近世の随筆に記された怪談・奇談を,テーマ別・五十音順にまとめた
柴田宵曲編1961『随筆辞典 奇談異聞編』(東京堂,未見)が,最近
『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫,2008年)として復刊された。
その中に
「奥州の仙女」と題された項がある(pp.76-78)。
「螺貝(ほらがい)に似たる貝」を食し不老不死(?)になったという女に,筑前の「浦人」が出遭ったという内容である。出典は『梅翁随筆』巻三。巻末の「引用書目一覧」によれば,同書は著者不明だが,寛政年間(1789−1801)に刊行されたようだ(p.716)。
さて同項の冒頭は,以下のように始まる。
「筑前国遠賀郡(福岡県遠賀郡・北九州市‐原注)の浦人ども伊万里のやきものを船に積みて,奥州へ商ひに下りけるが(後略)」(p.76)
有田など肥前地方で焼かれた磁器は,伊万里港から出荷されたことから,消費地では「伊万里焼」と呼ばれたことは有名であるが,そのため伊万里港には,各地の商人が磁器の仕入れに来訪した。それら商人の中に筑前商人がいたことは,前山博氏が『伊万里市史 陶磁器編 古伊万里』(2002年)で指摘している。
そしてその前山氏の論考では,同趣向の話が木村兼葭堂(1736-1802)の『兼葭堂雑録』に収録されているという(pp.463-4)。そこで『日本随筆大成』14巻(吉川弘文堂1975年,原本1927年)所収の同書を見ると,その「四之巻」に次のようにある。
「筑前国遠賀郡の浦人どもの中に,伊万里の陶器(やきもの)を船に積て,諸国を廻り渡世となす者あり[一説ニ姪の浜作右衛門といふ者と有]天明二年寅の五月,奥州津軽にいたり舟宿に滞留し,乗組の者銘々,日毎に荷をかつぎ,市中在々を徘徊して売めぐりけるに(後略)」(p.105)
「奥州津軽」や「天明二年(1782)」と,場所や時期を特定している点など,『梅翁随筆』に比べると記述が詳細であることを考えると,『兼葭堂雑録』を元に『梅翁随筆』が書かれたとも思える。ただ同じ話を,それぞれ別個に書き留めた可能性もある。
それはともかく,言うまでもなく,どちらも「八百比丘尼伝説」に通じる奇談の類に属するのであるから,その記述にどこまで信を置いていいかは難しい。しかし18世紀終わり頃の伊万里流通の一端を伝えているのではなかろうか。
とくに「浦人」が,磁器を単に船で運ぶだけでなく,売り歩いているというところがおもしろい。それらは運んだ磁器のすべてなのだろうか? それとも「奥州津軽」の店に売った後の一部なのだろうか?
ところで『兼葭堂雑録』には,「浦人」の男が,川で洗濯するくだんの女に話しかける場面の挿画が入っている(pp.108-9)。男の背後にはザルが置かれ,その中には碗や皿,瓶,重箱などの(おそらく)染付磁器が入っている。ザルは天秤棒と紐でつながっているので,肩掛けで運んでいるのだろうが,磁器が裸のままであるのが気にかかる。
実際にこのように運んだのか?(割れないか?) あくまで磁器商人であること示すための作画上の演出として描かれたのか?

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