「白い鳥 quantum-1 「捨てたいあだ名」」
小説
玄関を出て外に出る。
4階建ての、真新しい市営住宅が何軒も軒を連ねる中、
朝焼けの眩しい光とともに、街の人々が朝のルーチンを
こなす様子が目に飛び込んでくる。
「マフラーなんかいらないよ」
母親のありがたい申し出をそっけなく断る。
むしろ俺は詰襟のホックを外して首を丸出しにする。
胸元に流れ込んでくる冷たい朝の空気は、
いだもって雪の匂いが抜けきらないようだ。
「はぁ……」
買ったばかりの学ランは酷く硬くて着心地が悪い。
こんな硬い襟にこれから3年間首を絞められるのかと思うと
思わずため息が出てしまった。
階段を降りて市道に出る。
そして近くのコンビニで今日の昼飯を買う。
陳列棚に並べられた弁当やおにぎり、サンドイッチ等、
数多くの商品を目の前にして軽く目が泳いでしまう。
こうしていつでも手軽に買い物ができるというただそれだけのことに、
未だに胸の高鳴りを押さえられない俺は、やはり生まれながらの
田舎者なんだろうね。
以前俺は、山奥の掘っ立て小屋に暮らしていた。
これは比喩でも物の例えでもなんでもなかったりする。
2年前に両親が離農して、鈴蘭市に越してくるまで、俺は世間様より
50年は時代の遅れた世界に生きていたのだ。
どういうわけか人口増加が天井知らずなこの街は、
新しい仕事と生活を探す人達にとって夢のような場所であるらしい。
先祖代々に渡って耕してきた土地を捨てるということに、
何事かの悶着がなかったわけではないのだが、
結局親父は今の役所務めの仕事に満足しているようだし、
まあいいんじゃないかと思う。
そんなことを考えつつ、朝日に向かって歩みを進める。
街の真ん中を突っ切るようにして流れる尻別川、
その向こう側に俺の通う「鈴蘭東高」がある。
橋を渡る最中、ブレザーを着込んだ学生達と何度もすれ違う。
市内屈指の進学校にして、唯一の私立校である、
「鈴ヶ丘学園」の学生だ。
ダークグレーのジャケットに、赤と茶色のチェックが入った
派手めのスラックスとスカート。
そして胸元に光る白い鈴蘭の校章。
道内の人気制服ランキングの上位を常に占めている……らしい。
「げ……」
橋の向こう側から見知った顔の女子生徒が歩いてくる。
出くわさないようにわざわざ早起きして来たっていうのに、
どういうことだ。むしろギリギリまで寝ていた方が良かったのか。
アイツは俺と目が合うや否や、光の速度でそっぽを向いてしまった。
俺も負けじと顔を背ける。
眼鏡をかけていなかった、髪が少し伸びていた、
そのくらいはわかったけどな。
アイツとはもう顔をあわせるわけにはいかない。
あわせてはいけないのだ。
今となっては、なんでアイツと付き合っていたのかさえわからない。
コツコツと地面を鳴らす二人の足音が徐々に近づき、
ドップラー効果か何なのかはわからないが、近づく程にそれは早くなるらしい。
そして二人がすれ違う瞬間に、そのコツコツという音の速度は最大となる。
受験のためにで必死になって学んだ二次関数の方程式が、
こんな心理描写をするのに役に立ったなんて、なんとも皮肉なことだね。
アイツがいなかったら、俺はあの格好良いブレザーを目指さなかった。
そしてアイツがいたために、俺はあの格好良いブレザーを手にすることができなかった。
ふとそんなことを思って、何が何だか良くわからなくなる。
去年の夏ごろから今年の春に至るまでの期間は、何か底知れぬドロ沼に
沈没してしまって、もう引き上げることは不可能らしい。
春は俺から色んなものを奪っていった。
そう思っておけば良いのだろうか。
橋を渡りきると、コンクリート造のやや古ぼけた校舎が目に入る。
鈴蘭東高はごく平均的な学生が通う高校だ。
中学の時に見知った顔もたくさんいるわけで。
つまるところ俺は、過去の色々な負の遺産をも高校に持ち越すわけで……。
「おーい、クナー」
そう思っていたはしからこのザマだよ。
俺はその呼び声に思わずため息をもらしてしまう。
「おいクナー! クナシリー!」
春は俺から色んなものを奪っていったくせに、
本当に奪って言って欲しいものに限ってはそのままにしときやがる。
困ったもんだぜ、ちくしょい!
ああ、自己紹介が遅れたよ。
俺の名前は「国後達哉(通称クナ)」
いささか青色吐息がさまになる、ごく平凡な高校一年生ですよっと。
とりあえず今俺の名前を呼んだ下山あきら君には、
その女の子みたいな俺のあだ名をくれぐれも広めないように念を押しておこう。

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