ブルックナーの第二交響曲の魅力って、何だろう。
全編に溢れる自然の息吹は、如何にもブルックナーらしい。清々しいそよ風と小鳥の囀り、気持ちの良い森林の散策がある。
第2楽章をBGMにして、グリム童話の「狼と七匹の子やぎ」や「赤頭巾」を朗読すると、あまりの自然な融合に驚く。
まずは、第1楽章冒頭の六連符に乗ったチェロの憂いを帯びた爽やかさで、気分は一新する。
展開部に入ってヴァイオリンのピツィカートとフルートとクラの六連符が始まると、木漏れ日やら葉っぱの上を転がる露やら、遠くを流れる川の光が見えてくる。心がウキウキして走り出したくなるくらいだ。
愉しいお散歩の第2主題は、展開部の最後にヴィオラのピツィカートに乗って現れるところが最高に上機嫌。
第3主題(終止主題)はダブルユニゾンになってはいないが、「第八」フィナーレの第3主題につながる。
緩徐楽章では副次部後半が最高だ。ゆったりとした歩みで沈思黙考し、その美しさに感謝するモノローグ。ここをカットする人の気が知れない。
こういった出しゃばらない美しさは緩徐楽章の五部形式と、分かりやすいソナタ形式に閉じこめられ、聴いていて道に迷うことはない。どこを聴いても安心感がある。
そして、そこには「第五」や「第八」や「第九」などに聴かれる厳しさは無い。大クライマックスが築かれることもない。
そこに物足りなさ、不満を感じる人もいるだろう。
しかし、大クライマックスがないからこそ、全編等質な魅力に溢れているともいえる。
例えば、400メートル前後の日帰り出来るくらいの山を歩く愉しさにつながる。伊豆で言えば城山、葛城山、発端丈山を愉しむようなものだ。
大きな感動は無くとも、普段着の気楽な感動が得られる。
身近なる非日常。
これこそ第二交響曲の魅力のような気がする。
その魅力が饒舌なくらい味わえるのがII/1(1872年稿)だ。
溢れる楽想というより、作曲理論による計算から生み出されたクラスター音楽のような、前衛的といえそうなフレーズが唐突に繋がっている。
ハース版を基本とすると、同じようなフレーズが繰返し挿入されているだけでなく、緩徐楽章では茫洋とした景色と、フィナーレでは一見脈絡のない楽想が連続するフレーズと置換されている部分が特徴的だ(緩徐楽章の主題三現部とフィナーレ・展開部)。
例えば、山歩きの途中で立ち止まり、足元の花や虫を愛で木々の隙間からのぞく空を眺める(挿入部分)、メインルートとは違う獣道のような迂回路を愉しむ(置換部分)、なんてのがII/1だ。
そして、ハース版をメインルートとすると、「vi-de」部分をカットしたものは歩きやすく整備しすぎてしまった感が否めない。たぶん、それがII/2。
II/1があればハース版は要らないという意見もあるが、枝分かれルートが二つあってもいいと言う意味で、ぼくはハース版も聴いていきたい。