最近の私のセドナへの思いは、まるでアロマに出会った十数年前の頃のよう。
あの頃、「今日の私の香りはどれだろう?」と香りを選び、かぎながらうっとりしつつ、「どうしてこの香りを選んだんだろう?この香りは私に何を教えてくれてるんだろう?」と探求し続けた、楽しさ、ワクワク感。
セドナに居る頃は、それとちょっと似ている。
滞在中は、セドナにお願いしている。「どうぞ私の願いが叶いますよう、私が癒されますように。大地よ、私を動かしてください。」
翌朝、その日の山が、思い浮かんでいる。まどろみの中で、夢に出てくるときもある。
そうしてその山に行って歌い、エコーを全身で感じる。癒され、元気になる。
何日かそれが続くと、おりのようにたまった感情が出てくる。
それは日常では意識しない、あるいはなかったものにしてる、無意識のこころの癖なのかもしれない。
先月のセドナに行く前、「今回は自分のルーツ、宇宙での出来事を癒しに行く」となんとなく思ってた。
そうして1ケ月毎日、たくさんのトレールを歩いた。前半はお客様と一緒に。後半はひとりで。
そうしてある日、フェイキャニオンという、初めてのトレールに行こうと思った。
誰もいない、静かで心地よい道を歩きながらある岩の前に来たとき、足が止まった。
進めない、岩が気になるのに、近づけない。こんなの珍しいこと。
私は歌い、ひざまづいた。岩に、許しをこうた。
岩は、私のルーツに通じる、宇宙船のような存在だった。
”私は最初にここに降り立った”そう思った。
それは決していい思い出ではなかった。罪悪感と孤独。
この岩さんは、宇宙の記憶と罪悪感を癒してくれるように思った。
歌ってその響きを感じているうちに、その岩山が、温かいものに感じられてきた。癒されてきたのだ。
その日は日暮れまで、その岩さんの上でゆっくりときを過ごした。
その後、カセドラルでとても印象的な一日もあった。
ふもとに着いたら、そこから見渡せるセドナ中の山たちが応援してくれてる、と感じて、その応援を全身で感じていたくて、なかなか登ってしまう気になれないのだ。
その日は結局いつもの倍くらい時間をかけて、カセドラルを堪能した。
カセドラルは「許し」のボルテックス。
帰ってからは、いつのまにか30本以上になってしまった、
セドナの山のエッセンスでヒーリングしている。「今日はどれが合うのかな?」なんて思いながら。
セドナの魅力は、自分が変われる何かがあって、望めば大地が応えてくれるところだと思う。
私はこれからも、この大地と共に変容していきたいなーと思いながら、また次回を楽しみにしている。
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