生きる理由  日記

どうでもいいけど「携帯に入れてた東方ヴォーカルのリストアップを完成させておけばよかった」っていう事態になるのは少し予想が付いてた。
悪い予感は、対策を取らなかった場合だけよく当たる。


今まで散々生きる意味や理由について考えてきた
高校生が終わった時点で俺が生きる意味はなくなったとか、
考える事は疑う事だから考えなければ否定に繋がらないっていう一応の結論を出したこともあった

それでも相変わらずたまに生きていく理由を探す時がある

何か行動の指針を探さなければ動けない時がある

そんなもの無いっていう結論を出した筈なのに、藁を掴もうとする時がある


それがあった方が楽だからだろうか

それとも、持っていない物に憧れているのか

どっちにしろ、そうしたくてしているのは間違いない

何か探しものがあって考え事をしているのだから、探している物を必要としている筈


人間はどんな時でもやりたいことをやっているだけだ

金や物や栄光、安寧とかスリル 何をどうしても、人は必ず何かを得ようとして行動している

何かを得るためにわざと捨てることもあるし、わざと逃げることもある それは選択の末の行動であって、無意識的にしろ意識的にしろ、よりよいと思う方向に必ず向かっている

聖人だろうと罪人だろうと、生きている人間なら全員そうだ もちろん俺も。

「犯罪者でも、自分のやりたいことをやっている奴はそれだけで俺より凄い」って内容の記事を書いた記憶があるが、
俺も、その意味では逃げたいから逃げている。

バク転が出来る人間は俺より凄いが、俺がバク転をしないのは怪我をしたくないからだ
つまり、バク転をしない事にも安全というメリットがあるから俺はバク転をしない。

それと同じ。 バク転が出来る事よりも身体を守る事を優先したいから、俺はバク転をしないという選択をする。
それを怖くて出来ないと呼ぶこともあるし、わざわざやらないと言うこともある。


俺が生きることに消極的なのもきっと、充実した人生よりも優先する目的があるからなのだ

それは面倒を避ける事だったり、自尊心を傷つけない事だったりするが今はどうでもいい。


問題は何故、生きていても仕方ない、という考えに至るのか。


大前提として、俺は死にたくない。

これは生物の習性かどうか、自分から死のうと思った事はあまりない。
死んだほうが他人に迷惑をかけないだろうとか、死んでみたら何が見えるだろうかとか、死にたいとは思ったことがあるけれど、死のうとは思わない。

ちなみに自分で死ぬ事も行動だから、俺は自殺が出来るやつも尊敬する。まぁそれ以上に同情もするけど。

死にたいとは思うけれど、死のうとは思わないという意味で死にたくない。
つまり積極的に死のうと思いながら生きた事がない。というかそれがあったら死んでる。


何度か書いたが、俺は生きていたくもないし、死にたくもない。
だから死のうと思っても死ねない不死に憧れるし、生きようと思わなくても生きていける不老に憧れる。


簡単に言えば面倒臭い
生きてるのも面倒臭いし、かといって死ぬのも面倒臭い。あと苦しいのが嫌だ。

かと言ってセカイ系の主人公みたいに他人の運命を背負わされもしないし


つーか生きる目的を考えるのも面倒になってきた

なんで今日考えようと思ったかと言うと、何回も生きてるの面倒臭いなって思ってるとそのうち自殺する気になっちまうんじゃないかと思って

だから分かりやすく、生きる意味をどっかに求めた

未来の自分の選択が怖い。関係ない筈なんだけどね。 未来の俺がそう選択するなら現在の俺が何を言っても無駄だし


だが生きる意味を見つけられたら生きていけるだろうってのも事実。

人間はよりよいと思った方向に進むが、よりよい方向に進むとは決まってない。
それを決めるのはその選択に関して知識があるかどうか。

だから、生きることを面倒臭がるメリットよりも大きなメリットが、生きることにあるってことを知れば一生懸命生きるはず

まぁそんなもんあるか知らないけど。

っつか歴史が証明してる気もする ありませんよそんなもんって

できれば目的じゃなくて理由が欲しいところ

目的は自分で決める事だからいつでも変えられるけど、理由はそうじゃないからな

とりあえずググってみよう

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