イギリスの作家ギルバート・ケイス・チェスタトン(1874-1936)に「ブラウン神父シリーズ」というミステリ作品がある。前半の,あるときにはさりげない,あるときにはとびきり奇妙な描写が,後半,神父によって組み替えられ,再構成されることで,意外な(ときとして誰も気づいていない)事件の真相が明らかにされるという,そのギャップと驚きが魅力の短編シリーズである。ミステリの古典として,今でもファンが多いかと思う。
ギルバート・ケイス・チェスタトン−Wikipedia
ブラウン神父−Wikipedia
さてそのシリーズに
「ペンドラゴン一族の滅亡」という一編がある(中村保男訳1982『ブラウン神父の知恵』創元推理文庫 pp.192-223)。先祖が殺したスペイン人の呪いがかけられていると言われるペンドラゴン一族,その末裔ペンドラゴン提督をめぐる陰謀を描いている。
作中,ブラウン神父が,提督の家の壁に掛けられていた古地図が,提督が若い頃に活躍した太平洋諸島のそれではなく,現在の彼の家がある川中の小島の地図であることに気づく場面があるのだが,その際に,神父は次のように言う。
「あれを太平洋諸島の海図だとあんたがた(=神父の友人−引用者注)は考えた。(中略)鳥の羽を一枚,化石だの珊瑚だのといっしょにしてごらん。だれだってそれを見たら,標本だと思う。次に,同じ羽をリボンや造花と並べて置いてみなさい。こんどは,婦人帽につかう羽だと思うでしょう。インクびんや,本や,ひとかさねのレターペーパーとその羽をいっしょにしておけばどうなるか。それを見た人は十中八九まで,あそこには羽ペンがあったと証言するでしょうな。さてあんたがたは熱帯産の鳥類や貝類と同じ所で見たので,てっきり太平洋諸島の地図だと思いこんでしまった。なに,この河の地図だったんですよ,あれは」(pp.222-3)
上記の例は,「錯覚」あるいは「思いこみ」と呼んでしまうこともできるだろう。ただ,あるモノ(羽)が,その置かれた状況や一緒に置かれたもの,つまりコンテクストの違いによって,その意味づけが異なる(標本,婦人帽の羽かざり,羽ペン)という,より一般的な「物質文化の意味づけ」という行為の一事例ととらえることも可能であろう。
また同時に,その意味づけが,時代や地域に多くを負っていることも示唆している。現代ならば「婦人帽の羽かざり」や「羽ペン」という意味づけを引き出すコンテクストそのものが(おそらく)ほとんどないだろうからだ。