなり、お返事をお断りしました。
その後、知人からは自分が話した内容はそう言う意味でなく等、前日の話ですら逆の内容で変幻自在に会話を変えられました。
私は、知人を嫌いになった訳でなく、ただ批判を止めて欲しかっただけなのです。
一方的に自己保全をされた様で、やりきれなくなりました。悲しい位、自分の言った言葉から逃れようとする知人の姿が見えたのです。
そして、自分も偉そうに知人に言いながら、自己弁護をさせる様な言い方をしてしまったのだとも思いました。
私自身は、いつも笑顔でいられないのは当たり前ですから、その理由をキチンと伝える事だけはしたいと思います。
2009/11/12 10:35
投稿者:shimalog
イズミヤさん、ありがとうございます。
私は損得勘定というのが苦手で・・・自分も当然そういう計算もしながら人と接しているのですが・・・それがあまりにも前面に出ている人とはなるべく距離をおこうとします。
いわゆる業界っぽい人がそれで、こいつと付き合っていれば得、こいつを抑えておけばOK、というのがあまりにもはっきりしている人が多くて気持ち悪く、まだ免疫が薄かった頃の私は、打上げなんかでそういう人と隣り合わせになってもほとんど喋りませんでした。
まあ、それもひとつの嗅覚で、必要なことだろうとは思うんですが、もう少しスマートに出来ないのかといつも思ってしまいます。
ただ、今回のブログはそういうことではなく、ある自己保身の結果から嘘をつき、それを誤魔化そうとされたという経験から書いたものです。
私のように個人で仕事をしていると、ちゃんとした人間関係とはどういうものなのかも実は良く解かっていないと思うし、芸人さんでもミュージシャンでも、嫌な仕事は受けない、嫌な人とは会わないという選択肢があったりしますが、サラリーマンにはそれがほぼ不可能でしょう?
そこがサラリーマンのえらい所だと思うし、自分にはそれが出来そうもないからこういう職業を選んだとも言える。
ただ、そうまでして何故サラリーマンという職業を続けるのかが解からない、生きていく為には他の職業だってあるじゃないか?!と思うことがあります。
確かにプレッシャーは大きいし、嫌なこともありますが、避けれる場合もあるし、自分で納得のいくように働きかけることもできたりする我々のような仕事の方が、サラリーマンより細かいストレスは少ないと思います。
あ、ミュージシャンはアホでもできますが、芸人さんはアホではできないという言い方が一般にはできると思います。
芸人さんは神経質な部分を持っていないと、あれだけ人を笑わせることは無理でしょうし、気が小さい人のほうが面白いと思います。
ミュージシャンはもっとアホっぽい無神経な感じのやつも多いですし、そういう人に限って自分を神経質だと思っていたり・・・。
芸人稼業は今や芸能界という巨大産業を担う人材の宝庫なので、競争も半端じゃないだろうし、より集団を意識した行動ができないといけないしで、大変だろうなあと思います。
http://air.ap.teacup.com/shimalog/
私は損得勘定というのが苦手で・・・自分も当然そういう計算もしながら人と接しているのですが・・・それがあまりにも前面に出ている人とはなるべく距離をおこうとします。
いわゆる業界っぽい人がそれで、こいつと付き合っていれば得、こいつを抑えておけばOK、というのがあまりにもはっきりしている人が多くて気持ち悪く、まだ免疫が薄かった頃の私は、打上げなんかでそういう人と隣り合わせになってもほとんど喋りませんでした。
まあ、それもひとつの嗅覚で、必要なことだろうとは思うんですが、もう少しスマートに出来ないのかといつも思ってしまいます。
ただ、今回のブログはそういうことではなく、ある自己保身の結果から嘘をつき、それを誤魔化そうとされたという経験から書いたものです。
私のように個人で仕事をしていると、ちゃんとした人間関係とはどういうものなのかも実は良く解かっていないと思うし、芸人さんでもミュージシャンでも、嫌な仕事は受けない、嫌な人とは会わないという選択肢があったりしますが、サラリーマンにはそれがほぼ不可能でしょう?
そこがサラリーマンのえらい所だと思うし、自分にはそれが出来そうもないからこういう職業を選んだとも言える。
ただ、そうまでして何故サラリーマンという職業を続けるのかが解からない、生きていく為には他の職業だってあるじゃないか?!と思うことがあります。
確かにプレッシャーは大きいし、嫌なこともありますが、避けれる場合もあるし、自分で納得のいくように働きかけることもできたりする我々のような仕事の方が、サラリーマンより細かいストレスは少ないと思います。
あ、ミュージシャンはアホでもできますが、芸人さんはアホではできないという言い方が一般にはできると思います。
芸人さんは神経質な部分を持っていないと、あれだけ人を笑わせることは無理でしょうし、気が小さい人のほうが面白いと思います。
ミュージシャンはもっとアホっぽい無神経な感じのやつも多いですし、そういう人に限って自分を神経質だと思っていたり・・・。
芸人稼業は今や芸能界という巨大産業を担う人材の宝庫なので、競争も半端じゃないだろうし、より集団を意識した行動ができないといけないしで、大変だろうなあと思います。
http://air.ap.teacup.com/shimalog/
2009/11/12 4:06
投稿者:イズミヤ
けっこうエエ歳になっても、ちゃんとした人間関係を築いていない者も居て、私も含めて、そうした人間が何かの目的で協力者を説得するとき、結果的に騙して利用することになるケースはありますね。たぶん本人は、目的が達成すれば、あなたにもプラスになるから、ぐらいにしか考えていない。
もう20年の付合いになるMさんは、芸人さんなのに極端に人見知りでナイーブで神経質。後輩からは気難しい人と思われている。でも実際は、私が46年間で出会った中で最高の人物です。
そして、Mさんが一番嫌うのは、有名人だからといって、それを利用されたり、特殊な人間扱いされることです。これまでも、私に対して周囲から、会わせてくれとか紹介してくれとか、いっぱいありました。そういうときMさんは、普通に大人の対応をするのですが、例外なく、その場限りになります。だから、もう最近は、二人だけで安居酒屋で、五時間ぐらい飲んで話してます。
芸人さん、ミュージシャンなどの職業を、私と同じぐらいの年齢まで続けるということは、一般のサラリーマンには無い、嫌な出来事とか面倒なトラブルが多いと想像します。そして、大きなプレッシャーも、自分で意識を高くして、乗り越えないといけない。もちろん、自由で楽しく、やりがいのある世界だと思いますが、精神的に強くないと大変ですね。
http://blogs.dion.ne.jp/iminashi/
もう20年の付合いになるMさんは、芸人さんなのに極端に人見知りでナイーブで神経質。後輩からは気難しい人と思われている。でも実際は、私が46年間で出会った中で最高の人物です。
そして、Mさんが一番嫌うのは、有名人だからといって、それを利用されたり、特殊な人間扱いされることです。これまでも、私に対して周囲から、会わせてくれとか紹介してくれとか、いっぱいありました。そういうときMさんは、普通に大人の対応をするのですが、例外なく、その場限りになります。だから、もう最近は、二人だけで安居酒屋で、五時間ぐらい飲んで話してます。
芸人さん、ミュージシャンなどの職業を、私と同じぐらいの年齢まで続けるということは、一般のサラリーマンには無い、嫌な出来事とか面倒なトラブルが多いと想像します。そして、大きなプレッシャーも、自分で意識を高くして、乗り越えないといけない。もちろん、自由で楽しく、やりがいのある世界だと思いますが、精神的に強くないと大変ですね。
http://blogs.dion.ne.jp/iminashi/



その方の場合は、一旦は本音で話され、その後言い過ぎた、ミコ
さんを傷つけたという思いがあるから、言い訳(と言っていいの
かわかりませんが)の為に前言を翻したりされているのではと想
像します。
これは、ある意味健全な人間の精神から出た行動だという気がし
ます。
悪いことをしたと思っているなら、ごめんという謝罪の言葉一つ
で本当は充分だとは思いますが。
私がこの記事で書いたのは、最初からはっきりと本音や本心を話
してくれればいいものを、そこは言わずに別の理由を持ち出して
本心は覆い隠したまま、自分の都合を通そうとされた、という出
来事です。
その人は、以前からそういう傾向があったので直接何度か話し合
いもしましたし、その度にそういうこちらをコントロールする為
に嘘をつかれるのは嫌だということは何度か伝えたのですが、結
局そういったことが重なったため、かなり強い調子で批判(あれ
は糾弾と言っていいかも知れません)しました。
その人は反省をして謝ってもくれましたが、謝るのも毎度の事で
結局同じ繰り返しだったので、私はもう謝罪はいいということと
、縁を切るつもりはないけれど今後は以前のように気軽にはお付
き合い出来ない旨を伝えました。
それがお互いの為に良いと思ったからです。
そういうことを気にしない人と仲良くすればいいんだし、私はそ
こは流せないからです。
さて、わりと最近のことですが、その人は「自分だけが悪いのか
」と言っているそうだというのを聞き、やはりそうなるんだなと
思いました。
嫌いとか好きじゃなく、人付き合いには最低限度のルールがあり
ます。
そこに個人差は必ずありますが、そのギャップをどう埋めるかが
人付き合いで、お互いが歩み寄れない場合はお付き合いも難しく
なるのは仕方がないんだと思います。
巷では、友達だからということを理由にして、理不尽な頼み事を
したり、知らなければ平穏な不要な噂を吹き込んだりする人も多
いということをよく聞きます。
私は、友達というのは本当に困った時に助けることができるかど
うか、あるいは突き放せるかどうかだと思うので、黒い心を吹き
込んでくるのは友達じゃないとも思います。
長くなったので、ここまででおしまいにします。
ありがとうございました。