ここ数ヶ月で頭の中でイロイロな
ことを頭がよぎっていた。
ここ数年でDJなんてことを始めている。
元を辿れば高校生の頃、放送部に所属していて
お昼の放送を担当していた。
今でいう「ラジオDJ」みたいな事を。
毎週曜日で担当が決まっていて
オレは水曜日の担当だった。
その当時は「ダンス甲子園」なんて流行っている
時代で自分もダンスミュ−ジックにどっぷり
ハマっていた。
中学の頃から聞いていたユ−ロビ−トを始め
としてHIPHOP、ハウス、テクノetc。。。
ブラックミュ−ジック業界もボビ−ブラウンを
始めとしたニュ−ジャックスウィングなんて
流行っていた。
そんな選曲をしながら
あることないこと喋るお昼の放送でやっていた。
洋楽ばかり掛けていたせいなのか?
放送部の顧問から「著作権は大丈夫なのか?」
と質問を受けたこともあった。
高校のお昼の放送ごときに著作権もクソもあるか!
と当時は思っていた。
それから渋谷のCLUBやレコ−ドショップを
うろつく日々が続いていた。
それから十数年経った今、気がついたらRock DJを始めていた。
今までメジャ−なRockは知っていたが
それほど、どっぷりとも聞いていなかった。
25歳を過ぎた頃、とある友人に誘われて
新宿にある老舗ロックバ−に連れて行ってもらった。
そこで見たもの、聞いたものに衝撃を受けて
すっかりRockのトリコになっていた。
Rockといっても幅が広いのでジャンルを言いきれないが
世の中で言うジャンル的な言葉のRockだ。
その当時Red Hot Chilipeppersがよく掛かっていて
「BLOOD SUGER SEX MAGIC」の「GIVE IT AWAY」
がよく掛かっていた。Rockを聞いていなかった
オレだけど、さすがにこのアルバムは持っていた。
知っている曲が大音量で流れていて
遊びに来ているお客さんが大合唱している姿。
普通のロックバ−やCLUBでもないあの「LIVE」な感じ。
もちろんレッチリだけではなく
掛かる曲すべてに衝撃が走った。
それからというもの、週末は老舗ロックバ−
で過ごし、そこで覚えたア−ティストの
CDを買いに行く日々が続いた。
その当時はイロイロなことがあり精神的に少し弱っていて
毎週末にそこで遊ぶのが精神安定剤になっていたんだろう。
それから数年後、仕事で関西に転勤や家庭を持っていた
ということもあってなかなか遊びに行けなかったとき
「閉店」という情報が飛び込んできた。
正直ショックだった・・・。
自分に影響を与えた空間がなくなるということが。
そのとき、ふと仲間内でRock DJの真似事をしていた。
それが「TAMMER SONIC」の前進でもあると言われる。
それから仲間内でパ−ティ−の真似事をしていた。
それからふとした情報が飛び込んだ。
一度閉店したお店が場所を変えてリニュ−アル
オ−プンしていた。
この数年で家庭を持っていたり、歳を取ってしまった
りと環境も変化していたのであまり遊びには行けなかった。
またインタ−ネットを通じて
様々な音楽好きに知り合い、DJイベントをやるように
なった。もちろんプロではないしRockだから
という言い訳で曲の繋ぎなんてテクニックはなかった。
自分の掛けたい選曲が「命」だった。
それから何回かDJイベントを出るようになって
いろいろな方の影響を受けてDJイベントの
オ−ガナイズがしてみたくなった。
もちろん結果は散々だった。
機材の下見不足、集客、雰囲気。。。
どれもが最悪だった。
DJイベントをオ−ガナイズする難しさを痛感した。
そんな自分が何を思ったかリニュ−アルした
老舗ロックバ−のDJオ−ディションに出ていて
補欠ではあるが合格してしまった。
普段緊張することのないオレだったが
さすがに緊張した。
あの憧れのお店でプレイできることに対して。
自分のプレイは散々だった。
もともとヘタクソではあったが
普段出来ていることが出来なかったり・・・
緊張のあまり良く覚えていないが
散々だったことは記憶している。
そんなプレイにも関わらず補欠で合格してしまった。
神がオレに味方をしたのか?
何かの間違えなのか?
正直オレは浮かれていた。
それからプロのRock DJとして
2足のワラジを履くことになった。
こういうことはやってみてから判ることだが
好きなことを仕事にすることは容易ではなかった。
時間の規制、犠牲にしなくてはいけないもの、
DJとしての姿勢、自分が今後どうしたいのか?
いくら精進しても全然追いつかない自分。
周囲は業界では名の知れたDJばかり・・・。
イロイロなことを考えすぎてしまいブ−スに立つのが
怖くてしかたがなかった。
好きで始めたことはこんなに苦痛になると思わなかった。
やはり好きなことを仕事にするって容易では
ないことを知らされた。
でも嫌なことだけではなかった。
オレを慕ってくれてよく遊びに来てくれる常連や
アドバイスをくれる先輩DJ、スタッフのみんな。
すごく暖かい人間味のあるものをもらった。
コミュニケ−ションが好きなオレにとっては宝物である。
そして半年後、自分の周囲の環境の変化と
2足のワラジを履くことに限界を感じていた。
自分が2足のワラジを履くことで多大な迷惑を
周囲に掛けていたことに気がついた。
そこでオレは老舗ロックバ−のDJを降りた。
自分の力不足でもあり、努力が足らなかった。
正直、DJを降りたときに
DJを辞めようと思った。
DJなんていつでも辞めようと思えば辞められるし
辞めたところで誰にも迷惑が掛からない。
でも一度多くのヒトの前で自分の掛けた曲に対して
笑顔で踊ってくれる感動やスポットライトを浴びて
しまうと辞められなくなってしまう。
よく昔のアイドルがステ−ジに立って感動を忘れられなくて
復活する姿を目にする。あれと同じような感覚だと思う。
またオレはDJがしたくてウズウズしている。
でも昨今、この業界は冷たい風が吹いている。
老舗のパ−ティ−でも閑古鳥が鳴いているとか。
時代の進化で誰でもDJが出来る環境が出来ていることで
様々なパ−ティ−があちらこちらで繰り広げられ
消滅していっている。ある意味弱肉強食の時代だと思っている。
今DJとして生きていくには相当の覚悟をして挑むか
自分の身銭を削って「オレ様DJ」をやるのか
人脈の多い人間を味方につけるか、
宇宙的無限大な構想、コンセプトを持って
他のパ−ティ−と差別化できるようなものを作るか
自我を殺して長いものに巻かれていくしかないと思っている
でもDJしたくてウズウズしている。
世の中でよく「成人の幼稚化」なんてことが
言われている。オレもその一人なのかもしれない・・・。

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