ついにカルーの学校生活が終わりました。最後のパーティーで燃焼し切ってしまったため、疲れがたまり、更新が遅れてしまいました。悪しからず。
金曜日は朝から夜の出し物のための練習。そして午後5時前から修了証明書が校長から生徒一人ひとりに渡されました。いわゆる卒業式ですが、日本のような堅苦しくはなく、終始リラックスした雰囲気。そしていよいよパーティー。ディナーのメニューはそう特別なものではなかったですが、若い女性教師・トリーネと男子生徒・ヘンドリックの司会で、歌を歌ったり、それぞれへの思い出をつづった手紙を披露してくれたりしました。
午後9時からは会場を体育館に移して、生徒の出し物。私のグループはインド人経営の商店にデンマーク人の農家の娘、スウェーデン人の幼い娘、シカゴのギャング、インディアンの娘、日本人のお姫様が買い物に来て、お姫様が寿司パーティーを開くのでみんなを自宅に招き、そこで炭坑節を踊るという、ハチャメチャな内容です。 私はデンマーク人の農民の娘に扮し、ワンピース、カツラ、化粧で登場。子供のころに劇の主役を何度も演じ、好評を博した演技力(?)は健在で、みんなに喜んでもらえたかな。。。Hiromiのグループは仮想の楽器を持って演奏する「空気バンド」を熱演。「ボーカル」のフランス人エレーネのいつものかわいらしい女の子というイメージを吹き飛ばすかっとんだ好演技が光っていました。
そしてまた会場を集会室に移し、音楽クラスを取っている生徒のバンドによる演奏でポップス二曲が披露されました。学芸会レベルですが、私もアコーディオン(デンマーク語では「ハーモニカ」といいます)をちょこちょこトチっていましたが、なんとか無事演奏を終了、拍手喝采(?)でした。続いて、アマプロのギタリスト、トーマス副校長のバンドが演奏。デンマークではこんなとき、演奏するプレイヤーと観客の席の間に空間が開けられ、そこで演奏に合わせてみんなが踊れるようになっています。私も、同級生のアイーダやアン・カトリーヌらと踊りました。演奏休憩中には、職員のマーチンらがピアノでジャズ・ブルースを演奏しはじめたので、思わず飛び入りでマイクを握り、玄界灘の荒海で鍛えた喉を披露。黒田武士ならぬ日本男児の存在を誇示しておきました。バンド演奏はとっても盛り上がり、終了は午前零時半ごろ。それから元気者は校内のディスコに移り、朝まで踊っていました。私はテレビールームに移り、仲間とジンを飲み、最後のひと時を楽しみました。
翌朝は私は午前7時に起床。二日酔いを頭痛薬で打ち消しながら、これが最後とそばの森をジョギング。足の裏で土のぬくもりを一歩一歩確かめ、お世話になったカルーの森にさよならをいいました。それから部屋を片付け、午前11時半過ぎに学校をHIROMIとロシア人のゲナディと三人で車に乗って後にしました。最後の場面はいつもの涙の愁嘆場。さすがに私も、目の前で泣き出す同級生の肩を抱きながら目をそっとつむり、じっとこらえました。
今回の滞在でデンマーク特有の学校制度「国民高等学校」について日々考えさせられました。私の最大の目的は「語学習得」でしたが、カルーの学校では必ずしもそれに完全な答えを与えてはくれませんでした。カリキュラムも教師の質もマチマチで不満を感じることしばしばでした。しかしあるとき、職員のマーチンと話しているとき、マーチンの一言にハッとしました。「不満があればなぜそのときにその場で言わないのか」。デンマークでは文句があればその場で自分が主張し、改善する方向に自分が持っていかなければならないのです。日本ではこんなとき「角が立つ」としてその場を避け、後で陰で言う習慣が今でも根強く残り、結局は言わずじまいで、改善されなければ「なぜわかってくれない」となることが大半ではないでしょう。文化の違いといってしまえばそれまでですが、日本ではその結果、馴れ合いの不満を持ちながらのあきらめの連続が常態と化しているように思います。一方、デンマークでは、言うことでお互いが話しあい、その結果、100%ではないが一部でも自分の欲することを獲得して満足いく妥協が生まれていると感じます。こうした結果の集合体が、デンマークの高福祉制度に結実しているのではないでしょうか。話は最初に戻しますが、デンマークでは「国民高等学校」を「人生を学ぶ学校」と言います。「反面教師」的な側面も無きにしもあらずですが(笑)、しかし生きていくために大切な「能動的」であることの大切さを学べる学校であることも確かだと思いました。

修了証明書の授与式。

ディナー。みな正装(?)をしています。私はスコットランドのタータンチェックのベストを着用しました。

空気バンドの演奏。真ん中で身長180センチのエレーネが熱演中。

音楽クラスのバンド演奏。アコーディオンを抱えている人は誰かな。