わたしは昔、
日本という国が大嫌いだった。
日本人であるコトを誇りに思えなかった。
でもそれが、いろいろと知るにつれ変わっていった。
たとえば、
日本古来の宗教は多神教だったそうです。
それに対して、
西洋で主に信仰されるキリスト教などは一神教。
一神教であるキリスト教では、
神様はたったひとつの存在であり、
多神教のように複数のものを神とする信仰は邪教であると言われる。
また、神は人間を
神の姿に似せて作った特別なものであるとしている。
そこには、
どこか人間至上主義的なもの、
驕りのようなものを感じる。
自然界に存在するものは、
神の使いである人間が自分たちに都合の良いように開発し利用していいんだという西洋的な考えは、
そういう一神教的な考えに基づいているのではないかと思う。
それが自然破壊を招いたのではないかとも言われている。
それに対して日本古来の宗教では、
自然界のあらゆるものに神様が宿っていて、
それに感謝して生きるという謙虚な姿勢がある。
わたしたちに豊かな恵みをもたらし生かしてくれている水や土や植物や太陽、
自然界に存在するあらゆるものに感謝して拝んでいた。
その考え方が、
日本の自然を近代まで破壊させずに守ってきたのではないかと言われいる。
日本の古いしきたりとかそういったものを、
科学的根拠のないばかばかしいものだとずっと思っていたけれど、
それはむしろ科学なんかよりずっと理にかなった人間の知恵だったのだ。
鎖国だって、
閉鎖的で向上心のないばかばかしいコトだと思っていたけれど、
今は鎖国ぐらい極端なコトでもしないと日本の自然も平和も経済も守れないのではないかとさえ思う時がある。
現在の日本には無宗教・無神論者が多く、
お葬式では仏教、クリスマスや結婚式はキリスト教、正月や七五三は神道と、
悪く言えばミーハーで節操がない。
それは信仰深い海外の人たちから見れば異様に映るようだが、
ある意味、日本人のその曖昧さにはいい面もあるのではないかと思う。
先ほどインターネットで面白い記事を見つけた。
→
http://www.st.rim.or.jp/~success/1_8_ye.html
後半に、古事記の神様についての記述があるけれど、
それが興味深い。
簡単に言うと、
古事記に登場する神様は必ず3人一組みになっていて、
そのうちの2人が敵対関係にあるが、
もう一人は名前があるだけでほとんど話に登場しないというもの。
そしてその存在感のないもう一人が力の均衡を保っていて、
「いい意味での曖昧さ」の象徴になっているというコトらしい。
それは天皇制にも結びついているのではないかという結論に、
目から鱗だった。
以前から、
天皇制というものに疑問を持つというか、
不思議だなあと思っていた。
総理大臣がいて国の政治を取り仕切っているのに、
なぜ莫大なお金を使ってお飾りのトップをおいているのだろう?
と思っていた。
最近本で読んで、
天皇は農耕民族である日本人の代表として、
農業やそれにまつわる神事を行っているというのを知って、
天皇という存在の意味を初めて知った。
そして、今回この記事を読んで改めて思った。
日本には天皇制が必要だったんだって。
日本人がいろんな価値観を許し、受け容れ、
平和に暮らすために、
あえて力を持たない象徴が必要だったんだ。
日本人は決め付けない曖昧さと力の均衡で
上手に平和を保ち、生き残ってきた民族なんだ。
それを知って、
日本という国を誇りに思うようになった。
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