11日夜,鹿大史学会大会の懇親会を中座し,第2回近世陶磁研究会に2日目のみ参加するため,有田へ。といっても,同日中にはたどり着けないので,佐賀で一泊。「旅の友」は
上里隆史2012『海の王国・琉球−「海域アジア」屈指の交易国家の実像−』(洋泉社歴史新書026)と
中井英夫2009『とらんぷ譚I 幻想博物館[新装版]』(講談社文庫)。
さて今回のテーマは,前回に引き続き
「幕藩体制下で例年献上された陶磁器(II)」。平戸焼,八代焼,備前焼,信楽腰白壺,久留米藩の土器などが取り上げられている。
今回の各報告を拝聴すると,献上に関係する陶磁器には,大きく2種類あるようだ。
ひとつは陶磁器そのものが献上品である場合。鍋島焼がその代表的な事例であるが,平戸焼や久留米藩の土器が相当する。もうひとつは,献上品を入れる容器としての陶磁器であり,茶葉を入れた信楽腰白壺や梅干・砂糖漬梅などを入れた八代焼などがそれである。両者はともに陶磁器が関係する献上とはいえ,ちょうど「商品陶磁」と「コンテナ陶磁」のような性格の差異が見られ,おそらくその生産のあり方(たとえば品質に対する厳密さなど)にも違いがあったのではないかと想像させる。
さらに鍋島焼や平戸焼が,藩の「特産品」の献上であるのに対し,久留米の土器は,豊臣秀吉により賞賛されたという,いわば「由緒」によるという点で,やはり性格が異なるように思える。
将軍への献上という,ある意味,近世社会を特徴づけるシステム(2009/05/21の記事『鷹と将軍』参照)の中での陶磁器の「位置」(ないしは「配置」)という視点も必要なのではなかろうか。
それと興味深かったのが
鈴木裕子「江戸市中出土の信楽産腰白壺」。同報告によれば,18世紀第1四半期で,一度姿を消す腰白壺が,19世紀に復活するという。ただし19世紀のものは商品としてのそれであり,
「「極上の御茶」「幕府へ献上していた由緒正しいお茶」というある種のブランドとして進物用に使われていたかもしれない」(下掲書p.93)と推測している。献上品に象徴される「公儀の御威光」をも商業利用に転化する/しえる時代への変化を示しているとも言えるのではなかろうか。近世後期に江戸の町屋跡から出土する鍋島焼を考える上でも示唆的である。
近世陶磁研究会編2012『幕藩体制下で例年献上された陶磁器(II)』第2回近世陶磁研究会資料集 同会
さて来年度は,九州近世陶磁学会時代を含め,本研究会の初の「地方大会」。会場は東京。東京を「地方」と言ってしまうところがすごい(笑)

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