薩摩焼な日々

 
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投稿者:watanabeyoshiro
KAMOMEさま メール拝受しました。ありがとうございます。
投稿者:KAMOME
お役に立てるかどうか、メールいたしました。
投稿者:watanabeyoshiro
o-nagashimaさま。コメント,ありがとうございます。
お役に立てて幸いです。
投稿者:o-nagashima
最近、白薩摩の「火計 摸」とある抹茶茶碗をたまたま手に入れました。海仙の箱書きがあり政太郎の銘と薩摩国云々の印がありましたが自分の知識の中にはない名前で、もしかしたらとPCを開きました。勉強しました。ありがとうございました。
投稿者:watanabeyoshiro
はじめまして,kamomeさん。
慶田窯は,隈元製陶所,沈壽官窯とともに,近代における薩摩焼生産を担った重要な窯元だと思いますので,私もとても関心があります。いろいろとご教示いただけると幸いです。
投稿者:kamome
渡辺先生、初めまして。興味深く記事を拝見致しました。慶田窯について色々調べています。こちらで『近代沖縄の寄留商人』の本を知りまして購入致しました。そうしたら別の身内の記載もあり驚愕致しました。この秋には鹿児島に調べにいこうと考えています。色々書きたいのですが…すみません、こう言う書き方で。
投稿者:watanabeyoshiro
過分なお褒めの言葉,恐縮してしまいます。
拙文の冒頭にも書いていますが,近代以後の薩摩焼について,聞き取りや伝承などによって語られることが多かった状況で,何か別の資料はないかと思っていたときに見つけた資料でした(もっとも経済史の方では基本中の基本文献なのでしょうが)。
その結果,万博での不評が,すぐに産業としての衰退に結びついたわけではなさそうなこと,錦窯の数に見られる苗代川と鹿児島市での色絵薩摩の生産体制の違い,またより幅広い窯業製品(土管や硫酸瓶など)を含めて陶磁生産を考える必要性など,自分にとっていろいろと勉強になりました。
ところで,今改めて見ると,書いたのはちょうど10年前。まさに光陰矢のごとし,です(笑)
投稿者:菖蒲和弘
渡辺先生の研究論文知ってはいましたが、まだ未読のままでした。鹿児島大学図書館のリポジトリ(下記アドレス)PDF版をご教示頂きありがとうございました。さっそくUSBメモリーにコピーし、コンビニでプリントアウトします。
それにしても、先生の精力的な史資料・文献検索・収集作業、さらにデーター入力にはただただ感服いたしました。また、データー分析に関しての照合、裏付け作業など、その手法は、学ぶことばかりです。現在、私も醸造業・窯業(硝子)関係の統計書データーを入力中です。その意味でも大いに参考、活用させて頂きます。
投稿者:watanabeyoshiro
たびたびのコメント,ありがとうございます。
肥薩線開通記念の『鹿児島県案内』が復刻されるのですか。それは楽しみです。明治期の鹿児島県のガイドブックは何冊か出ているようなので,調べてみるといろいろとおもしろいと思っています。

田浦陶器製陶所の「創業年代」のご指摘,ありがとうございます。ここでは野元氏の記述から引用しておりますが,『統計書』の方も把握しております。たしかに「明治33年8月」とされる年の統計書もあるのですが,同書の「創業年代」は,ちょっとくせもので,年度によって変わるんですよね(笑)
誤植の場合もありそうなのですが,別の窯元でも年度によって違うこともあり,なにをもって「創業」としているのか,悩ましいところです。

すでにご存じでしたら恐縮ですが,以前に『鹿児島県勧業年報』と『鹿児島県統計書』の窯業関係の記載を整理したことがあります。当学図書館のリポジトリ(下記アドレス)からPDF版が入手できます。ご参考までに。

http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/5541
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/5550
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/5558
投稿者:菖蒲和弘
興味深く、拝見しました。
明治42年11月、肥薩鉄道開通式記念に発行された 肥薩鉄道開通式協賛会編『鹿児島県案内』(240ぺージ、図版20枚、明治42年11月、鹿児島県・肥薩鉄道開通式協賛会刊)は、現在、肥薩線の世界遺産登録に向けて運動中で、目下、復刻準備中です。来年には刊行されると思います。
田之浦陶器会社は、「明治4年に設立され、何度か経営者を変えたのち、明治23年に慶田茂平の所有となり、そののち政太郎に引き継がれた」とありますが、明治期の『鹿児島県勧業統計書』によると@田之浦陶器製造所、鹿児島清水町、慶田政太郎、明治33年8月創業、職工男20人とあります。
このほかA隈元陶器製造所、鹿児島柳町、隈元金六、明治23年5月創業、職工男14人B玉光山工場、伊集院村苗代川、沈壽官、明治25年5月創業、職工男11人、動力轆轤4C玉明山、伊集院村苗代川、東郷壽勝、明治25年2月創業、職工男12人と見えます。
また、陶器磁器産地として■鹿児島、陶器、3戸■苗代川、陶器、9戸■加治木、陶器、15戸■平佐、磁器、6戸という記述もあります。

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