いたるところで、豪雨と洪水のニュースが聞かれるようになりました。静岡県の大井川流域では、暴れ川といわれた大井川から自分の家を守るために「舟形屋敷」をつくりました。次は、社会科の中学年用副読本の編集で集めた資料から、大井川の氾濫と農民との戦いの中で生まれた「舟形屋敷」について調べたことです。
地図は、大井川町のホームページ等で紹介されている舟形屋敷。写真表示にするとなんとなく三角ですが、飛行機でないとわからないでしょうね。F(^_^;
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ちなみに、より河口に近いところでは、下のように左から流れてくる水に対して一直線に4軒の家が並ぶといったところがあります。
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ここは我が家でもあるのですが槙の垣根の手入れは、それはそれは大変です。F(^_^;家と家が離れているのは散居村といって洪水による村の全滅を避ける工夫です。
「恐ろしい洪水と船形屋敷」
(昭和54年発行 大井川西小学校「子どもがつくった『むかしばなし 大井川ものがたり』)より抜粋
今から150年ほど前(文政11年)、おばあさんと息子の七左衛門さん、そのよめのりつさんの3人が仲良くお百姓をしていました。
6月が来ると毎日のように大雨が降りました。そして川根というところで山崩れがして大井川の水をせき止めてしまいました。7日経ちました。ついに堤防は破裂してしまい、水は一気に田や畑や家の方へ流れて行きました。七左衛門さんの家の方へも水は流れてきましたので、嫁のりつさんとおばあさんのおもよさんは手を取り合って、急いで天井の上に逃げました。しかし、天井の上まで水がついてきました。さあ大変です。真っ暗い中でおばあさんが急に言いました。
「それ、上によい穴があいた。それ出よう。」
おばあさんは、尻を押してもらって屋根の上に出ました。出る時に大きな蛇を握っていました。他の二人も外に出ました。屋根の上に出て、やれうれしやと思って、今、出た穴を眺めると穴はどこにもありませんでした。神様が助けてくれたのでしょうか。そのうちに家は流れ始め、やがて高福寺の近くで止まりました。おばあさんも嫁のりつさんもこの時は、
「どうぞ神様、私たちをお助け下さい。」
と祈っていました。
雨は毎日のように降り続きました。屋根の上に七日間もいました。着物が濡れていることも、腹が減っていることも忘れていました。この時、お寺の人がヒョウタンを首にくくりつけ、川を泳いでみんなを助けました。
それから15日も経って ようやく水が引きました。洪水の恐ろしさを身をもって体験した七左衛門さんは、水害を受けてから23年目に船形屋敷を考え出しました。屋敷を船の先のような形にして上流側に2M位の石垣の堤防を作りました。堤防には木を植えました、船の先は大井川の上流に向け、流れに逆らわないように工夫しました。先端には、竹藪もつくりました。こうしてできた敷地の真中へ家を建てたのです。
大井川の水と闘いを続けてきた私の遠い昔のお爺さん、おばあさんのお話です。
舟形屋敷は、上流から流れてくる水から家屋敷を守るように作られています。家は、船のような形になっていて、水が押し寄せてくる先の部分は高く土がもられ、周りは石垣で守られています。一番先にお墓をおいてご先祖様に守ってもらうようになっている家もあったようです。根の強い竹やしお風にも強い松・防風林にもなるマキの垣根で家を囲みました。敷地内には、母屋のほか井戸や畑、物置小屋やわき屋、トイレなどを置いていた家もありました。昔のままの形でのこっている家は少なくなりましたが、家ごとに工夫があるようです。

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