前回、新陰流の精神について書くと言ってから時間が経ってしまいました。
研究していると、あれやこれやで最新作「
必殺柳生新陰流」で描いたアラがぽろぽろと出てきて赤面の至りであります・・・
何故かというと、1681年頃の江戸柳生は宗冬の亡き後で、実態をあまり調べずに書いてしまったからです。(汗
ま・・・何はともあれ、今回は柳生新陰流の「奥義」と言われる「がっし」について蘊蓄を垂れましょう。
「がっし」は「合撃」と書かれます。「あいうち」という意味にも取れます。
正に、稽古を見ていると、お互いに大上段に構えた二人(打太刀と使太刀に別れている)が、しずしずと歩み寄り、間合いを取るやお互いに上段から斬り込みます。
初めて見る人はびっくりすると思いますよ。お互いが相手を避けもせず打ち込むんですから。
ばしっと袋撓が打ち合わされ、打太刀(使太刀に稽古を付ける方)は撓を下げて使太刀に頭を打たせます。
なーんだ、別に負ける方が決まってるじゃんと思うでしょう。打太刀は確かに使太刀に負けてあげるんですね。
でもよ〜く見てると、面白いことが分かってきます。
段取りを決めれられた撃ち合いでなんで稽古になるんだって思ってませんか?
高速度撮影でスローモーションでその「瞬間」を見ると飛んでもないことが分かるのです!
乞うご期待、次回!