第1話 レセプトオンライン化
平成18年の春には、レセプトオンライン化の工程表ができあがっていたが、平成13年には改革の成果を問われる経済財政諮問会議と当時の総合規制改革会議に財務省、経産省の四者にむかって、追い込まれた厚労省はひとつ持ち駒を出さなければならなくなっていた。四者から「年金」か「支払基金」のどちらかを出せと追い詰められて、かれらは「年金」は出さずに、「支払基金」を差し出すことを決意した。その結果、経産省の関与でレセプトオンライン化が行われ、業務を失った支払基金は縮小して、医療警察の道を歩むこととなるのである。
日本歯科医師会の臼田執行部はそんな流れを読みきれず、IT推進のために使うべき資金をどう使ったのだろうか。当時の代議員会では内田常務は、会館の7階か8階に光ファイバーを使ったオンライン化に備えた部屋ができていると答弁していたが、会員からのレセプトを代行できるような施設が本当にあるのだろうか。もしあるのならば歯科医師会会員は大船に乗ったつもりでもいいはずだ。
平成22年、潮音勝三は56歳の誕生日を明日に控えていた。パソコンの前で、慣れないキーボードをたたいていた。使うのはほとんど人差し指一本だった。勝三の娘は笑いながら、
「おとうさん、大丈夫? 来年から自分でできるの?」
「おとうさんはこの年になって、新しいものに挑戦してて、大変なんだぞう」
勝三は、家では子供には優しい人柄のいい父親だった。町でもその人柄で患者さんが集まっていた。しかし、これまで勝三が経験したこともない事が、かれの歯科医師人生に訪れていたのだった。
勝三が歯科医院を開業したのは32歳のときだった。開業してから年号が「昭和」から「平成」に変わったが、その頃娘が生まれた。来年には大学を出る年頃である。
勝三の歯科医院は衛生士ひとりを雇うことで、ふたりできりもりしていた。10年前は歯科医師1名、衛生士と助手で3人常勤させていたが、ここ数年で微小歯科医院としてシステム変更を余儀なくさせられた。大きな歯科センターが近隣に建ったためだった。いわゆる町医者としての勝三の歯科医院が、法人歯科センターに飲み込まれる様相を呈していた。すでに人件費に回す金など余裕はないのだが、仕方なく勝三の歯科医院は受付IT機器を専門に扱う助手を雇うこととなった。これは勝三にとっては苦渋の決断である。
勝三の歯科大学の2年先輩の鈴木は「めんどくせー!」の言葉を残して、歯科医師引退を表明して、駅前で喫茶店を始めた。勝三のいとこにあたる水野は、腕のいい歯科医師だが、個人開業をたたんで都会の歯科センターに勤務を決めた。個人で開業している経費などを考えると、歩合制でも勤務の方が安定していると踏んだからだ。これは先見の目があった。のちに歯科センターの割拠する世界がみえてのことかどうか、借金が少なかったのがそう決断させたらしい。医院をたたむときの予定外の出費はリースだった。リースはレンタルではないので、7年でリース契約をしていた歯科ユニット3台の残った年数のリース費用残高を払わなければならなかった。およそ300万円の支払い義務が発生してしまったのだ。また、歯科医師会の退会に際しての手続きにもとまどいがあった。福祉共済を積んでいたのがもったいないと思ったからだ。歯科医師会の年金のほうは元本保証がないので、数年前にやめてしまっていた。公益法人を選んだ日歯は2008年に年金、福祉共済の部分を会務から引き離さなければならなくなっていた。法の下では仕方が無かった。
ある日、勝三のもとにセールスの風体の男が訪ねてきた。
「わたくし、日本歯科医師会のほうから来たものですが、レセコンのお手伝いをさせていただきにきました。」
「それはごくろうさん」勝三は渡りに船と喜んだ。日歯も考えてくれてるじゃないかとほくそ笑んで男を院長室に通した。
「月末にオンライン提出を行うためにお手伝いをしますが、その設定をさせてください。間違いがあるといけませんので、過去のカルテ、データを見せていただきますね。」
「なんかわからんので、よろしくたのむわ」勝三はすっかり信用してしまっている。
「オンライン化した医療機関は手続きがあるため、診療報酬の口座への振込みが少々遅れて入りますので、ご承知ください。」
「あ、そうなの? 困るよね。面倒な上に入金が遅れちゃねえ。」
しばらくして、男はパソコンの設定を終えて、帰っていった。
2ヵ月後、診療報酬の振込みがいつになってもこない。おかしく思った勝三が支払基金に問い合わせてみると、支払いは変更になった口座へ振り込み済みだという。日本歯科医師会にその男を問い合わせたが、そんな男もそんな事業も知らないとの返答。こんな熟年歯科医師が全国で何人も被害にあっていたのだった。さらに、勝三の歯科医院に通う患者の家に妙なダイレクトメールが届くとの問い合わせが殺到した。IT機器は便利なものなのか、人を不幸にするものなのか、熟年の先生方にとっては、大きな曲がり角となった。
歯科の診療報酬点数は点数表には書かれているものが、厳しい施設基準の設定によって、点数表にあるのに、手が出せないという事態が起きた。微小歯科の施設では基準をパスできず、手の出せない点数ばかりで、日々できるのは削る・詰める・かぶせるという治療のわずかな点数だけになっていた。この年、総医療費は前年比で3兆5千億円が節約された。平成8年に本人負担が1割から2割になったときに、歯科のかかり控えが起きた影響もあり歯科の総医療費は2兆5千億円で10年以上横ばいの状態だった。単年度のこの節約分だけで、十分歯科の総予算になり得る金額だった。それなのに年々医療費を伸ばす医科以上に、歯科はきびしい点数改定がつづいた。この年医科の外科保連からはおおむね納得のいく改訂だったとの発言があった。納得している医科についていく歯科は、主体性を欠き、窮地に追い込まれていったのは周知の事実である。
平成23年春からの全医療機関レセプトオンライン化では、50歳以上のパソコンなどをいじれない歯科医師の医院が窮地に追い込まれ、やがて55歳以上の歯科医師を業界から追いやる定年制を形作られてしまった。そして歯科医師定年制が布かれたのはその2年後だった。
小泉内閣の医療改革は、ある世界的組織に後押しされた小泉・竹中・諮問会議のトライアングルで強固な壁を作って、ある使命のもとに施行されていったものと解釈する。医療改革は、竹中平蔵氏と経済財政諮問会議がトップダウン方式で医療サイドに押し付けてきた制度だ。そのメンバーには医療サイドの人はいない。したがって、医療サイドが尊守できる内容ではなかった。かえって無駄な要件が増えて、技官が監査をしやすくし、歯科医師という職業の必要な無駄を、すっかりそぎ落としてしまった。本来規則というものは双方が納得して尊守できるものこそ目指すものではないかと思う。この時代は少子高齢化による人口構造の変化を理由に、国による管理というどこかの近隣国の体制と近い制度のなか、自由主義の米国の真似事を、咬合が合わない義歯を装着するように施行してきた。悪い方向への大きな転換期となった。
経済財政諮問会議が小泉改革の一環として、厚労省も改革しなければならないので、何か結果を出せと迫った。厚労省は年金か支払基金かどちらかを出せといわれて、それならば支払基金をと差し出したことで、医療でのレセプトオンライン化が急速に決定を見て、22年度でのオンライン化義務化が決定した。
支払い基金は、オンライン化によってその規模をかなり縮小され、さらに結果的に解体されることなった。解雇された職員がほとんどだが、新林主管を中心に100人体制の部署が残された。これは市場化された歯科医療のルール違反を見張るという米国のシステムを模倣して組織されたいわゆる「歯科医療警察」である。混合診療は認められたが、規制の縄は歯科医師を有利にはしなかった。たとえば、メタボンを一本10万円で入れたとする。これには混合診療で保険で1万5千円が給付されるが、のこりの8万5千円は自費として払うのである。これには5年間の補綴管理が義務化された。自費部分の8万5千円は「ナシコ」や「米生」などの民間保険で任意的に積み立てているものから支払われることになっている。積み立ての出来ない者は、質の良い歯科医療は受けられないということになる。さらに、患者が積み立てている民間保険会社が、自費部分を払うに当たっては、その民間保険会社が提携した歯科センターが指名され、そこ以外での治療では金を出さないというフリーアクセスが阻害される形となった。専門性のない一般開業歯科医院に回ってくるのは、保険者との直接契約で1点6円で契約された下流家庭の積立て者となる。さらに生保でもなく収入が少ない家庭は治療が受けられない状況がそこにはあった。ざる法の網目からもれた人たちだった。 つづく

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