ジグザグに歩く女の子を見る。
赤いランドセルをしょっていた。
遊んでいるようにも見えない。全く普通の顔で、そしてたった一人で、ジグザグに歩いて行く。
古い話だが、武田鉄矢主演の「花田春吉、何でもやります!」というドラマに、規則的に何歩か戻りながらでないと前に進めない少年が出てきた。
戸川純が演じるちょっと変わった女性が、「分かるよ」と言ってその少年を抱きしめるという印象的なシーンがあった。
彼女にも似たような過去があったらしいということの他、この奇癖の意味や原因について、説明的な描写は一切なかった。
少年時代、マンホールを見ると必ず踏んで通らないと気が済まなかったという友人がいた。彼はまた、電信柱を見ると、道路の広い方ではなく、電信柱と塀や建物の間を通らないと気が済まない子でもあった。
形は違っても、誰にでも似たようなことはあるだろう。考えてみれば、僕にもいろいろある。
奇癖、または一般に癖というものは必ず、その人の内面の表現であり、身体の状態の表現であるだろう。
「変な癖」を隠したり抑えつけることで、人は「大人」になって行くが、それで癖が無くなった訳では必ずしもない。
その人の中には何かがある。その人の中では何かが起こっている。
分からないかもしれない。
しかし、分からないそれを感じようとするかしないかで、こちらの豊かさに大きな差が出ることだけは確かだ。
真っすぐに進まない赤いランドセルを見送りながら、改めてそう思った。