周さんの
将門Webに、
吉本隆明鈔集「『源氏物語』はひとつだけ欠陥がある。退屈だ」 とありました。わはは、確かにそうですね。

しかし、その退屈な源氏物語を、何故自分が好きなのか?ということを考えてみますと、一つには「雅やか」ということがあります。言い切ってしまえば「雰囲気が好き」なのです。例えば色や服装の描写など…ということで、またまた以前の、某アパレルショップで書いていたメルマガの文章をひっぱってきました。
(注・長いです!)
(2003.12.5(金)発行のメルマガより抜粋)
〜日本編〜
そして、日本での「紫」です。
「禁色」とされていた最高位の紫は、かなり黒に近い、濃い紫だったようです。天武天皇の時代には朱色が紫より高位になりますし、平安時代の律令制では天皇は黄櫨、皇太子は黄丹、(源氏物語の時代くらいまでは臣下の上位は濃い紫もあったようですが、)だんだんと、一位〜四位の人が着る袍の色は紫から完全に黒になります。五位が赤、六位以下は浅葱色や縹色です。
その「色」の感覚は、当時の日本人(この場合貴族階級ですが)にとってどんなものだったのでしょうか。「源氏物語」の中から、ちょっとマイナーなところかもしれませんが、源氏の君の長男・夕霧と、雲居の雁との恋物語をあげてみます。
夕霧と雲居の雁は従兄妹同士でもあり、幼馴染でもあります。二人はいつしかお互いに愛し合うようになるのですが、雲井の雁は、帝に入内してもおかしくない程の美しい娘に成長し、もちろんその望みにつりあう家柄の女性であるため、雲居の雁の父・内大臣は、できれば帝に、それが無理でもすべてにおいて優れた男のところに娘を嫁がせたい、と画策します。一方、夕霧はこちらも家柄は良いものの、父・源氏の厳しい計らいで、きちんと勉強をして、しかるべく出世街道を上るよう教育されます。形だけではなく、それだけの能力を身につけるように言われ、夕霧は学問を修めた後も、大貴族の子弟にしては随分低い位にしかつくことができませんでした。それでも夕霧と雲居の雁はお互いなくてはならない存在になります。内大臣は、帝への入内を阻む夕霧という存在が、次第に疎ましくなり、彼が娘に会うことを禁じてしまいます。
夕霧が雲居の雁の相手として官位が相応しくない、とあてこすられる場面、彼はその頃、浅葱色の袍しか着ることのできない「六位」です。
「くれないの涙にふかき袖の色を 浅みどりにや言ひしをるべき」
こんなに君のことを思っているのに、浅みどりを着た下っぱ官僚だから相応しくないだなんて、そんなひどい話があるか?!…と、これはとっても勝手な意訳ですが、ここで夕霧と雲居の雁はいったんお別れすることになります。そして、時が過ぎ、夕霧が出世もし、雲居の雁の父・内大臣(もと頭の中将)とも和解して、晴れて雲居の雁と結婚したシーンでは、
「あさみどり若葉の菊を露にても 濃き紫の色とかけきや」
と歌をよみつつ、昔「六位なんて官位の低い人と…」といやみを言った雲居の雁の乳母に菊を手渡します。
今は濃紫(この時夕霧は三位)を着ているよ、文句ないよな、という、軽いいやみの報復ですね。でもここからは、ようやく愛する人を手に入れた夕霧の幸福感が充分に読み取れます。濃紫を着た夕霧がいかにも誇らしくふるまうさまが浮かんでこられますでしょうか?ちょっと可愛くて、かっこいい夕霧くんです。
「紫を着る」ということは、「出世する」「一人前になる」「立派になる」と言い換えられるような、その時代のすばらしいステータスであることが、なんだかこの夕霧のところを読んでいると、妙な現実感を伴って理解できるような気がします。また、内大臣が夕霧を邸に招く口実は「藤の花の宴」です。藤の花が美しく咲き乱れるのが目に浮かび、馥郁たる香りがほんのりと漂ってくるかのようなこの「藤裏葉」の巻は、言葉としても「藤」「紫」が非常にたくさん出てきます。孔子が聞いたら怒るかもしれませんが、やはり紫は艶なる色でもあり、それ故に日本の王朝びとから愛されたことは間違いありません。
そして紫は甲冑の紫糸威としても多く用いられますし、江戸時代には有名な「江戸紫」が流行となります。江戸紫は青味がかった紫で、これに対して京紫は赤味がかった紫です。江戸紫は今紫、京紫は古代紫ともいい、京紫は儀式などに用いられたおめでたい色として珍重された、とよく書かれていますが、江戸っ子は「京紫なんて古臭い!今の流行りは江戸紫よ!」と思っていたようですね。「昔、禁色とか言われていたのは濃い紫のことで、今流行っている紫はそんなごたいそうなもんじゃないよ!」というように書かれているものもありますので、当時の感覚ではただただ、「カッコイイ色」であったのかもしれません。
(*「古代紫」と「京紫」は別、とする規格もあります。)
(2004.3.12(金)発行のメルマガより抜粋)
6号以来お久しぶりの「無駄に雑学メルマガ編」です。今回は春らしく「ピンクについて」をお届け致します。
春の代表色といえばピンク、と、HPの方でも何度かお話をさせていただきましたが、本当に、暖かくなるにつれ、お客さまがピンクを手に取られることが増えるのが不思議でもあり、また当然のような気も致します。本日はそのピンクについて、ご紹介したいと思います。
「源氏物語」の、「花宴」から。
これは「2月の20日あまり」、とありますから、新暦ではだいたいちょうど今ごろのお話です。紫宸殿の左近の桜を賞する宴に、源氏は「春」という韻字で詩を作り、舞を舞い、その何気ない所作の一つ一つが「人にことなり」(人とは異なっている、際立って優れている)、「似るべきものなく見ゆ」(たとえようもなくみごとに見える)、と、頭の中将と共に人々の賞賛を浴びました。そして夜になって、少し酔い心地で想い人の藤壺中宮がいらっしゃるあたりを歩いてみますが、会えるはずもなく、このままではあきらめきれない、と、別棟の弘徽殿に立ち寄りました。(何故藤壺があきらめきれずに弘徽殿に行くのか、という質問はしないでくださいね。私もそこは多いにツッコミたいです!)そこで源氏は、若く美しい女性に出会います。しかし、すぐに別の人の気配がし始めたので、仕方なく扇だけを取り替えて、その場は立ち去りました。この女性が六の君・朧月夜の君です。
さて、色の描写が多い源氏物語ですが、「花宴」はここまで、色については書かれていません。この扇を源氏が後でゆっくり見る時に始めて、「かのしるしの扇は、桜がさねにて、濃きかたに霞める月を描きて、水にうつしたる」とようやく「桜がさね」が現われました。桜がさねは、白と二藍(白と蘇芳と書かれているものもあります)を張った、桜の薄様の紙、ということです。その、濃い色の紙を張ってある方に、月が水に映ったところが描かれている扇です。ありふれた意匠だったようですが、持ち主の趣味がしのばれるほどに使いこなしてある、と書かれていて、なんだか奥ゆかしくも色っぽいのです。ここはやはり、青や緑や黄色ではダメで、ピンクならではの雰囲気がうまく生かされています。
そしてその、ほぼ一ヶ月後、今度は藤の宴で、源氏は朧月夜の君と再会するのですが、ここで源氏が着ているのが、「桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下がさね」です。桜の唐の綺というのは、表が白の唐織の綺(綿に似た薄い織物)で、裏が二藍(または蘇芳)色のものをさします。葡萄染はえびぞめと読んで、薄い赤紫色。しかもこれを、皆が正装で袍を着ているのに、身分の高い者だけが許される略装で、さらっと着こなしているようです。(しかも一番最後のご登場です。)かなり粋というか伊達というか(もちろん当時は「伊達」とは言わなかったですけれど)、女流文学に出てくる貴公子そのもの、といった感じです。二藍は、ピンクから紫まで様々な色合いがあったようですが、若い者ほどピンク(というか青色よりも紅色の強いもの)に近い色を着ていたようですので、この時の源氏は、表が白、裏がピンクの上着、その下に薄い赤紫色で裾の長い、いわばインナーを着て、ピンク系のグラデーションの衣装だったと言って良いのではないかと思います。ピンク色の扇が取り持つ女性に会えるかもしれない、という時に、やはりピンク系の服を着てさりげなく目立つ、というシチュエイションを描くなんて、やっぱり作者・紫式部ってものすごく女性らしい女性だったんだろうな、と思ってしまいます。
…とここまで書いて、てつが暴れているので続きはまた…
ちなみに、ダンナは風邪っぴきです。なにやってんだ私;