新学期が始まってまっ先にすることといえば席替えだ。
俺のクジ運は、そう悪くなかったらしく、
窓側から二行目の最後列という、なかなかのポジションだった。
見知ったやつらには随分と羨ましがられたが、
彼女と別れをしたあげく第一志望に落っこちる……などという
ひどい不運を埋め合わせるためには、これくらいの幸運があったって
悪くはないだろう。
え? 運のせいにするなって? でも俺は出来るだけのことは
やったんだ。その上でああいった運びになるというのは、もう
運が無いとか縁がないとか、そういう話にせざるを得まい。
てか、そう考えなきゃ救いがない。
アイツのために俺がどれだけ眠れない夜を過ごしたか、
わかってんのかコンチクショー。
にも関わらずアイツは俺の悩みなんかこれっぽっちも理解しちゃ
いなかったんだ。
きっとアイツは俺と付き合ったことを心底後悔しているだろう。
俺だってそうさ。半年以上も虚しい足掻きを続けたあげく、結局俺
が成し遂げられたことは、3回目のデートで勢い余ってやってしまった
ファーストキスくらいなものだが、それさえも今となっては色あせた
思い出だ。
高校受験日の三日前に決別宣言をして以来、何をどうすれば
うまく行ったのかと、これはもう半自動的に、俺に意思とは
無関係に考えさせられてしまうのだから困る。
あの時、アイツの髪型が変わっていることに気づいていたら。
あの時、アイツがトイレに行きたがってることを察していれば。
あの時、あの日のデートを屋外ではなく屋内にしていたら。
あの時、無理して受験勉強をアイツの部屋で一緒にやらなければ。
たら・れば・たら・れば
後悔と悔恨のたられば定食か!
とかいう親父ギャグ。つ、つまらん……。
「はぁ……」
軽くため息をつきながら、学窓の向こうに広がる青空をみやる。
フワリフワリと流れる白い雲。
仮にその上のどこかに神様なんてものが本当にいるのだとしたら、
そいつはいったい、どんなひねくれた爺さんなのだろうね。
もう少し人間の頭を便利に作ってくれても良かったんじゃないのか。
とまあ、そんなことをウジウジ考えていると。
「なにボーっとしてんだー? クナー」
慌てて振り向くと、そこには罪のない童顔の上に呑気な笑みを浮かべた
あきらが居た。
俺は反射的にあきらの首に腕を回すと、思いっきり締め上げた。
今朝あれほど念を押しておいたではないか!
「むぎゅ! むぐぐー! な、な、何をいきなりするんですかキミは!」
「……その名前で呼・ぶ・ん・じゃ・な・い!」
「わ、わーった! わかったから離せってーの!」
あきらを離してやる。
あきらは片手で首を押さえてコキコキと鳴らしながら、
今は空席になっている、俺の右隣の椅子に座る。
俺の右隣。つまり、真ん中最後列の席はずーっと空席なのだ。
誰か一人、始業式の日からサボっている奴がいる。
して、そいつの名前が――
『翫風人』
この名前、なんて読むのか解る人が居たら教えて欲しい。
なんでも前年度からの留年生らしいのだが。
このクラスの担任である現代文教師のおばさん先生は、
その留年生が初日からフケていることをため息まじりに確認すると、
名前を呼ぶこともなく次にすっ飛ばしたので、未だ彼の名前の
正式な呼び方を知っている者はいない。
謎の留年生、か。
なんか……妙な胸騒ぎがする。
「なあ知ってるか国後ぃ」
「なにをだ?」
「この席に座ってるはずの奴のこと。さっきさあ、2年のクラスの
前を通ったときにさ、俺聴いちゃったんだよ、知りたくない?」
そんなもん、そいつが登校してくれば直ぐにでもわかることだろう。
てか、なんで2年のクラスに行ってる? もうはや校内の生態系チェック
をはじめたのか(主に男女的な意味合いにおいての)
相変わらず尻の軽いやつだな。
「別に……興味ないよ」
「あー? なんだよ、相変わらずつまんねえ奴だな」
俺は別に興味は無かったんだが、前の席でダベってた女子達にとって
それはなんとも興味深い話題だったようで、瞬く間にあきらを中心
とした会話の輪が出来てしまった。
まあ、こんな状況で俺一人そっぽ向いている訳にもいかず。
頬杖を付きながら、そこそこ興味のあるかのようなそぶりを見せながら、
そいつらの会話に耳を傾けた。
俺は寡黙なキャラではあるが、KYなキャラではないのだ。
「なんでもな、そいつってトンデモないプレイボーイらしいんよ」
「まじで?!」
「なんかそんな気がしてたー!」
「で、でで? 具体的にはどんな話が?」
「ああ、そいつが去年留年したのは出席日数の不足だったみたい
なんだけど、そのわけがな、なんとだな、大学生の女と一ヶ月以上
同棲してたからなんだとさ!」
うそー! とか、信じられなーい、とか。
まあ、お約束っちゃお約束の反応が上がる。
くだらねえ。
俺は心からそう思う。
そのプレイボーイとやらがどんな学校生活を送ろうと俺には関係ない。
そいつはそいつのやりたいようにやって、そして自分でそのツケを
払えばいいんだ。
「きっとすごいイケメンなんだろうね! だって大学生だよ相手。
ふつう高校一年なんてガキっぽくて相手にしないよね?」
「そうだよねー、私でさえこのクラスの男子なんて願い下げだよー」
「えー!? オレたちハナから外されてんの? 恋愛対象から?
そりゃねーよお前ら!」
――キャハハハハ
どうしてこいつら、こんなくだらない話題でゲラゲラ笑えるんだ。
そんなことを思っていると、いまいちノリの悪い俺の態度を気にしたのか、
一人の女子が俺に話題を振ってきた。
「なんかさー、クナ君って少し大人っぽいよね。なんかこのクラスの
なかじゃ一番まともそうー」
俺はそのさりげない言葉にグサリとくる。
「うんうん、なんか浮いてる感じー」
「ちょっと! それ褒め言葉になってないってー」
「あはは! そうだね! ごめんねクナ君、ウザくて!」
いや、ウザイとかそんなのはどうでもいいとしてね、
クナ君って……クナ君ってさおまえら。
あきらが、哀れみの表情を浮かべながら俺の肩を叩いてくる。
「なあクナ、お前はさ、やっぱりクナなんだよ」
あのな、お前がそれを言うな、お前が。
「ねえクナ君、もしかしてこの呼ばれかた気に入ってないの?」
「えー、可愛いのにさー、なんかギャップがあっていいよー」
俺は頭の中でヤレヤレと呟やく。
こうなってはもう仕方がない。今年一年は我慢するしかないようだ。
兎も角も今は、この状況からあたりさわり無く抜け出すことを考えよう。
女子を交えた会話は苦手だ。
一見和やかそうな外見の裏に、ため息一つつくのも命がけという緊迫感
存在している、そういったところが極めて苦手だ。
実のところ、俺はもう精神的呼吸困難で、心理的チアノーゼ状態なのだ。
たのむ誰か俺に、せめてため息一つつくだけの刹那を与えてくれ!
そんな俺の願いが、通じたのかどうなのか、
突然教室の扉が開かれ、そこから髪を鮮やかな茶髪にそめた男が現れた。
扉の向こう側から、あたかも後光が差しているようだった。
クラス全員の目が釘付けになる。
ああ、甘いマスクってやつはまさにアレのことをいうのだろうね。
まるでどっかの少女漫画から引っ張り出してきたような、見事な
顔の造詣だ。
すっきりとした鼻立ち、シャープな顔の輪郭、Gペンで描かれたような
瞳と眉毛、そして不敵な笑みを湛えた口もと。
外された第一ボタンと第二ボタンの内側に光っているのは……、
裏ボタン?! いまどきまだやる奴いたんだね。
しかしなんというか、いわゆるイケメンのやることっていうのは、
ありとあらゆる時代錯誤を通り抜けて映え出るものなんだろうね。
早くもクラスの女子全員の視線は、彼の胸元に集中してしまっている
ではないか!
「あー……」
彼は一通りクラスの様子を見渡すと出し抜けにこう言った。
「ねえ、オレの席ってどこぉ!?」
この状況でずいぶんとデケえ声出しやがる。どういう性格してんだ?
俺の前に座っていた女子達が口をパクパクさせながら、
「こ、ここ!」
と、あきらに向かって指差すと、そいつはヅカヅカと歩いてきて、
そしてあきらを睨みつける。
「あ、ご、ごめんなさぁーい!」
反射的に立ち上がって直立不動になるあきら。
「いや、別におこっちゃいねえよ。すまねえな。」
そういってドカっと腰を下ろし、机の上に鞄をバシンと叩きつける
ようにして置く。
するとそいつはおもむろに、頬杖ついたまま動けないでいる俺の
方を見てきて、しばらくジロジロと眺めていたか思うと、
出し抜けに手を差し出してきた。
「お隣同士だな、ま、仲良くやろうぜ?」
俺は少し間を置いてから、その手を握り返す。
この間をとることはかなり重要だ。少なくとも俺はそう思ったね。
そいつに主導権を完全に譲り渡してしまわないための、限界ギリギリ
のラインだ。
なんだろうな、こいつにだけはなめられる訳にはいかない。
そんな気がしてならない。
「ああ、宜しく」
そいつの手はやけに冷たかった。
そして俺は、たぶん今の俺に与えられている最重要任務であろう、
「彼の名前を聞く」という行為を実行する。
「あのさ、名前……」
「イトウ・カゼトだ。自慢じゃないが、一発で読めた奴は一人も
いないんだ」
イトウ・カゼト。
その名前が唱えられた瞬間、クラスの女子達全員の間に、
形容し難い突風が吹きぬけたらし。あちらこちらからため息と悲鳴を
あわせたような声が上がる。
と、同時に、クラス全員の男子が眉間に皺をよせた。
これは近いうちに何かが起こるね。
俺の胸騒ぎは、ますます大きくなる一方だ。
「でさ……さっそくなんだけどさ」
なんだ? 登場して即絡んでくるとかやめてくれよ。
俺はまだしばらく喪に付したような学生生活を送るつもりなんだ。
「ノート見せてくんねえかな! たのむー!」
そういって奴は飛び切りのスマイルを浮かべる。
向日葵のような、と言うのがまるで適切なのではないかと思われるような。
頬杖の上から思わず頭が落っこちそうになる。
「あ、ああ……」
俺は間の抜けた返事をしながら机に手を突っ込んでノートを探し始める、
それとほぼ同時に、午後の授業の始まりを告げる予鈴がなった。

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