俺の嫉妬の根源的な部分について  

他人が幸せを感じることを、自分がやったとしても幸せには感じないというところ

それがすべての他人の幸せを否定することと関連している

恋愛そのものに対しては、俺は興味ないから、それ自体はどうでもいい

恋愛をすることが=幸せなんだという論が出てくると突然、「それは違う恋愛は不幸しか産まない」ということを口走ってしまう

「カップルが出来た、おめでとう」という言葉は、俺にとっては

自分がやっても幸せに感じないことを、他人がこれからやろうとしている ということ

俺は恋愛が不幸しかない(幸せを感じない)と思っているから、

自分から飛び降りようとしているように見えてしまう

しかし世間一般では幸せなことなのだから、世間一般がやったら幸せを感じたことを、他人がこれからやろうとしている=おめでとう

ということなんだ

それを納得しなければいけない


俺は多分「おめでとう」に反応している

誕生日だって、俺は生まれたことに感謝していないタイプだから、

誕生日おめでとうと他人が言われているのを気に食わない思いで聞いてるし


自分と他人の幸せは違う、ということだけではなくて

世間一般と自分の幸せは違う、ということも抑えておかないといけない


自分で言った、「コイントスを100回やって100回裏が出てしまう人間が、100回やって100回表を出せる人間の存在を考慮しなければならない」という話を

自分で実践できていなかったのがわかった。

今後は気を付けていく。あるいは前もって言葉を刺しておく。


追記:
本人が望んだことをやった結果、よくない方へと向かっていくんじゃないかって思ってしまったら、忠告するべきだと思うけど
それが本当に自分の経験則のみに基づく偏見ではなくて一般的に妥当な予測であるかどうかを一度考えないといけない

でも本人が望んだことをやった結果、よい方向へと向かっていくんじゃないかと思い、奨励する場合においても
それが本当に自分の偏見ではなくて妥当なことであるかどうかを考えなければいけないとは思う


補足:「おめでとう」が単なる社交辞令であって、本心から奨励している訳ではない場合を考える必要がある
その場合はそこまで深く考える必要もなく、通例としておめでとうと言っていると認識すべき
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