2012/2/7
2月6日あめ
昨日は一日家で、わりと地味な作業をしていました。
前の作品と最近の作品を聴き比べてみたら、進化の仕方が欲している方向に向かっていると言うより、コンプレックスを片っ端から埋めて行っているように感じる。
数日前に「脳死」についてのテレビを見て以来、死とは何かを考えている。
一体どこで区切ればいいのか非常に難しい問題だ。
問題を難しくしているのは「死とは何か」を考える時必ず「生とは何か」を考えなくてはならないことだ。
さらに突き詰めて行くと「個」とは何かにぶち当る。
分子生物学者福岡伸一先生によると、生物は分子レベルで常に代謝を繰り返しており、物質は1週間もすればすっかり入れ替わってしまうという。個のアイデンティティーたりうるのはパズルピースの枠組みのような情報だけだ。
「情報」が個であるとすれば、「情報」の一分野である記憶だとか思考だとかが、例えば痴呆やなんかで損なわれた時、その人はかつてと同一の「個」たりえていると言えるのだろうか?
それならば顔や体で判断するとすれば、分子レベルでは常に流動しているわけだし、目に見えるところでも、もしその状況で整形したら、或は、将来科学が発達して人工的な人体パーツに入れ替わったとしたら、それ以前に、見た目なんか歳をとれば随分変わるし、そうした時その人はやはり継続した「個」と言えるのだろうか?
僕はブディストですから、常住不変の魂や霊魂みたいなものは信じていないし、仮にそれが存在していたとしても少なくとも生の世界、つまりこの世の決まり事を最大公約数的に決定しようとすると論理的整合性が乏しく且つ、定義の曖昧な「魂」なる概念を介入させることは難しいでしょう。
「個」も「生」も実は確固たる確信が無く、大海原に流れ出たインクの様に漂っているにすぎないのかもしれない。
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昨日は一日家で、わりと地味な作業をしていました。
前の作品と最近の作品を聴き比べてみたら、進化の仕方が欲している方向に向かっていると言うより、コンプレックスを片っ端から埋めて行っているように感じる。
数日前に「脳死」についてのテレビを見て以来、死とは何かを考えている。
一体どこで区切ればいいのか非常に難しい問題だ。
問題を難しくしているのは「死とは何か」を考える時必ず「生とは何か」を考えなくてはならないことだ。
さらに突き詰めて行くと「個」とは何かにぶち当る。
分子生物学者福岡伸一先生によると、生物は分子レベルで常に代謝を繰り返しており、物質は1週間もすればすっかり入れ替わってしまうという。個のアイデンティティーたりうるのはパズルピースの枠組みのような情報だけだ。
「情報」が個であるとすれば、「情報」の一分野である記憶だとか思考だとかが、例えば痴呆やなんかで損なわれた時、その人はかつてと同一の「個」たりえていると言えるのだろうか?
それならば顔や体で判断するとすれば、分子レベルでは常に流動しているわけだし、目に見えるところでも、もしその状況で整形したら、或は、将来科学が発達して人工的な人体パーツに入れ替わったとしたら、それ以前に、見た目なんか歳をとれば随分変わるし、そうした時その人はやはり継続した「個」と言えるのだろうか?
僕はブディストですから、常住不変の魂や霊魂みたいなものは信じていないし、仮にそれが存在していたとしても少なくとも生の世界、つまりこの世の決まり事を最大公約数的に決定しようとすると論理的整合性が乏しく且つ、定義の曖昧な「魂」なる概念を介入させることは難しいでしょう。
「個」も「生」も実は確固たる確信が無く、大海原に流れ出たインクの様に漂っているにすぎないのかもしれない。
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