今年度の受講生に「伊江島」出身者がいました。その学生のおじいは本島にいたために命を長らえ、島にいた家族はみな自決したとか。そのうえ島の人たちはおじいに自決の事実を伏せていたとか。
予備校講師から、ボクは広島の被爆2世ですと告げられたときも、何も言えませんでした。
「専攻科」というのは師範学校のそれなのでしょうか?
父に聞いたところ、千葉師範男子部の「専攻科」は師範本科を卒業した者が現場を経験した後に入学し、一年課程で「箔をつけて」戻っていった。本科生から見れば「遊んでいるようだった」とか。これは1926年に設置され、43年に廃止されたようです。
この専攻科だとすると、高等小学校2年+師範4年ですから、早くても18歳以降となります。16歳では若すぎます。
高等女学校にも「専攻科」があったようです。これですと、小学校卒後女学校4年で、16歳でもかろうじて間に合うでしょうか。
千葉の場合、専攻科は師範も高女も特定科目の免許状取得に向けたものではなかったそうです。
長崎師範には「大陸科」なんてのがあったのですね。戦前・戦中の制度は多彩・多様で、しかもコロコロかわりますから、「専攻科」だけでは特定出来ないように思えます。
母はご存じのとおり、高等女学校の卒業式を待たずに疎開し、代用教員になりました。その後、勤務年数と研修とで、教員免許状を取得し、さらに2級から1級へと昇格?しました。この間、学校に通うことはなかったそうです。これも千葉の場合です。
ともあれ、担任の先生は大変な苦労をされて、戦後を生きて来られたのですね。
50年経って、そういう話ができるというのも、イイですね。
Wにも学部卒生が入学する一年課程の「専攻科」がありました、教育学部が管轄。修了すると高校も1級免許状を取得できたはずです。
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