
20日の土曜日はNHKの「日本の、これから」という討論番組に参加させて頂いた。最初は、地球温暖化や新エネルギーからハイブリッドカーといった専門分野からNHKのディレクターが私に接近してきたということもあり、職の公表については、二の足を踏んでいたが、まぁ、5年社会の「情報」の教材づくりと割り切って台に登ることとなった。
@授業づくりと討論番組作り 事前準備
このふたつはよく似た側面と全く違う側面がある。類似点は、徹底した個人分析によって、その主張を把握することだ。NHKのディレクターは、何度も何度も微妙に表現を変えて同じ質問を繰り返し質問してきた。事前のアンケートも同様だ。「さっき言ったのになぁ・・・」と手を変え品を変えてこちらも返答する。「こちらの意図がなかなか伝わらないなぁ?」と思っていたが、これには裏があった。返答にブレがないように試していたのだ。これによって、個々の主張が把握され、討論の組織化が可能になる。
授業の成否も討論番組の成否も児童理解にあるということか。さすが!
次は、発問。発問によって授業が活発に展開するように討論番組では、討議が活性化する。しかも、その発問は、最新の動向を見て決める必要がある。なんと、番組の前日まで変転を繰り返して練り込んでいるのが見て取れる。個人の名札にしても、今回は職種と名前となり、私の名札の職種に至っては、「環境ブロガー」か「公務員」かなぁと言っていたのが前々日に「教諭」となり、難色を示した私の「せめて教員」から放送前日の「小学校教員」へと変転した。テーマによっては入れられた年齢も今回は外されている。教材研究を繰り返すうちに生き物のように発問も変わる。この間の舞台裏は、我々の事前研修に勝るとも劣らない紆余曲折があるに違いない。深夜まで、続き、直前まで変化するというのは、授業も同じかもしれない。
しかし、決定的に違うのは、参加者を授業では選べないことだ。討論番組では、それなりの意見を持ち、モチベーションの高い参加者を選べる!授業では、クラスの子供を選ぶわけにはいかない。それにしても、本当に直前までディレクターは、参加者と接し、よく理解しようと努めている。授業での児童の実態調査(レディネス調査)も同じかもしれない。
A授業と討論方法の定着 授業前
出演者を選べないという点では圧倒的に不利な教員だが、逆に児童個々の性向を知っているという点では、司会役のアナウンサーやディレクターより有利だ。そこで、素人の出演者に討論の説明を兼ねて「討論の仕方」を出演者に知らしめる必要がある。その討論の仕方とは、「授業の仕方」にも共通するモノが多い。実際には、本番2時間前の打ち合わせで行われたのだが、過去の「よい例」を抜きだした映像で端的に説明していく
。「名札は、左肩高くにつけ、見えるように」というものから「より多くの意見を聞けるように30秒ほどで話をまとめる」「相槌を打つなど、姿勢を明確にする」「用意したことを読み上げるようにではなく表情豊かに話す」「メモはとらない」「意見の札は高く上げる」「主役は自分だと思う」「意見が3つあります。という人の多くは、一つ目の意見を言ううちに2つめ、3つめの焦点がぶれて聞いている人に「何を言っているんだろう?」と思われるので、端的に話す」「みんなが知っているような情報を長々と説明しない」「マイクを通した拍手は、細かく速く手を叩く」「できるだけ、どちらかの立場で話す」「話したいのだ!と積極的に自己主張する。黙っていたら当てられない」等々、興味深い話がなされ、今回の上京で、一番の収穫となった。「短く話す」「メモをとらない」「根拠をたくさん上げすぎない」といった点は、授業と逆だが、立場が明確な短い意見がリズムよく発せられることで討議は深まり、本音が出やすくなるので、授業の展開の場面では有効な方法だろう。
また、授業では、話し合いによって意見が変わる「変容」することがなければ、単なる「言い合い」「履き出し」とされ、失敗とされるが、討論番組では、平行線を辿っていても、「視聴者」が判断することが大切なので、主張がブレるのは避け、出演者は、自分の立場を演じ続けることになる。これは、国語のディベートやパネルディスカッションの方法とも似ている。
B本時直前
出演者も研究授業前の児童も同じように緊張するものだ。授業前のリハーサルでは、立ち位置やセリフ(カンぺことカンニングペーパーはある)の確認がなされるが、出演者の緊張を感じ取ったら、固まった心と体を溶かす、「
アイスブレーキング」を行う必要が出てくる。授業前に大きな声で「ハイ!」を連呼させたり歌を歌ったりする授業者もいるが、今回の巨大な101スタジオでは、マイクとイヤホンの調整を兼ねて「地球最後の日、最後に食べるものは?」という質問に対して、ひとりひとりが応えて緊張をとぎほぐすと言ったことが行われた。
司会役のベテランアナウンサーは、緊張した出演者を前に万面の笑みで和やかな雰囲気作りを行う。用意されたシナリオに目を通す一瞬は、鋭い眼光を見せるが、次の瞬間には「ここはNHKだと思わないでください。ここは某民放テレビです。いいですね。」と笑わせ、「さて、ここはどこでしたっけ?」といきなり振って、「NH・・・」と答えそうになった出演者と笑いをとったりした。また、違う有名アナウンサーは、笑顔を交えながら長身で足の長い女優さんと自分を比較し「これでも同じ人間です。」とか、これまた有名で凛とした女性アナウンサーと自分を比較し「入社同期なんですが、今ではこんなに・・・」と、自虐ギャグふたつで会場の緊張感を払拭していった。
授業での教員の笑顔は何より大切だというが、この2人の敏腕有名アナウンサーは、その能力を誇示することなく威圧感を持たせぬように配慮しながら授業前の環境づくりを進めていった。
C本時
最初に誰を当てるかで授業は半分決まる。討論番組でもそうだろう。年配のすべてを知り尽くしたような偉い(そうな)人がいきなり討論を総括してしまったら討論が成立しなくなる。授業でも、同じだ。多少不完全でも思いのある意見を持つものを指名するところから始めるだろう。今回は、若々しい大学生の決意表明?から番組が始まった。左右の出演者の対面の壁には、マイクの音量を担当する人がいる。顔色や唇の動きを感じとって、瞬時に音量を上げ下げすることで討論を演出する。授業者も、子どもたちのつぶやきや意見を拾って取り上げる。取り上げたことによって討論が活性化することもあるし、会場に重苦しい沈黙が漂うことになる。
各発問に対して、自分の役目を自覚する出演者がいるかどうか。授業で自分の主張を述べ続ける児童がいるかどうかは、授業を組織する上で大切だ。それが、だれかということは難しい。「予定調和のない」生番組では、「やらせ」が成立しにくい。今回の出演者のほとんどは、「言いたいことが十分に言えなかった」と事後に嘆いていた。これは、授業でも大切だが、「もっといいたかった」というハングリーエンドで終わることで次時につながるのだ。そういう意味で、視聴者の意見も伯仲。参加者の意見も伯仲といった結果となった今回の討論番組は成功に近かったかもしれない。この番組を見て、「それは、こうじゃないか。それは違うだろう」と思えたとしたら発問もよかったと言えるだろう。
D事後
番組終了後、早い時点で解散!となった。そのため、事後の討論の場が持てなかった。授業後に授業でやったことで議論したり、学んだことを実際に使って活動したりするならば、授業は成功といってよい。その意味では、このあっけない幕引きは、出演者各自に空腹感をもたらしたかもしれない。もしかすると、これもNHKの深謀遠慮かもしれない。お仕着せで、もうたくさん!といった授業や官製研修は、つまらないが、本当にもう一度集って話し合いたいと思うようならば、各自が主体的に動き出すだろう。NHKさん、そこまで狙っていますか(^◇^)
意外だったこと・・・
メークさんが、メークをするのかと思っていたら、まったくしなかったF(^_^; クラスの子供がよく見ていて、「靴がアップシューズでかっこ悪い」と言ったこと。まぁ、授業で生かせそうないろいろなことを学ばせてもらいました。良い経験でしたね。V(=∩_∩=)

0