徳川宗賢編1979『日本の方言地図』中公新書
1957年から65年にかけて,国立国語研究所によって調査され,
『日本言語地図』(全6集,1966-74)としてまとめられた300枚の言語地図から50枚をセレクト,略図化して解説している。
なお『日本言語地図』は,現在,下記のサイトでPDF版が公開されている。
国立国語研究所日本語情報資料館>『日本言語地図』地図検索
※「せともの(陶磁器)」は第4集所収。
同書中,
沢木幹栄「2 物とことば」の
「せともの(陶磁器)」という項(pp.84-89)によれば,陶磁器の呼称には,大きく
「セトモノ」「カラツモノ」「ヤキモノ」の三者がある(原本である『日本言語地図』では,それぞれより細かい変異で分類されているが,同書ではそれを一括している)。
「セトモノ」は関西以東の東日本一帯に広く分布するのに対し,「ヤキモノ」は九州西半部から南部に分布する。「カラツモノ」は,中国・四国地方,九州の大分県南部から宮崎県中・北部という瀬戸内海周辺と,山陰から北陸,新潟県南部など日本海沿岸地域に分布する。西から東へ「ヤキモノ」→「カラツモノ」→「セトモノ」と分布域を異にしている。
また「カラツモノ」が,新潟県南部の糸魚川をさかのぼるようにして,長野県北部まで分布していることは,後述するように流通圏(河川流通)と関係するのであろう。
一方,全域「セトモノ」である北海道で,襟裳岬付近と網走にそれぞれポツンと孤立するように「カラツモノ」が分布しているのは,移住者の出身地との関係であろうか?
そのほか,「セトモノ」分布圏内では「カラツモノ」がごく少数なのに対し,「カラツモノ」分布圏内の「セトモノ」は,まばらながら一定数見られるところも,両者の関係を考える上で興味深い。
このような陶磁器の呼称の分布が,かつての陶磁器の流通圏を反映している可能性があることは,つとに指摘されているところであるが,ここで注目されるのが,これら方言の情報源である。
同書「まえがき」によれば
「『日本言語地図』作成当時,各地で方言を答えてくださった方々は,一九○三年以前出生の男性であった。ほとんどの地点では明治二○年以降生まれの方に面接したが,三百地点ほどでは,さらに高齢の方々からそれぞれの土地のことばを教えていただいた。」(p.v)という。
つまり「かつての流通圏」とは,具体的には明治中期以前にさかのぼりうる可能性がある。さらに近世のどのあたりまでさかのぼるれるのかどうか,近世〜近代の物資輸送網の展開と重ね合わせて考える必要があろう。
ところで鹿児島は「ヤキモノ」の分布圏であるが,宮崎の「カラツモノ」との境界は,必ずしも現在の県境と一致しないようで,近世において薩摩藩領であった都城市やえびの市など宮崎県南部は「ヤキモノ」である。
「ヤキモノ」という呼称は産地を意味するものではなく,九州西半部から南部に分布しているので,必ずしも流通圏に直接的に結びつくかどうかはわからないが,少なくとも「ヤキモノ」と「カラツモノ」の境が,藩境と一致する可能性があろう。
また鹿児島には「ヤキモノ」の他に,「チャワンモノ」「チャワンサラ」という呼称も見られるようだ。これもまた一般的名称に近いが,以前書いたように(2007/02/21の記事参照),鹿児島の窯場に「茶碗屋」という地名が残ることとも関連するのかも知れない。